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忘れられない選択、あの人

#あの選択をしたから

この文面を見て私は未だに悩まされている
自分との折り合い…について語ろうと思う。
ただのひとりよがりのひとりごと。

事の始まりは高校生から始めた飲食のアルバイトからだった。
私は学業を疎かにするくらい、飲食業界が好きになっていた。
明確に気づいたのは高校3年生の3学期。
別の夢を持っていて、
専門学校への入学は決まっている頃だった。

その時バイト先で尊敬してる社員さんがいた。あんな人になりたい。

そんな子供なりの淡い憧れからだった。

そのまま専門学校に入学し、1年の秋、就活が始まる。この時入学してまだ数ヶ月、2年制なのでもう進路を決めなくてらならない。

この時私は専門で学んでいる分野にいくか、飲食に進むか悩んでいた。


そしてこの話1回目の、あの時の選択。

私は  飲食業界  に進むことを選択した。


飲食大手から中小企業まで色んな説明会に行き、私に会う会社はあるか、悩んだ。
そして都内でそこそこ展開しているとある会社から内定を貰った

とってもいい会社だ!!そこにしよう!!

そしてその会社を 選択した  。

第2の大きな選択。


専門学校の卒業制作が終わりひと段落着く頃、
内定先からのメール。

___________________________

4月○日(本社ビル)にて入社式があります。
服装 スーツ
持ち物 内定式の際の書類


そして


「笑顔」 と「度胸」

心より○○さんをお待ちしております。

______________________________________

だいたいこんな文面だったと思う。
この文章を読んで私は動悸がした。

これを読んで違和感を感じる人はいますか?
私は異常な違和感と、嫌悪感を感じた。
このメールが届く前までは何とか前向きに、憧れの人のように働けるかもしれないと。そう感じていたから。

ただならぬ雰囲気を纏ったメールを見た翌日。
私は電車内で倒れ救急車で運ばれた。

ここから私の精神が崩れ始める。

診断はパニック障害、過換気症候群だった。

ここから年3回、4回倒れて救急車に乗る人生が始まる。終わりの始まりである。


入社前からこの会社、やばいかもしれないと感じ取ってしまった。

来ないで欲しかった入社式
楽しみだったはずだったのに

大声で経営理念の唱和
いい大人達が必死な顔をして経営理念や会社の方針を叫んでいた。私もああなるのか、と思ったら息が詰まりそうだった。

分かりやすく伝えると
今話題の除草系某車屋の経営計画書のきらいがある
そんな文章だった。
今現在この会社から離れて2年近く経つが未だに
原稿用紙何枚分かと思うくらいの方針の言葉の数々、1字1句間違わずに暗唱できる。

お客様第1主義、それは自身の幸せ
それを長々つらつらと重ねた物でしか無かった

初めて聞いた時?これは洗脳か?……と、
新興宗教にでも入信したのか私は、と、
あながち間違ってはいなかった。

もちろんその宗教に入信しようと努力はした。
そうとう精神的に過酷だった新卒研修も乗り越えた。
しんどかった、人間関係と時間と、とにかく全て、全てに悩まされ、なんでこんなことしてるんだろうと毎日号泣していた。辛かった

5月には配属先に本格的に配属になる。

先に行ってしまうが、後々配属先の副店長と付き合うことになる。それが私が何回もこの先書くであろう
あの人  だ。

あの人とは最初本当に馬が合わなかった。
私はあの人の事が怖かった

本社は本社なりに
女性副店長だし、若手エースだし、
今年唯一の女性新卒を任せてみよう。

くらいに思っていたのかもしれない。
今は分かりえないのであくまでも憶測だが、

副店長……あの人は、
すぐ機嫌は悪くなるし、怖かった。
言葉使いを遠くから聞いていて訂正し、
存在感、威圧感、コミュニケーションが難しい。

変わって店長は優しく、大きいお父さんみたいな
この店の大きな安心出来る樹木のような人だった。

飴と鞭を使い分けられてるような、
シフトがあの人と被ると鞭の日かと、

シフトが店長と被るとこの前頑張ったこと沢山話そう!とスキップして店長に駆け寄った

まだ20歳になりたての私からしたらとにかくあの人が恐怖だった。

私を厳しく育てようとらあの人なりの行動だったのも数年経って分かってきた。


否定されたり、怒られたりするのが極度の苦手で
と言うと「誰だって苦手だよ」と9割の人が思うだろう。「最近の若者は」と唱える人もいるだろう。

そんな苦手な範疇で収まらないくらい、恐怖なのだ。
今現在でも、怒鳴られたあかつきには
震え、目眩、体調不良は何ヶ月も続き、ずっとずっとあの時はどうすれば良かったんだろうと
今ここで死んでしまえば、悩みなんか無くなる
と何回も飛び込み未遂をしたり飛び降りたり、首を吊ったり、色んなことをしては今ここまで生きてきた。

こんな私だからあの人の教育方針には1ミリも合わなかった。

接客技術が評価されたのか新卒を表に出したいからなのか、店長からの推薦で接客コンテストに出ることになった。

苦手な経営理念の唱和、暗唱、本社での追加研修、配属先での通常の勤務、新しい覚えきれてないポジションの勉強、
苦手なあの人の教育。

全てが全て重なって
その日は携帯ひとつで仕事に出た。身一つだ。

いつもはメイク直し道具やイヤホンやタオルや
荷物は多い方の人間だ、
この仕事が終わったら駅で死のう、と心に決めていた。

その日、勤務中に倒れそうになった

そして第3の選択。

倒れるか、倒れないか、

頑張れば耐えれたと思う。
休みたいですって言えば耐えれたと思う。
でもあの時私は死にたかった。倒れたら死ねるかもしれない

もう目覚めなければいいのに。

バタン

目の前夫婦に接客をしている最中だった。
夫婦が店員を呼んでくれて、救急救命士の資格を持ってると言う人が私に駆け寄る。従業員だった、
今思い出すと鮮明にあの時の記憶が溢れでる。
とにかく死にたかった、殺してくれ殺してくれ殺してくれ殺してくれ

手を伸ばし、慌てふためきながら本社に電話するあの人を最後に視界に入れ

あの人に認めてもらいたかった。
私は意識を手放した。




目覚めたら病院にいた。
エリアマネージャーが駆けつけ、母親もいた。
死ねなかった。
点滴につながれ、もうどうにでもなれ、と、スマホを弄る。

その場で3ヶ月の休職を言い渡された。
もう私は用済みか。そうか。あとは死ぬだけか、
エリアマネージャーの話を聞き流しながら
どうやって食っていこうかな、。。、
誰かに甘えたいな。。。と死にたいという気持ちと同時並行にそんな気持ちも湧いていた。

何となくその点滴待ちの時間でマッチングアプリを入れていた。
女が好き同士が集まるそういったマッチングアプリ。

仕事が休みになりなんも予定がなくなり
最初の2日間は寝込みながらアプリで右、左とスワイプをしては飽きたと寝たりゲームをしたりしていた。

3日目、何気にアプリを開いたらあの人が表示されていた。確実にあの人だった。満面の笑みでパンを口にくわえてる、つぶらな瞳、あの写真は忘れられない。

私とバレない自信が謎にあり
好奇心と興味、もしここから仲良く出来たら復帰後楽しく働けるかもしれないくらいの気持ちで

右にスワイプした。

これが第4の選択。

 

4日目、
3日目はなんも音沙汰がなくなーんだバレなかったし連絡も来ないやつまんないの、位でゲームをしていたらあの人からLINE。


お疲れ様です。その後体調は大丈夫?
聞きたいことがあるのですが。

との事

お疲れ様です
ご心配おかけしてます。
どうしましたか?なにか引き継ぎできてませんでしたでしょうか。

盛大にとぼけた。
なんなら私的な会話はほとんど無しに3ヶ月一緒に働いていたからだ。突然アプリの件ですかなんて言うわけが無い。なんなら私では無い、 他人として会話をしてみたかったくらいだった。
 

とりあえずご飯行きましょうとの事で
休職1週間で初めて外出をした。
誰かとご飯を食べるのなんか同期と打ち上げした以来だ。たった2ヶ月とかだろうけど相当長く感じた。
会うのは怖かったが、職場というステータスがない今
これはただ、顔見知りがアプリで出会い、メシにきたと同じ扱いなのだ。

私はあの人がアプリの話を持ちかけるまでニコニコでご飯を食べ、仕事の話を永遠とした。

その間にわかったあの人のことは、ご飯が大好きで、仕事中は怖いけど、プライベートはただのつぶらな瞳の可愛い小動物のちょっとポンコツな賢い上司だった

そして話をもちかけられ
その通りですと、私でしたと、打ち明けた。

あとはスピードが早かった。
あっという間に付き合い、休職期間は頻繁に会っていた。人生のピークだった。今でもそれは思う。
あれ以上の幸せは訪れないし、
あの人との、この時の思い出が1番で飾っておきたい。
死ぬまでこの期間のことを思い続けると思う。

これらの選択をしなければこんな幸せな思いはしなかった。職種、会社、恋愛、この選択をしたからこの思い出は出来た


綺麗な淡い思い出。気がついたら抜け出せないくらい好きになっていた。
恋をしたのが夏だったせいか夏は今でも苦手だ。
何年前の今日あの人とどこに出かけたんだ、とインスタの機能で思い出す。

もう戻らない、忘れられない。あの人との記憶。
楽しかった。またあの時戻れたらと何度も反芻する。


そこから、復職、と思いきや正社員を解雇、
雇用変更でアルバイトへこの時ももっとちゃんと第三者の大人に聞いておけばよかった。
後に主治医にも散々言われた。
若干21歳なりたての小娘では分からなかった。

大好きだった店長の移動、同居祖父の死
冬になる頃には、支えてくれる大好きなあの人がいるのに、私は耐えきれない状態になっていた。 
あのときは何があったのか覚えてないとにかく辛かった。

年明け辺りから翌夏位までの記憶があまり無い。
精神的な物からなのか、

ただあの人には申し訳ないことをしたと思っている。自分がどんな発言をしたかとかは記憶に無い。
だけどきっと相当迷惑をかけたと思う

夏から秋までは喧嘩じみたことはほとんどした事がなく
円満だったと記憶している。
都合のいいように記憶してるだけかもしれないが
でも冬に入ってから明らかに仕事や私のメンタルの
不安定からの口論が多くなったと思う

浮気云々とかの恋人らしい喧嘩はしなかった。
相手に絶対的信頼をしてたからそういう不信感は全くなく、

でもあの時はとにかく私の隣にいて欲しかった。
帰りたくないと何度言ったか。
今考えると本当に迷惑をかけたな…と反省している。

あの人にしてもらう抱擁が大好きで今でも忘れることはない

その後この会社は3月に退職した。
あの人からどうやって食べていくのと怒られた記憶だけは断片的に残っていたが、退職した。
洗脳じみた教育が1番の退職要因だった


4月の上旬。あの人から距離おこうと連絡が来た。
こんなのはVTuberの無期限活動休止と同等な発言だろう。

仕事を辞めてから会う回数もほぼなくなり
連絡とも毎日くれなくなり、距離おこうと連絡される前から距離は置かれていた。
当時の私からしたらこれ以上距離を置くって何?別れるってことでいい?と言った状態だった。

薬たくさんのんだからね
さようなら、ずっと大好きだよ

とLINEを送っていた。

精神攪乱、あんまりあの時の瞬間は覚えていないが
苦しかった。あの人が唯一の救いだったから。
手元にあった薬、全種類、全てを飲んでいた。
ゴミで後に判断したが、

瓶の風邪薬、鎮痛剤、抗アレルギー薬あるだけ。
精神科にはかかっていたので抗うつ剤、安定剤、睡眠薬1ヶ月分全て。

約2週間意識が混濁し続けた
体が鉛のように重たく動かない。痙攣、意識が飛んだり、眠ったり、
たまに起きては、
生きてる、ダメだと思い首も吊ろうとした。
飲み食いした記憶は無いがどうやって2週間生きていたのかは分からない

とにかく人生のドン底だった、今でもあの時がピークで辛かったと思う。この苦しみが半年続く

ほとんど記憶は無い。苦しい体調不良の記憶のみ、
あとは状況と経過日数でのお話になる。

その後話し合いをしようとか、会おうとか、友達として遊ばないかとか2、3回くらい会ったが、
もう終わったんだという絶望感から来る号泣と体調不良と体力不足で

あの人から
もう私と会うと貴方が辛そうだ、もうあわないようにしよう。

と連絡が来ていた。


終わったんだ__________________


幸せな思い出をありがとう。
たくさん迷惑かけてごめんね。
時間を奪ってごめんね。

同時に辛い思い出、辛かった。死にたかった、死ねなかった。生き地獄、今でも定期的に貴方との記憶で辛くなる。

不幸せに生きててほしいのと同時に
お揃いで買った指輪、時計、貰った財布、鞄
ずっと捨てられなくて肌身離さず身につけてる。
忘れられないし、忘れるつもりもない。

霊や都市伝説は信じないタチなのだが
Twitterで此の前元彼に生霊飛ばすな云々のツイートを見かけ、
私もその類なのかもしれない。
私の生霊か何かで苦しんでくれてたらうれしい。

その何倍も楽しい、幸せな思い出をありがとう。
ずっとずっと忘れられないあの人。

ありがとう。

1年間くらいは未練タラタラだ、どうしようと病んでいたが、
開き直って未練ですけど何か?位の顔はできるようになった

結局不幸を願っておきながら、大好きなのは変わらないし、この先誰かと恋愛……できるのだろうか


あの人と別れて1年位の時に
好意を寄せてくれてる人と付き合ったが
全てあの人と比べて辛くなって
気がついたら倒れていた。
顔面を強打し、病院に搬送、もしかしたら難病のナントカ病なのではと、
そっくりそのまま彼女に伝えたら別れようと言われた。交際2ヶ月、
腕に針を刺され点滴が終わる瞬間を待っていた時だった。
でも彼女はあの人じゃない。すぐにどうでも良くなってLINEをブロック、削除した。その間3分、
なんの精神的なダメージもなく別れた。お金使わなくて良くなったから何買おうかな。くらいなことを考えていた。5分後にはAmazonを見ていた。

そこから謎に吹っ切れたかのようにあの人のことを思い出しては泣くことはなくなり、
アプリで会うことも人を探すことも辞めた。



別れてから約1年半、社会復帰してから1年、
今は幸せな職場に恵まれ、安定した気持ちで
時々あの人のことを思い出すこともあるけど
どうにか生きている。
時計と財布は変えられない。

たった2年の話だったけど2年とは言えないくらい濃い2年だった。時たまどうして生きてるんだ。と自問自答するときもある。

私があの人に、生きてるのが辛い死にたい、と弱音を吐いた時に
「死ねないから生きるんだよ。死ねなかったってことは生きないとなんだよ。」
と言われたことを思い出す。

未だに自殺に対する思いは他の人よりも何倍も強いと思うけど、
地に足着いて、自分一人で生きていくという目標もできた。(なるべく早く死ぬ)というハッピーセット付きでだが、

あの人の未練は正直全然ある。

でも連絡先も何もかもが分からない。だから、連絡を取ることも不可能。復縁は100%不可能ということだけはよくこの話をすると聞かれるので答えておく。

未練だらけだ。

この選択は正しかったのか。
会社選びでの選択。
あの人と付き合うという選択をしたこと。
間違ってなかったと信じたい。
あの人との楽しい思い出も出来たから_____


























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夏の思い出

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