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駆ける。

心臓の音が聞こえる。

ドクン、ドクン、と少しづつ大きくなる音に合わせて、少し息が苦しくなる。でも、ちっとも嫌じゃやない。甘く、胸を締め付けるようなこの感じ。高揚感に浮かされた身体は軽く、どこまでも飛んでいけそうだ。

まるで恋だ、と思いながら、

私は夜の街を駆け抜けていた。

***

その実、それは恋なんかではない。ランニング、というのだ。

文字通り、夜の街を駆け抜けていた。それはもう、スポーツウェアで、まるで一人きりで、色恋の、「い」の字も見えないくらいに、ただがむしゃらに走っていた。

通勤は、思いのほかいい運動だったようで。リモートワークのおかげで、往復2時間のそれがなくなった私はかなりの運動不足で。

雨の予報だったのにすごく気持ちよく晴れていたから、身体を動かそうと思っただけだったのに、まるで恋しているかのように、心地よく走っている自分がいた。

足が速いわけではない。ただ、身体を器用に動かすことのできない私にスポーツはとても難しく、かといって、筋トレみたいにその場にとどまってただ身体の一点のみに力を集中させるのはあまりにも退屈で、自然と運動する=ランニングに落ち着いていた。

3日前にも軽く走ったけど、思いのほかへとへとで、やっぱり体力落ちているな、と実感したばかりなのに、なんでだろう今日はいつもと全く違う自分がいたんだ。

足を踏み出せば、跳ねるように、次の足が前へ出る。アスファルトを強く踏めば、脚が張るように痛くなるはずなのに、今日は全然それが無くて。

腕を少し大きく振れば、脚も合わせて大きく動く。呼吸がハッ、ハッから、ハーハーと吐き出すように荒くなり、胸の鼓動も大きくなるのに、今日の心臓は限界を知らないのか、それに着いていくかのようにたくさんの血液を送り出してくれる。心臓の弁が大きく開くのがわかるのだ。

ペースを上げれば上げるほど、それは苦しいはずなのに、心地よく感じられる。体温が上がり、汗が噴き出るのに、少し向かいで吹く風が程よく冷ましてくれる。風は背中を押しはしないのに、まるで向かい風に、なにくそ、とムキになって突っ込んでいける。

タッ、タッ、と足音が心地いい。耳にかかる風を切る音が聞こえる。

ペースは落ちず、上がっていくばかり。隣を通り過ぎていく車さえ追い越せるんじゃないかと思った。

街頭はスポットライト。ランニングコースはランウェイだ。ファッションショーのモデルのように軽やかに、でもそのスピードより圧倒的な速さで夜の街を駆け抜ける私。

なんで、こんなに気持ちよく走れているのかな。

久しぶりの晴れ間が嬉しかったから?2度寝して9時間も寝たから?一昨日調子が悪いからと飲んだリポビタンDが効いているから?お昼にニンニクたっぷりのパスタを食べたから?大相撲が見れるのが嬉しくて力士と一緒に四股を踏んでいたから?

うつろな頭で考えてみたけれど、そんなことどうでもよくって、ただ走ることが気持ちよかった。

このまま、時が止まってしまえばいいのに、と思い、まるで恋だなんて苦笑い。でも、本当にそんな風に思うくらい心地よかった。世のランナーやもしかしたら競走馬とかも似たように思っているのかもしれない。

ゴールと決めた停止線を抜けると、夢のような時間は終わった。身体は疲れているのに、その痛みさえ悪くないと思うのだから重症だ。

人が恋にどうしようもなく落ちてしまうように、きっと私もランニングの魅力に落ちてしまった。

明日も、明後日も、その先も今日のようにすべての歯車がかみ合ったように走れる日が来るとは限らない。時には疲れて、しばらく走ることら離れてしまうかもしれない。でも、きっと今日のあの数十分間は忘れられないだろうから、きっとまた走りだすのだと思う。

風のように駆け抜ける、あの瞬間を求めて。




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