自己紹介と私が『note』をはじめたきっかけ
noteをはじめて1ヶ月がたちます。
この投稿でちょうど10番目のnoteという節目にもなります。フォローしてくださる皆さま、リアクションしてくださる皆さまがいたから続けることができました。本当にありがとうございます。
本来なら、最初の投稿で自己紹介するべきだったんでしょうけど、勢いでオラァ!と始めの投稿をしてしまったこともあり、引くに引けずここまで来てしまいました(笑)。
ですから、今更ながらですがこのタイミングで自己紹介をさせていただきます。私が何をしたくてこのnoteを利用し始めたのか、そうしたきっかけと私がどんな風にこれから活動していきたいのか、書いてみようと思います。
名前は「坂和(さかわ)」と申します。本名じゃなくてペンネームです。私のひいおじいちゃんの名前を借りました。
ひいおじいちゃんはちょっとした文化人でした。自伝とか自費出版して親戚に配ったこともある人で、そのほかにも絵や書道なんかも達者だったそうで。自分が一歳のころに亡くなってしまったのですが、漠然とした憧れがあって、今、その名前を借りてnoteで活動しています。
私自身は現在、社会進出目前の大学4年生です。実家の茨城を出て、東京で一人暮らしをしています。
***
noteをはじめるきっかけは2年前まで遡ります。
当時私は、アメリカに留学していました。学部の方針で留学は必須で、1年間どこかしらに飛ばされます。いわゆる国際系の学部です。英語が中学の頃から好きで、その一心で今の学部にいます。
ところが私はまったく国際系ではない人です。はじめての長期海外どころか、私は当時本州すら出たこともありません。北は福島、南は京都までしか行ったことのない当時20歳の私が外国に…。強がっていたものの不安は大きくて、それでも何か成し遂げてやるぞ!と意気揚々と旅立ちました。
留学生活は挫折の連続でした。もともと人との会話の多くない方でしたから、日本語で友達を作るのも苦手なのに、まして英語でなんて…と。
英語は勉強の中でも得意なほうでした。でも、それは机の上での話。ネイティブのアメリカ人相手に何度も聞き返されたり、言葉に詰まったり、発音が速すぎて聞き取れなかったり。ホームシックとそうしたあれこれで、到着して4日目で泣きました。
友達はできましたが、授業も会話や教授の話について行くので精一杯。毎週課される何ページもの読み物。いっぱいいっぱいだったと思います。図書館にこもり、課題をこなす毎日でした。
そんな中、レポートに高得点をもらいました。「あれ?」と思ったのが半分。「嬉しい!」思ったのが半分。時間をかなりかけて書いた自信作でしたから納得半分の本当にそんな評価に値するのかな、とも疑問に思いました。すると他の授業に提出したものも高評価!
なんだ、なんだ、やれるじゃん。自分は英語喋るの下手くそだけど、書けるじゃん!十分な時間をかけてあげれば自分でもアメリカ人に負けてないじゃん!
挫折の中で、そんな風に「書くこと」が私の拠り所になっていったのです。
***
二学期目にはもっと「書くこと」をスキルアップしたい!と思うようになっていました。「creative-non-fiction」という授業をとりました。創造的なノンフィクション、を書くという授業、自身の個人的なエッセイを書くことを最終目標にした授業です。最終課題は20ページ以上のエッセイを書かせるぞ!という挑戦的なシラバスに胸を躍らされて、履修を決めました。
この授業が私のモノ書き人生に大きな影響を与えるとは思いもよりませんでしたけれど。
授業は、毎回教授が授業中に課題を設定して10分間で書き、それについて話し合ったり、定期的に出される課題のうち誰かのものを共有して批評会を開いたりしました。その課題内容も「自由課題」から「なにかを見たと感じた瞬間」など幅広く、それだけで十分楽しめる授業内容でした。相変わらず授業中で話すのは下手だったけど(笑)。
教えてくれるのは50代くらいで中肉中背、メガネが似合うおじいちゃん先生。人の良さそうなスマイルで、自分の体験を交えて「書くこと」について、いろいろな話を授業中にはしてくれました。
初回の授業が終わり、さっそく次週は批評会。誰かエッセイを共有してくれる人は?の問いに早速2人が手を挙げて、そのエッセイがドライブで共有されました。
1人目のそれをよんだ瞬間、
———世界が変わりました。
え、そんなプライベートなことまで書いてしまうの!?という驚きと、まるでその人の心とか人生を垣間見たようなゾクゾクしてしまうような気持ちの高まり。読見終わった瞬間、ほう、とうっとりするようなため息が一つもれました。
自分以外はみんなアメリカ人でバックグラウンドもさまざま。それなのに、みんな同じように胸を突くような文章を書いていて、読む文章はどれも新鮮でした。喧嘩別れしてしまった友達の話、自分の幼い時の記憶、心を病んでしまった友達の話。自分なら書かない、書くことのできない、トラウマだったり過去の出来事を、書いてしまうのです。
そして、それは秘密の味。プライベートを、エッセイに昇華されたそれは、私にガツンと一発殴られたような衝撃と、その本人と同じところにたって、でも一歩引いてその場面を見ているような感覚がありました。そして、どれも面白かった。
先生はそんな私の感想にこんな言葉をくれました。
「きっとそれはキリスト教の"告白”とか”告解”の文化が影響してるのかもね。日本にはそういうのないの?」
知らない。そんなの知らなかった。少なくとも私はそんなもの知らなかったのです。自分の内側にあるもの、喜びや、悲しみや、怒りや後悔、そんな繊細な感情の一つひとつをさらけ出す。そんなことが、できてしまうなんて。そんな風に紡がれた文章がこんなに素敵だなんて、知らなかった。
比べて、私がその時書いた文章は、自分の故郷の情景についてただひたすら叙述したもの。なんてつまらないんだ、そう思いました。
それから私はいろんな挑戦をしてみました。『枕草子』の真似をして、四季の折々に感じることをポエミーに書いてみたり、自分の過去のトラウマ的な出来事を書いてみたり。
授業がもうすぐ終わり、帰国も近づいてきたある日、先生は私のエッセイの下書きを読んでこう言いました。
「すっかり文章がアメリカチックになったじゃないか(笑)」
と。
私はすっかり文章を書く魅力にはまってしまったのでした。見た目も話す英語もまったくといっていいほど、アメリカの影響を受けなかった私は、この唯一のアメリカっぽさを胸に日本に帰ったのです。
***
それからは私は何かしら書こうと思いました。
先生曰く、
「書くのは続けるのが大事なんだよ。たとえそれが短い文章だったとしても、Facebookの投稿でも、仕事の文章でもなんでもいい。いつか、そんな積み重ねで本を出せることだってあるんだからね」
と言っていました。一度書くことの面白さを知ってしまうともう止まれないもので、ライターのバイトを始めたり、自分で小説を書いたりしました。
でも、やっぱり自分の言葉で、自分のことを、書いてみたいと思っていました。
そんなとき見つけたのが『note』でした。
存在は知っていたもののTwitterも情報収集用にしか活用しない私には少し仕切りが高く感じていて。でも、四月に入ったから何か始める!と勢いで登録。
「ここだ」
と思いました。みんなが、自分の作品や、日記、日々のあれこれを書いたり、描いたり、撮ったりして表現している。
そして、それはやっぱり、あのアメリカでエッセイを読んだ時のあの驚きと喜びと同じものを感じました。
日常を面白おかしく描く人、自分の過去に向き合う人、自分はこう思うんだと書く人、小説を書く人、絵を描く人、写真を撮る人。いろんな人の noteを読むたび、心が震えています。
だれかの心のカケラをのぞいているようなドキドキ、喜び、共感。そういったものが溢れて溢れて仕方ないのです。
みなさんのnoteに触発されて憶病な私も投稿したくなりました。
嬉しいことにフォローしてくださる方、スキやコメントをくださる方もいるお陰で1ヶ月続けてこれました。
私は、この『note』を自分の言葉で表現する場所にしていきたいです。日々の中に感じた気持ち、ささいなものから自分の根底にあるまで、いろいろな気持ち。主にエッセイという形で。時には、詩や短い文章で。私の目で見る世界が、心のかけらが、読んでくれる人の心を震わせるような文章を紡いでいけたらいいなと思っています。
【フォローしてくださるみなさまへ】
フォローしてくださり、ありがとうございます!まだまだ未熟な私ですが、これからも楽しんでもらえるような文章を書き続けたいと思います。これからもよろしくお願いします!
【フォローしているみなさまへ】
いつもステキなnoteをありがとうございます。最近のマイブームは、寝る前に一日のnoteを布団の中でガーッとチェックすることなのですが、皆さんの気持ちや、日々の出来事と、それらの表現に圧倒されて、沢山の刺激をもらっています。これからも楽しませていただきます!
以上、「坂和」の自己紹介、noteをはじめたきっかけでした。長文大変失礼いたしました!ここまでお付き合いいただいた方は、読んでいただき本当にありがとうございました!
#エッセイ
#日記
#自己紹介
#note
#私がnoteをはじめたきっかけ
#コンテンツ会議
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?