パンデミックが呼び起こした音楽の核

2020年に起きた、新型コロナウイルス"covid-19"の流行。これによって、世界は大きな変革を遂げた。変革とはいっても大半は、今まで徐々に変化をたどっていたものを急ピッチで変化させたものと言える。キャッシュレス決済やリモートでの業務に始まり、多くのもの/ことが人と人との直接の触れ合いを減らしながら、それでも成り立つ進化を遂げた。音楽業界はその変化の中で、配信ライブというものに注力することとなった。配信ライブによって、ライブという文化はかろうじて生き残り、また以前より気軽に大勢の人がライブに触れられるようになったのは、大きな功績だろう。しかし、ライブハウスやフェスといったあの空間は、多くの人たちが一堂に会し熱狂するあの空間は、配信という形ではどうしても再現できなかった。突如として奪われた空間は、代用の効かないものだったと多くの人が、頭ではなく自分の感覚を通して、初めて理解することとなった。

先の見えないトンネルに、音楽業界は当てどころのない怒りや悲しみを抱え始める。多くの試算が飛び交うも、何ヶ月、何年、この状態が続くのか正確には分からない。何度も開催へと尽力するものの、中止にせざるを得なくなる。“そういう時期じゃない”、“別に今じゃなくても”、音楽は不要不急のものであるとみなされる空気感が世間を覆う。しかし、決して重苦しい空気のみが流れていたわけではない。後述するが、星野源の『うちで踊ろう』は、この時勢を音楽の力で柔らかく変貌させた先駆者である。ワンマンライブに始まり大型の音楽フェスも、開催にこぎつけたものは国が出したガイドラインに則り、感染対策を徹底し、この状況下で出来る最大限の音楽文化を示した。

さて今回は、このコロナ禍においてアーティストがどのようにアプローチし、どの様なムーブメントが起こり、今現在に至るまでどう音楽が生きてきたのか、自分の敬愛するアーティストの楽曲やインタビューを通して自分なりの解釈のもと語っていく。


うちで踊ろう

1, 星野源『うちで踊ろう』

コロナ禍における音楽の変遷を語る上で、この曲を最初に紹介したい。『うちで踊ろう』がSNSを通して公開されたのは、2020/4/3である。世の中がコロナウイルスを認識し、得体の知れない恐怖に駆られ、一先ず人との関わりを断絶しようと動いていた、そんな時期であった。この楽曲が公開されるや否や、瞬く間に広がり、自粛やステイホームといったある種窮屈な縛りが、柔らかく、温かみのあるものに変貌した。気休めと言われればそれまでだが、音楽が多くの人の心を軽くしたことは紛れも無い事実であり、これがどれだけ凄いことかは言うまでも無い。彼は、この曲に持たせた機能についてこう語る。

「3月末にドラマの撮影も完全に中止になり、いよいよロックダウンになるんだろうなという感じになってきて。そうなったら精神的にも追い詰められる人が爆発的に増えるだろうし、そうなる前になにかしたいな、できないかなと考えたんです。歌を作ろうと思ったけれど、この状況では応援歌みたいなものはあんまり意味がないし、僕はそういうタイプじゃない。そもそも応援歌が好きじゃなくて(笑)。だったら、〝その歌が持つメッセージを、ちゃんと歌の仕組みが回収する曲を作ればいい〟と思いついたんです。タイトルを『うちで踊ろう』にして、家の〝うち側〟でも、仕事場の〝うち側〟でも、心の〝うち側〟でも楽しめるように、楽器や歌、ダンスやイラストなど、何でも重ねてSNSで発表し合って遊べる企画にしてしまう。参加する人も、タグを追いかけて見てるだけの人も、外出自粛期間を楽しめる曲を作ろう。そう考えたら、ひと晩で曲ができあがりました。〝お家で踊ろう〟だと家の中限定になってしまう。家に居ろと言われても、医療従事者などそれができない方々もたくさんいますよね。でも、〝おうち〟から〝お〟を取るだけで、心の〝うち〟で踊るという解釈もできるようになる。〝踊る〟という言葉が〝楽しむ〟という意味に変わるんです。家に居られない人や物理的に体が動かせない人でも、自分の〝インサイド〟で楽しむことができれば、少しでもこの状況を生きやすくできるんじゃないか。そんなふうに考えながら歌詞を書きました。」

星野 源──「うちで踊ろう」悲しみの向こう 歌で手をつなごう”より引用

また、この曲によってInstagramのフォロワーが70万人も増えたことで、彼自身も音楽の力・凄さに驚かされたと語っている。この楽曲の発表は、正に音楽が示す道の一つを切り開いた瞬間だった。


うち、日常、シンプル

この考えやムーブメントに近い感性を持ったアーティストを幾らか紹介する。

2, LUCKY TAPES『Blend』

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2020/11/25に発売された、LUCKY TAPES(以下ラキテと表記)の約2年ぶりとなるアルバム。ラキテらしさを残しつつ、以前よりも柔らかな音色で構築された楽曲群に、どこか心落ち着く印象を覚えたのを鮮明に憶えている。高橋海(Vo, Key)は、11曲目に収録されている『Happiness』が出来た段階で、アルバムの全体像が見えたと語る。宅録ながらも、ラキテらしいグルーブ感と多幸感を成功させたと感じたのが要因であると。インタビューにおいて、三人は次の様に述べた。

田口恵人(Ba)「ドライブしながら聴いたり、1人の空間で聴くような作品になったのかなと思います。」
高橋健介(Gt, Syn)「コロナ禍で以前より自宅で過ごす時間が長くなったことで、テンションの高い音楽や、華やかな楽曲をあまり聴かなくなったんですよ。そういう意味では今の生活になじむ作品になったと思います。」
高橋海(Vo, Key)「積極的にスタジオに集まってアレンジを練ったり、レコーディングしたりしづらい状況だったので、必然的に家で作る流れになりました。もともとトラックメイクや、DAWソフトを使って音を構築していく作業は好きだったので、それらの要素が色濃く表れた作品になったかと思います。」

LUCKY TAPES「Blend」インタビュー”より引用

また、高橋健介はいつも通りライブが出来ない環境と絡めてこうも語った。

「僕にとってライブは、みんなで何かを共有することなんです。大勢の人が1つのもので一緒に楽しむ感覚が好きで、それができなくなっていることには寂しさがありますね。みんなで盛り上がる曲があったり、しっとりと聴かせる曲があったり、曲の違いもライブをやっていく中で感じていたので、今作の質感はライブがなかったことの影響が大きいのかも。これまでの華やかな大衆向けのイメージとは違って、今作は個人にフォーカスしていると言いますか。自分もコロナ禍でそういう音楽を聴いていたし、音源は音源としてこれでいいのかなと。ただ、ライブではサポートミュージシャンを入れてやるので、みんなで音を鳴らせば自然と聴こえ方も変わるのではと楽しみにしています。」

LUCKY TAPES「Blend」インタビュー”より引用

コロナ禍において、メンバー自身がステイホームという環境にいたことや、そういった空間で聴く音楽を個々人で無意識に選択していたことで、自分たちの楽曲制作にも、自然とその雰囲気が反映された。敢えて世の中を捉えようとしたのではなく、自然とそういう音楽が構築される。柔らかな雰囲気のアルバムは、自然の成り行きであり、ラキテの今現在の状態や日常を"そのまま”詰め込んだものであるとも言えるであろう。そうして完成したアルバムは、どこまでも個と向き合った作品であり、故に今の時代に即しているものとなった。

3, Nulbarich『NEW GRAVITY』

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2021/4/21に発売されたNulbarichの新譜も、そういった側面を持つアルバムである。Nulbarichとして正当に向き合ったDisc1と、他アーティストとの共作やリミックスを施したDisc2から成る二枚構成のアルバムであるが、前者はこの世の中の変化をNulbarichの中に落とし込み、発露されたものだと、トータルプロデュースを行っているJQ(Vo.)は言う。

「(制作環境をLAに移した)いちばんの目的は、日常のなかで無意識にインプットされる情報を変えたかったから。生活にせよ文化にせよ、無意識に入ってくるものは人間を形成するうえで重要だし、楽曲にはそれがかなり反映されると思っていて。僕自身、ある程度ルーティン化されていた活動に変化をつけたかったのもあって、LAなら街を歩くだけでも刺激になるだろうと向こうに行ってみたら、自分から変えようとしなくても世の中が変わってしまって(苦笑)。急に地球の重力が変わったぐらいの変化だったじゃないですか。最初は気持ち的にすごくカオスだったけど、もうしょうがないと思うしかないなって。」

Nulbarich『NEW GRAVITY』コロナ禍の重苦しい重力下でポジティヴに音を鳴らし続けるための挑戦を語る”より引用

日常とそれに付随する情報、絶えず自分に流し込まれる要素が、人間形成に関わり、楽曲制作にも反映される。それを感覚だけでなく、思考を通じて理解するJQだからこそ、今回の世界的な変化をごく自然に音楽に落とし込み、楽曲を作り上げた。その制作の過程と込めた意味について、こう語る。

「今までは〈ライヴでかっこいい曲〉という指針で作っていたけど、2020年に関してはライヴができない環境で自分に響く曲を作ったので、いわゆる〈リビングルームで聴いたときに気持ち良い曲〉みたいなものが自然と増えましたね。音がごちゃごちゃしてなくてシンプルな構成、曲自体もそんなに長くないっていう。それと日本にいたときは、自分のスタジオで音を爆音で鳴らしながら曲を作って、ある程度出来たところでメロディーと歌詞を書く流れだったんですけど、LAではスタジオもロックダウンしていたので、家で小さいキーボードやギターを弾きながらメロディーや歌詞を詰めて、スタジオが空いたときに一気に録る作り方になって。そのやり方だとアレンジの時点でメロディーが完成してるので、音を足す必要をあまり感じなくて、曲もよりシンプルになりました」

Nulbarich『NEW GRAVITY』コロナ禍の重苦しい重力下でポジティヴに音を鳴らし続けるための挑戦を語る”より引用

家、日常、シンプルに。“環境が音楽に変化を与えた”、と表現するよりも、“環境が一人一人の日常を変え、それが音楽に影響を与える”という表現の方が過不足がないだろう。音楽の根幹には、作り手一人一人の意志があり、それは意外にも世界の情勢を敏感に捉える。そこには必ずしも、意識や意図があるわけではなく、何処までも自然の成り行きなのだと。
しかし、一方で、変化に迎合することへの疑問も併せ持っていることをDisc1のラスト『In My Hand』を通して説明していたのが何とも興味深かった。

「これは自分が音楽をやる理由みたいな曲ですね。いわゆる嘆きソングというか。憎しみと悲しみが先にあって、喜びと幸せがそれを追いかけている世の中のバランスに対して思っていることを、そのまま歌うっていう。LAでBLM(Black Lives Matter)のデモや暴動を目の当たりにしたんですけど、今年のグラミーでBLMについての楽曲が結構ノミネートされたのを見て、世の中に何かあったときに名曲が生まれるバランスに僕は苦しんだんですよね。(マーヴィンの)“Mercy Mercy Me(The Ecology)”や“What's Going On”もそうですけど、結局僕たちアーティストは、世の中が幸せだといい曲を生めないんじゃないかって。そんなときに掘り起こしたこの曲のリリックが、すごく等身大でいいなと思って。何が正解なのかわからない状態だけど、答えは探さないでいいし、感じたものを音楽にしていくことによって、僕は生きているバランスを取っているんだっていう」

Nulbarich『NEW GRAVITY』コロナ禍の重苦しい重力下でポジティヴに音を鳴らし続けるための挑戦を語る”より引用

変化がない時には、いい楽曲を産めないのかという自らへの問いかけに、楽曲で応えた。“You don't have to understand everything. Let's sing together and feel something and go everywhere with love for peace. We don't live and die for nothing.”、音楽って理解するもんじゃないと思うんだ。愛を持って、気楽に。そんなメッセージを感じる『In My Hand』のこのフレーズが、筆者はとても印象深かかった。ありきたりとさえ感じる、しかし普遍的に大切な言葉だからこそ、今現在示す価値が多分にあったと、そう強く感じる。

4, LAMP IN TEREEN 『FRAGILE』

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2020/10/14にリリースされた5thアルバム『FRAGILE』では、LAMP IN TERREN(以下テレンと表記)らしい思考から敢えて内側に視点を向けている。松本大(Vo, Gt)は環境の変化が起こした心情の変化と、選択に至った経緯をこう語っていた。

「ここまで外向きになれたのは初めてかもしれないです。いままでは自分の生き方をどうしたいとか、どういうことに悩んでる、みたいなところが曲作りの原動力になってたんです。でも、このコロナっていう状況で、自分たちの動きを変えていこうとするなかで外に目が向いたというか。誰かに向けて話をしようと思ったら、自分の生活のモチーフがすごく必要になったんです。ずっと、そういう自分の小っちゃい日常の話なんか誰も聴きたくないだろうって思ってたんです。もっと大っきなことを考えなきゃ、っていうのが思考の大部分を担ってたんですね。でも今回、誰かと話をしようと思ったときに、自分の生活のモチーフを出さないと、聴いてくれる人と同じ気持ちにはなれないなと思ったんです。ざっくり“自分はこういう気持ちなんだよね”って話しても、それはただの言葉でしかなくて。歌にするために共通言語が必要だった。そういう歌を書けたことで、初めて自分がソングライターになれた感じがありました。」

LAMP IN TERRENが今だからこそ表現する“つながり”とは”より引用

外に伝えるためには、相手に寄り添うためには、大きく捉えず小さな日常を見つめる。松本大は、自然ではありながら、確かな選択をしていた。このインタビュー記事の中で、“「つながり」とは「信じる」に近いことと捉えており、きっとみんな同じ困難な状況にいるのではないかと思った時、自分がそこに対して言えることは、自らの状況を、生活を歌で伝えること、それしかなかった”という旨を語っており、なぜこのアルバムが生まれたのか、とても腑に落ちた。また、アルバムの4曲目に収録されている『EYE』についてこう語る。

「えっと……選曲会議のなかで、今回はすげえロックなアルバムを作ろうとしてたんですよ。で、『ほむらの果て』を出したのは、その布石だったんですけど。結局、入らなくなっちゃって。まあ、それはいったん置いといて(笑)。アルバムの選曲会議をやるタイミングで、そういうガツガツ系のアルバムは作れないってなったんですね。自分がその作品について話すときに、素直な気持ちで話すと傷つけてしまうのがわかったというか。少なからず嘘をつかなきゃいけないと思ったんですよ。いま、ものすごく社会に対するカウンターでありたいから、そこに蓋をして喋ると伝わらないというか。だから、正直な気持ちで作れるものって何だろうと思ったときに、誰かの心に寄り添うものがいいなと思ったんです。で、そのいちばん最初の選曲会議で持っていった曲のひとつが『EYE』でした。」

LAMP IN TERRENが今だからこそ表現する“つながり”とは”より引用

ロックな楽曲を作るには、少し攻撃的になってしまう。その際に、こういった状況下で傷つけることに配慮しつつ、言うなれば嘘をつきながら楽曲を作ってしまっては、気持ちが伝わらず元も子もない。それならば、ここりに寄り添うものをと。
彼の優しさと、リスナーや社会に対する真摯な姿勢が『EYE』を生み、結果としてテレンのリスナーの心に寄り添った。『FRAGILE』というタイトルも、どこか攻撃的で他者も自分自身も責めてしまう昨今の時流を汲んで、もう少しお互いを大切に扱えるといいなという想いから名付けたそうだ。ロックを敢えて外したと語るが、筆者は逆に、情勢を汲んだことで、優しさを社会に対して訴えたテレンらしいロックな気がしてならない。


貫き続ける音楽の軸

一方で、この環境下において、“らしさ”を貫く姿勢を見せたアーティストもいる。

5, SUPER BEAVER『アイラヴユー

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2021/2/3にリリースされたこのアルバムは、何処までもSUPER BEAVER(以下ビーバーと表記)らしかった。世界規模の変化にさえも、正面から向き合い、いつもと変わらないビーバーの音楽を作り上げた。ビーバーは、皆誰しもが心の中では思っているが、別にわざわざ口に出すようなことではない、もしくは綺麗事にさえ思える何処までも真っ直ぐな言葉を只管に歌い続けている。そんな真っ直ぐな姿勢に、そんなこと分かってるよ!と叫びたくなるような言葉に、心を震わされ、前を向くきっかけになる。シンプルな印象を受ける本作だが、ただシンプルなわけではないとメンバーは語る。

上杉研太(Ba)「個人的には洗練されたアルバムになったと思っていて。1つひとつの曲もそうだし、演奏や音もそうなんですけど、無駄がないんですよ。無駄がないことだけが素晴らしいわけではないけど、今回は各々の持ち場で、プロフェッショナルとして楽曲を構築できました。2020年の中で感じたこと、考えたこともそうだし、集中力と覚悟を持って制作に臨めて。歌がないところでも同じくらいの情報量、エネルギーを込められたんじゃないかなと。」
藤原“32才”広明(Dr)「シンプルではあるんですけど、それも意識していたわけではなくて。ライブがなかった分、1つひとつのアレンジやフレーズをじっくり考える時間があったんですよ。プリプロの段階で「最高だ」というアレンジができたあとも、気になるところが出てきたら「やっぱりこうしよう」と変えたり。作ったものを崩して、また作って……と繰り返した結果、必要なものだけが残ったというか。ただシンプルにしたのではなくて、その過程にはいろんな情報が入っているんですよね。」
渋谷龍太(Vo)「ボーカルに関しても、1曲1曲にかける時間をいっぱい取れて。歌の練習って、ずっとライブをやってると、なかなかできないんですよ。喉を使わないことも大事だったりするので。今回のアルバムの制作は、ライブがなかった分、試してみたかったことを全部やれたし、それはすごく大きかったです。基本的にカラオケ店にずっとこもって、やりたかったことを自分の中でちゃんと消化してからレコーディングに臨めました。普段の制作では、「こういう歌い方のほうがいいな」とレコーディングの現場で気付くことが2割くらいあるんですけど、今回はそれがほぼなかったですね。自分で作った設計図通りに歌えたし、「時間をかけられるって、こういうことか」と実感しました。歌に向き合う大切さもわかって、いい経験になりました。」

SUPER BEAVER「アイラヴユー」インタビュー”より引用

この環境を逆に利用して、ビーバーらしさを突き詰める。タイトル曲である『アイラヴユー』に込めた想いには、特にこの気質が感じられる。

柳沢亮太(Gt)「まず、時代のうねりみたいなものには極力、影響されたくないと思っているんですよ。どちらかというと対抗していたいし、波に飲み込まれたくないという気持ちのほうが強くて。もちろん、そうはいかない瞬間もありますけどね。時代と距離を置こうとしても、いろんな情報が飛び込んできて、「どうしたらいいんだろう?」と思うことも多いので。そういう状況を踏まえて、「バンドマンとして、SUPER BEAVERとして、何が歌いたいんだろう?」と考えて考えて、行き着いたのが「アイラヴユー」だったんです。細々したことはいいから、「俺、お前のこと好きだよ」って歌いたいし、その気持ちを届けたい人がいっぱいいる。直接的な知り合いだけじゃなくて、ライブハウスで顔を合わせる人たちもそうですけど、大切な人に向けて「アイラヴユー」を歌いたかった。すごく素直な歌ですよね。」

SUPER BEAVER「アイラヴユー」インタビュー”より引用

また、『今夜だけ』をアルバムの一曲目に仕掛けたことの理由にも、時代を汲みながら、優しさに溢れる“らしさ”が詰まっていた。

柳沢「これはぶーやん(渋谷)が1曲目にしたいと最初に言ってて。」
渋谷「そう、この曲はSUPER BEAVERには珍しく、前にも進んでないし、後ろにもいってない曲。あとこの曲はめちゃくちゃ短くて、人間臭さみたいなものをすごく感じられて、この曲から始まると後の曲が全部いけるんじゃないかなと思ったんです。ネガティブな感情自体を変えなきゃいけないという考えってあると思うんですけど、僕はわりとネガティブはネガティブのままで良いと思ってます。パワーとして共存させることができる力だと思っているので、捨てたり変えたりしなくて良いのかなと。そういう気持ちを込めた『今夜だけ』という曲でアルバムがはじまることによって、それぞれ曲が持ってるパワーがもっと上がった感じがしました。」

SUPER BEAVER、アルバム『アイラヴユー』に込められた想いーー有言実行して姿勢でも語れるバンドであり続けたい”より引用

彼らはずっとライブのことばかり考えているとも語っていた。昨年の12月に配信ライブを決行し、今現在も有観客ライブの生配信を精力的に行なっているビーバーだが、配信ではどうしても超えられない距離感を、ライブハウスをこよなく愛する彼らだからこそ、より強く感じ取っていたのかもしれない。故に、ライブのときには真っ正面からぶつかってくれるし、観衆を温かく迎えてくれる。筆者は、今年5月に開催されたJAPAN JAMにて、ビーバーの音楽を久々に聴き、心打たれた。アルバムのラストの曲『さよなら絶望』を、フェスでも最後に組み込み歌い上げていたが、あの時の熱量と感動は一生忘れることはないだろう。

6, millennium parade『THE MILLENNIUM PARADE』

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2021/2/10にリリースされたアルバムだが、今回このnoteに名前を挙げるべきか悩んだ作品である。というのも、millennium paradeのコンポーザーである常田大希が、コロナ禍は作品に影響していないとはっきり明言しているからである。我を通す、ブレない姿勢というわけではなく、そもそもそういう情勢的なものから少し距離を置いたのが彼の作り上げる音楽であり、ここに書き連ねることで、その意志の邪魔になるのではないかと考えた。しかしそれでも、一部インタビュー記事を紹介したい。

ー「祭り」というものをテーマにした今作のコンセプトに、コロナ禍の影響はどこまで反映されていると思いますか?
常田「コロナ禍自体はあんまり関係ないですね。意識的になにかを反映させようっていうことはしていないので。ただ、コロナだけじゃなくても、人種問題もそうだけど、この何年かで、本当にいろんなことが浮き彫りになってきたじゃないですか。」
―そうですね。
常田「いろんな場面で分断が目に付くようになったり。そういう時代の空気に対して、まったく無関係でいられないとは思うんだけど。まあ、それでもやっぱり、音楽は単に政治でも宗教でもないので。音楽は祈りであり、同時に、所詮は娯楽でもあり……。あんまり、社会に対しての働きかけに、自分の音楽は結び付かないですね。ただ、この音楽やアートワークに触れた人が、人生をちょっとでもポジティブに捉えられる要素になったらいいなとは思う。昔から、人をネガティブな方向に導くようなものを作りたいとは思っていないので。」

millennium parade常田大希は個を突き詰め、花火を打ち上げる”より引用

コロナに限らず、そういう情勢と無関係でいられないことは理解しつつも、音楽やアートワークのポジティブな要素を世界に発信し続ける。多くの人の心を打つ作品として世界を驚かせ続けているのは、決して楽観主義ではない、丁寧で強い意志を持った彼の思考も要因なのだと感じた。改めて、稀代のヒットメーカーの最早畏怖をも感じる凄さに対し敬意と感謝を込めて、ここでの結びとさせてもらう。


時代と正対する覚悟、心の内を叫ぶ

鬱屈とした感情や、怒り、悲しみはこういう状況下なら誰しもが持ち合わせている。代弁者となるのではなく、自らの言葉で、自らの意思で、高らかに叫ぶ主張や声明には誰かの心を動かす力が宿る。

7, ヤバイTシャツ屋さん『You need the Tank-top』

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彼らもまた、ブレずに突き進むアーティストの1組であり、2020/9/30にリリースされたこのアルバムもヤバイTシャツ屋さん(以下ヤバTと表記)の変わらぬ魅力が溢れて零れる作品だった。ポップな音楽に乗せて、エッジの効いた言葉を世の中に散らす。気付く人は気付くよね、という圧倒的な楽しさの奥底に潜むシニカルさや熱い想いがヤバTの魅力の一つであると個人的に思っているが、本作にも無論詰まっている。とりわけ、リード曲の『Give me the Tank-top』と8曲目に収録されている『NO MONEY DANCE』にはその気質が強く感じられる。
『Give me the Tank-top』では、コロナ禍で生活も音楽も制限され続けて疲弊している様をヤバTらしく、言葉遊びを交えて楽しく歌う。

“愛と友情とPunk Rock 全部大事 それとあと Tank-top 何もしたくない やる気でない なんて言うてましたのに あれやりたい これやりたいが止まらへんねん 今は”
“うるさくてくそ速い音楽を もっと浴びるように 着るように 聴く”
“愛と友情とPunk Rock 全部大事 でも俺は Tank-top さあ 取り戻せ自尊心よ 笑いながら泣いた日よ 取り戻せ Come back kids, and our life”

“ヤバイTシャツ屋さん『Give me the Tank-top』より抜粋”

どこかヤバTらしからぬ熱い言葉のオンパレード。この曲が公開された時、死ぬほど胸が熱くなった。それでも、節々に散りばめられた“アソビ”は確かにヤバTだった。この曲に組み込んだアイデンティティとも言えるタンクトップに関して、こやまたくや(Vo, Gt)はこう語る。

「あと、これはある種の照れ隠しでもあって。「Give me the Tank-top」やなくて「Give me the Punk Rock」だったら照れて恥ずかしくて歌えないけど、そこをタンクトップにすることで恥ずかしがらずに歌えるんです。今回は『Give me the Tank-top』ができる前に、アルバムタイトルの『You need the Tank-top』が決まったんです。なんでこういうタイトルにしたかと言うと、こういう生活になってみんな別に音楽がなくても生きていけるし、ヤバTへの熱も冷めちゃったんじゃないかなと。このアルバムは「いやいや、そんなことないでしょ! パンクロックもタンクトップも必要でしょ」というヤバTからのメッセージなんです。で、1曲目の『Give me the Tank-top』で「それなら新しいタンクトップ欲しいでしょ? 僕らにもみんなとつながるためのタンクトップが必要だし」という思いを歌っています。」

ヤバイTシャツ屋さん「You need the Tank-top」インタビュー”より引用

顧客の全員が照れ隠しに勘付いていたであろうが、それを用いてヤバTらしく、この状況に声を上げてくれたことが何より格好よくて胸を打たれたというのが総意だと思う。そして『NO MONEY DANCE』は環境の変化による困窮への叫びを、いつものヤバT節で発散させてくれた。

こやま「最後のほうにできた歌なんですけど、とにかく明るく今の現状を歌って、空元気でもいいからみんなに元気になってほしいなと思って書きました。この曲は2曲目とか3曲目に入っててもよかったんですけど、後半の豪華さを演出したいなと思って8曲目に入れました。今回はね、曲をストックしてるとは言え出し惜しみはしてないんですよ。ちゃんとキラキラした曲を後半にも入れられるぐらい豪華なものになったと思います。」

ヤバイTシャツ屋さん「You need the Tank-top」インタビュー”より引用

ヤバTはふざけているが、実は熱くて、世間を刺すエッジも備えていて、ひたすらに格好いいのだ。今現在の少し鬱屈とした世の中を、彼らの音楽でポジティブに変えていく様は、なんとも晴れやかな気分になる。このアルバムは、その魅力を再確認できた一枚だった。

8, ネクライトーキー『FREAK』

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ネクライトーキーが2021/5/19に出したこのアルバムもまた、高らかに心情を叫ぶ爽快さが詰まっている。主に作詞作曲を担当している朝日(Gt)の年齢による心境の変化によって、人間味を帯びた現実感のある楽曲群になったと、メンバーは今作の変化について語るが、本人もしっかりと意識していた。

朝日「曲を作るにあたって、『FREAK』以前まで真剣さの強い曲をあんまり作らなかったのは理由があるんです。曲には作った人のパーソナルな面が出るから、絶対に自分の人間性からは外れないと思っていて。俺だって冗談を言うこともあれば冗談じゃない部分もあるし、別に普段から暗いタイプの人間でもない。だから8割は明るく、2割は真剣に歌おうかと思っていたバランスが年齢を重ねて変化していることを含めて、俺の人間性そのままになってるんです。歌にしたいことが複雑になってきているけど、シンプルでキャッチーなパンチラインがあっていいし、ふざけててもいい。もっと言うなら伝わらないようなことがあってもいい。でも大事なことは大事にしたいという思いが今はけっこう強くて。そのバランスが、勢い付けて駆け抜けてきた20代の頃から変わってきて。だんだんと自分の作りたいアルバムにすごく近付いていってる感じはあります。」

ネクライトーキー「FREAK」インタビュー|明るく元気で暗く寂しくもある、人間らしさいろいろ詰まった3rdアルバム”より引用

この人間臭さが、今の時勢にドンピシャでハマる。今回のnoteでずっと語ってきたように、個々人の内側を描くことで、敢えて狭い領域を語ることで、誰かの心に刺さる。それを理解していることがこの言葉から分かる。
また、『誰が為にCHAKAPOCOは鳴る』を除いた12曲はコロナ禍以降に作成したものだけあって、この時勢をしっかりと意識して作られた楽曲も存在する。その代表が『踊る子供、走るパトカー』と『俺にとっちゃあ全部がクソに思えるよ』だ。前者を作詞作曲したもっさ(Vo, Gt)はこの曲に込められた想いを次のように話した。

「コロナ禍があったからできた曲です。よくないクセなんですけど、ステイホームのときにSNSをずっと見ちゃって(笑)、そのときに感じたことを書きました。私は曲を作るとき、ヘイトや負の感情をあまり書かないほうだったんです。でもこの曲ではそういう気持ちをぶちまけてます。嫌なこととか自分なりに言い換えて。実は次の曲『誰が為にCHAKAPOCOは鳴る』と、私の中では対になる歌詞なんですよ。『CHAKAPOCO』はふとしたときに感じる言葉のよさを歌ってると思っていて、『踊る子供、走るパトカー』では逆に言葉の嫌なところを書いてる。人を殺せる道具の名前、ロープとかナイフが出てくるんですけど、実は一番人を殺している道具は“言葉”であって、でもそれを危ないものだと思って使ってる人は少ないよなっていう歌詞。そういう内容だけど、できるだけ明るい感じでまとめました。」

ネクライトーキー「FREAK」インタビュー|明るく元気で暗く寂しくもある、人間らしさいろいろ詰まった3rdアルバム”より引用

また後者の曲を作詞作曲した朝日はこう語った。

「『俺にとっちゃあ全部がクソに思えるよ』は、まさにコロナが蔓延していったときの気持ちに近い。突然降ってきた雨に対してみんな慌てて対処し始めて、根拠はないけど「大丈夫かな、すぐ終わるんじゃないのかな」って思いながら止まない雨をみんなで見てるっていう。この雨を見てみんな「大丈夫」なんて言ってるけど、本当は全然止まないんじゃないのかな?と思ったことが歌詞になってます。」

ネクライトーキー「FREAK」インタビュー|明るく元気で暗く寂しくもある、人間らしさいろいろ詰まった3rdアルバム”より引用

音は明るく、しかし内容は鋭く、そして深く。ネクライトーキーの根幹とも言えるその思考と攻めの姿勢に幾度となく驚かされてきたが、今作もしっかりと時代を見つめ彼らの音楽を世に発していた。人間臭さが増したことと、時代に真っ向からぶつかっていく姿勢が、完璧とも言えるタイミングで合わさったのだと筆者は強く感じざるを得なかった。進化し続けるネクライトーキーの音楽を目を離さずに追っていきたい。

9, amazarashi『令和二年、雨天決行』

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コロナ禍という現状を最もストレートにまとめ上げた作品は、これだと思っている。2020/12/16にリリースされたこのEPは、タイトルに令和二年という時代を冠する通り、昨年一年間の様々な想いの丈が込められている。秋田ひろむは、コロナ禍を意識して作成した本作を“令和2年の日記”だと語る。

──コロナ禍を経験したことで、ソングライティングや作詞に何か変化はありましたか?
秋田「この先ずっと続く変化かはわかりませんが、今回のEPは今年のコロナ禍を強く意識して歌を書き下ろしました。こういう状況でなければ生まれなかった曲たちです。だから普段より優しい部分もあれば、赤裸々な部分や直接的な部分もあります。」

──6月の『朗読演奏実験空間 新言語秩序 ver1.01』において、新曲『令和二年』が弾き語りで披露されました。今回リリースされるEPを象徴するこの曲は、いつ頃、どんな思いから生み出されたものなのでしょうか?
秋田「『令和二年』は4月頃作ったと思います。別にリリースする予定もなく、何気なく作った歌です。そのときの日常と気持ちをそのまま歌にしました。」

──EP収録の『令和二年』は、どこか温かさを感じさせるメロディをさらにふくよかに感じさせる、美しい光の見えるようなアレンジが印象的でした。いまだ悶々とした気持ちを抱えている人が多い中、それらを浄化してくれる力を持った曲だと思います。秋田さんの中で、アレンジも含めた楽曲の着地点として意識したことを教えてください。
秋田「この曲もそうですけど、EP全体を通して僕の今年の日記、みたいな側面が強いので『令和二年』に関しては何気ない日常の中に微かな不安がうかがい知れるみたいな、そういうイメージです。また、このEPの収録曲は制作順に並べています。ただインタルード的な『太陽の羽化』は最後に作って、それが秋口のことでした。令和2年の日記みたいに聴いてもらうのを意図して作りました。」

amazarashi「令和二年、雨天決行」インタビュー”より引用

時代に対して正対し、自らの経験を通して、妥協せずに切り込んでいく。amazarashiの今までの作品の中で最も具体的で、最も“時”を感じる。渦中である今現在出したことに意義があり、今聴くからこそ意味がある。しかし今だけでなく、音楽を通したこの叫びは、鬱屈とした時代の1ページとして残り、この先の未来にあるかもしれない苦境を生き抜く糧となると思う。このような状況下だからこそ生まれた感情は、ある意味で貴重で、忘れてはならないのだと。

“弱い者や少数派をないがしろにしてはいけないって訳は明日なり得るあなたの姿だからだ”
“忘れない為に書き殴る今日の出来事 エンドロールまだ来ない悪夢ならペンをとろう。やるせない令和に、この空こそふさわしい。騒がしい巷に雲行き怪しい暮らし”

amazarashi『曇天』より抜粋


心はそのままに、然れど揺蕩う

世界規模の変化に、諦観の想いを馳せ、気ままに音楽活動を行う。そんな自由さを持つアーティストも奥底には音楽観の確かな核がある。

10, Tempalay『ゴーストアルバム』

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2021/3/24にリリースされたアルバムの飲み込まれるような世界観に衝撃を受けた日からもう半年近く経っているが、今尚全貌を掴めない感覚に陥る。コロナ禍を経て、自分の中の当たり前が全部壊れたことで色々な気づきを得たと話すAAAMYYY(Cho, Syn)や、1人の時間が増えたことで曲全体が見えるようになり、自分に自信がついたと話すNatsuki(Dr)、そんな個々人の変化を孕む今作だが、小原綾斗(Vo, Gt)は、曲の作り方は変わらないと言う。

小原「今回、“大東京万博”以外は最初のアレンジから(BREIMENのフロントマンの高木)祥太に制作に入ってもらったので、それが音的にも影響出てるのかなと思います。アレンジというか──今回、特殊なレコーディング方法だったんですよ。今までは僕が作ったデモをスタジオに持っていって、みんなでアレンジを練っていく感じだったんですけど、今回はコロナの影響もあって、リモートでデータのやりとりをして、データ上で一度デモを完成させていったんですね。それを持ってレコーディング前にスタジオにみんなで入ってベースとドラムの骨組みを作って。そこで祥太のアイデアも加わっているので今までとは違う要素が入ってると思います。ただ、自分の曲の作り方に関してはいつもと変わらないですけどね。ひとつのテーマを抽象的になぞっていくように曲を作っていくという。ただ、その曲の内容から感じることが、身近なものに置き換えられるところがあるのかなとは思います。でも、メッセージ性はないですけどね。」

Tempalay、覚醒す。壊れゆく世界に生きる切なさとおかしみを音に”より引用

メッセージ性はないと語る小原の音楽的な根幹は、郷愁だと言う。自分の心象に創作物が触れた時に胸がぎゅっとなる感覚、その郷愁感とも言える“いい感覚”を作品作りの基本的な思考に携えていると語る小原に、筆者は素敵な音楽観だなと感嘆した。
ここから、今作のコンセプトについてのインタビューを引用しつつ語ろうとしたのだが、これに関しては、そのパートを丸々抜粋したいと思った。それほど、一言一句が本記事の重要な要素であり、変に引用せず示さなければならないと感じた次第である。

―綾斗としては、テーマが変化していって、2020年の様相も必然的に感化されつつ、最終的にたどり着いたテーマを言葉で言い表すことはできますか?
小原「コロナのことを世の中はすごく騒いでいましたけど……俺は自分が実際に見たことのある自然の驚異とか美しさに意識が向いて。俺たちがコロナにどれだけ騒ごうが、自然には関係ないんですよ。」

―中国の山水画家、郭煕の画論『臥遊録』からの引用でもある“春山淡冶にして笑うが如く”と“冬山惨淡として睡るが如し”という楽曲タイトルが象徴的だけど、そういう森羅万象に対するまなざしですよね。
小原「そうですね。そういう大きな存在としての自然と人間の間に挟まってる世界観を音楽にしたかったというのはありますね。上手く言葉にできないですけど、自然の世界に行くと、こちらの世界がものすごく滑稽に見えるんですよ。ただ、そういう圧倒的な自然の世界に人間は絶対住めないわけで。人間が「きれいやなぁ」って言ってる自然は表面的な場所であって、本当の自然はもっと奥にあるじゃないですか。」

―空撮で切り取ったら美しいと思うけど、実際にその中に入ったら命の危険が隣り合わせにあるかもしれない。
小原「一歩入ったら出てこれないところもあるし。でも、そういう厳しさがあるからこそ美しくもあるという。そういうまったく人間が住んでない場所としての世界と、どうしたって自分たちがいる現実の間にある皮肉を表現したかったというか。」

―そのうえで肉体的には生きてるんだけど、死後の世界を想像しながら音楽で遊ぶみたいなトリップ感が生まれたのかなと話を聞きながら思ったんだけど。
小原「それがあの世って言うのかわからないんですけど、結局、生きてる人間は、死ぬ感覚も、死んだあとのことも、誰も知らないじゃないですか。だから想像のしがいがあって。あと俺は人の生き死にに対する周りの反応とかにもすごく興味があって。人の生き死にに対する価値観って多種多様で、それってある意味ものすごく無責任だなと思うし、面白いんですよね。そうすると、人が生きたり死んだりすること自体が多面的ですごく面白いと思う。だから死生観って面白いんですよね。さっき話したことにも繋がりますけど、生き死にというちょっと触れにくいことをまったく逆の側面から見て面白く扱ったときに見えるものが美しくもあるという。それは僕の好きなヨシタケシンスケさんという絵本作家の言葉でもあるんですけど。角度を変えて伝えることで如何様にも感じられるというのは、なんでもそうだと思うんですよ。今の世の中に対してもそうだし。だからやっぱりユーモアが重要なんだと思いますね。」

―今話してくれたような感覚は幼いころから持ってますか?
小原「それを死生観という捉え方はしてなかったけど、変なものの見方はしてましたね。人って記憶で形成されてるじゃないですか。それを放出することってなかなかないと思うんですよ。でも僕らみたいに音楽を作ったり芸術をしてる人は、それを作品で放出している。そうすることを通じて自分の記憶を身に纏っていくんですよ。それで本来の自分に気づくというか。死生観かはわからないけど、今回のアルバムは今まで触れてなかったそういうところに触れたんやと思いますね。」

―このアルバムからは芸術に身を賭してるとか関係なく、「こんな時代だからこそ誰もが表現者たれ」というメッセージを感じるんですよね。その核にあるのが綾斗の郷愁に対するこだわりなのかなって。
小原「郷愁も人それぞれが持ってるじゃないですか。それを感じてアウトプットするのは、自分の表現でしかできないと思うので。みんなじつはどこかで何かしら表現してるのかもしれないとも思うし。」

―シンプルに、なんで『ゴーストアルバム』というタイトルにしたんですか?
小原「単純に生きてんのか、死んでんのかようわからん1年だったというのもあるし、さっき指摘してもらったように幽霊の気分というか、死んだ気分で楽しんだほうがいいんじゃないかということですね。」

Tempalay、覚醒す。壊れゆく世界に生きる切なさとおかしみを音に”より引用

コロナ禍に限らず、今の時勢を取り込み、概念的なものを音楽として表現していく。しかし、その環境からの影響を受けてもなお、根幹である郷愁を軸とし、時勢を描いてもなおメッセージ性はないと語る。どこまでも自分の音楽の軸を持ちながら、時代の流れに揺蕩うその姿に思考ではなく感覚で魅了されるのだ。


フェスとは、ライブとは、音楽とは

11, 日食なつこ『音楽のすゝめ』

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ここまで長々と、各アーティストのインタビューを引用しながら私見を綴ってきたが、この曲を帰結としたい。2021/3/10にリリース、同日にMVも公開された『音楽のすゝめ』は、この現状に対して明確にぶつけられた感情と、そこにある確かな音楽の核を表現した楽曲だが、制作のきっかけは『ROCK IN JAPAN FES.2019』でトリを務めた10-FEETのアクトだと語る。

日食なつこ「この曲は、コロナ禍になる前からあった曲です。2019年の夏、<ROCK IN JAPAN FES.>に出させていただいたんですけど、自分の出番が終わったあと、普通にお客さんとしてGRASS STAGEを観ていたんですね。ちょうど、その日の大トリだった10-FEETさんが演奏していて、そのライブが本当にすごかったんです。「これがメインステージのトリをやる人のライブなんだ……」っていうか、もう会場にいる人たち全員の心を持っていくようなすごいライブで。「ああ、まだまだ自分はダメだな。ここまで届けられないや」みたいなことを思いつつも、そのときの会場の熱を忘れないようにしようと思い、その日家に帰って、そのままピアノの前に座って書いたのが、“音楽のすゝめ”のサビ部分の歌詞なんです。」

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗 | 音楽のすゝめ”より引用

“短い夢を 朝が来れば幻と化す夢を 後先もなくかき集めてしまう 馬鹿な僕らでいようぜ”
フェスの楽しさを伝えようと書いた曲だと語るように、まさしく、音楽フェスが持つ感情をさらけ出せる夢のようなひと時を謳った音楽文化へ捧げる賛歌である。しかし、リリース前に世の中は一変する。そんな変化によって、家という閉ざされた空間のみの生活が続き、好きなアーティストの音楽を聴くことのみをし続けた結果、多くの気づきを得る。

「そうやって久しぶりに「日食なつこ」ではなく、ひとりのリスナーとして音楽を捉えることができたところもあって……。やっぱり、音楽は素晴らしいなって思ったり、音楽を聴く行為は、ともすれば、ある種自己中心的な行為でもあるなって思ったり。自分の好きなアーティストに理想像を張り付けて、自分の都合よく解釈して、勝手に力をもらったり。音楽を聴くことは、すごい自己中心的な行為だなっていうのを、その数ヵ月間の体験を通して、すごく思ったんです。もちろん、それは音楽の在り方として正しい在り方だとは思うんですけど、だからこそ、そこで忘れていけないことがあるというか、そこである種、教訓的なところを図らずも得て……「これこそ、“音楽のすゝめ”なのかもしれない」と思って、“音楽のすゝめ”の歌詞をちょっと書き直したんです。たとえば、《一つ、知識や偏見をまず置いてくること》っていうのは、誰かがあのバンドはこうだよって言っていたとか、まずはそういう情報無しで聴くのが大事でしょうとか、その数ヵ月でいろいろ気づいた自己中心的な部分を羅列していくような形に書き変えました。それが今の歌詞なんですよね。」

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗 | 音楽のすゝめ”より引用

好きなアーティストから力を得ることを自己中心的だと捉えながら、それを敢えて強く訴えかける姿勢に、音楽という文化に対する深い愛を感じる。音楽への深い愛は、社会に対する訴えも孕み、大きな声となり世界に提示された。リリースの際には、しっかりと楽曲に込めた意味をコメントとして明示した。

2019年夏。某大型フェスに出演した際、自分の出番が終わった後に一番大きなステージの大トリのライブを観に行きました。そのステージがそれはもうひっくり返るくらい素晴らしくて、この記憶は絶対忘れたらダメだと思いフェスから帰宅したその夜のうちに衝動に任せて4行だけの歌詞を五線譜の裏に書き殴りました。それが「音楽のすゝめ」サビ部分です。
あれから1年半。音楽の居場所がすっかり限られてしまった今、あの大トリのステージを観られたことは僥倖だったと感じています。音楽業界総員が停滞した市場に苦しみまくっている今、改めて 「音楽ってなんか役に立つのか?」ということを冷静に考えた時、あのステージの光が音が、真っ先に蘇ってきたからです。「理屈じゃねえ。手放せるわけがねえ。音楽が好きだからこんな苦境でも直感で音楽にしがみつくしかないんだ悪いか!」という、音楽馬鹿として超優等生な答えが腹の底から跳ね返ってきました。業界総員、そう逆ギレしていてほしいと願いました。
音楽を鳴らす者、売る者、浴びる者…全ての音楽人に必ず再び訪れるべき夜明けの時まで、 幻でもいいから夢を見続けることだけはやめずに続けていてほしいです。そして、そのための1本の旗のような目印が今は必要な時です。

今作「音楽のすゝめ」、その1本の旗として、世の中に堂々提示します。

強いメッセージ、外に向かって叫びたかった音楽を愛するものたちの胸の内が、このコメントを通して、『音楽のすゝめ』を通して、声高に響く。ここで言う“旗”は、自分の存在を死後も示す信念的なものだと語る。そんな信念に心震わされたものたちが、声を上げて突き進む。そして最後に、コロナ禍の変革ともう一つ込められた意味を伝えて、インタビューを締めくくっていた。

「まず、暮らす場所が変わったのが大きいですし、そこでちゃんと音楽ができることが証明されたことも大きいですよね。そう、今はみんな、コロナ禍の中にあって、さなぎの中のグチャグチャな状態みたいな感じというか、ある意味何でもありな状況、どの手段を選んでもオッケーな状態だと思うんです。その中で、何を選んでも正当化できる準備を、今はしておく時期なのかなと。それは、私自身もそうですし、音楽業界の方全員が「今、自分がこの武器を選んだのは、こういう理由だから、行くぜ、止めるなよ」って言えるための時期かなって思うんです。」

━━そう、この“音楽のすゝめ”には、「音楽よ、進め!」といったニュアンスもあるような気がしました。
「そうですね。メロディと合わなかったので採用はしなかったんですけど、最後「音楽よ、進め!」みたいな歌詞で締められたら「めっちゃカッコ良くない?」って思って。まあ、それはうまくいかなかったのでやめたんですけど、もちろんそういう意味合いも――「音楽よ、頼むから止まらないでくれ!」という思いも、この曲には込められているんです。」

「流されず、変わり続ける」日食なつこが掲げる旗 | 音楽のすゝめ”より引用

音楽が突き進むための力、音楽文化への讃美、社会に対する訴え、それらを個人的な気付きを通して歌と成す。この歌は正にコロナ禍において呼び起こされた音楽の核である、そう感じたのでこの曲を雑記の帰結の曲とした。


あとがき

さて、11名のアーティスト、それに伴う9枚のアルバムと2つの楽曲を通して、この変革の時代に音楽がどのように生きていたのか、その一端を語らせてもらった。ここに書ききれなかったが、この期間に素晴らしい楽曲制作やライブをしているアーティストは無数に存在する。打首獄門同好会の『2020』、秋山黄色の『FIZZY POP SYNDROME』、藤原さくら『SUPERMARKET』といったアルバムには驚かされたし、UNISON SQUARE GARDENの田淵智也が抱く、制限があるライブへの考えも興味深く素敵だった。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が書き続けているブログも、音楽を愛しながら現実としっかり向き合っていて感嘆した。『JAPAN JAM 2021』ハルカミライの橋本学、『VIVA LA ROCK 2021』HEY-SMITHの猪狩秀平のMCは、一生忘れることがないほど胸を打たれ涙した。京都大作戦前日中止となり打ち拉がれる中、10-FEETが出した声明はどこまでも温かく優しいもので、何か姿勢を正されたような気分になった。繰り返すようだが、今回挙げられたアーティストはほんの一部である。そんな沢山のアーティストが、色々な思いを抱え、様々にアプローチし続けていることで、筆者のようなしがない音楽ファンは確かに救われている。だからこそ、それに尽力してくれている方々には感謝しかない。

音楽好きの単なる雑記が2万字超にもなってしまったが、これを読んだ人に、音楽の心動かす何かが伝わったら嬉しい。

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