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【ADVゲームレビュー】ワールズエンドクラブ / Nintendo Switch (2021)

ワールズエンドクラブ / Nintendo Switch

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ダンガンロンパシリーズの小高和剛と、infinityシリーズや極限脱出シリーズの打越鋼太郎のタッグで制作されたアドベンチャーゲーム。

Apple Arcadeでゲリラリリースされた半年後、Nintendo Switch版がドロップ。
Nintendo Switch版は、実質的な完全版の位置づけで、Apple Arcade版では描かれていない物語の続きが描かれている。
プレイ時間は約10時間と、やや短め。
日本縦断、と言いながら、九州~東京で終わってしまうため、東北編に繋がることを期待していた東北出身者としては、少し肩透かしだった。

全国から落ちこぼれの小学校6年生が集められた特殊クラス、通称「ガンバレ組」。
本作は、旅の途中で出会う雪も含めて、十二支がモチーフとなったガンバレ組の12人が主人公となるジュブナイルものとなるのだろう。
修学旅行に向かう途中、隕石が落下。
気が付くと、海底遊園地「World's End Land」の中で幽閉されていたガンバレ組のメンバーは、移動中に見ていたホラー映画から飛び出したキャラクター・ピエロピによって、映画の内容通りのデスゲームに巻き込まれてしまう。
プレイヤーは、リーダー格・れいちょの視点を借りてゲームに参加することになるが、全員が正気を取り戻したところで、ガンバレ組のメンバー・パイにより、デスゲーム中止が宣告されると、物語は少年少女のロードムービー的な作風へと移行していく。

デスゲームは見せ球であり、本筋は、人がいなくなってしまった世界の中で、ぶつかり合ったり仲を深めたりしながら東京を目指すアクションアドベンチャー。
旅の途中で特殊能力に覚醒していくメンバーたちを操りながら目的地にたどり着く、2Dアクションパートが要所要所で挿入される。
率直な感想として、このアクションパートがもっと面白ければな、と。
相手の弱点や特性を見極めて、キャラクターを切り替えながら進むのかと思ったのだが、使うキャラクターは自動設定されるため、パズル要素が陳腐化しているような。
その結果、火を噴くか、電気ショックを飛ばすか、等の違いだけで、ガンバレ組の特殊能力が攻撃特化型のものばかりになってしまった感があり、覚醒パターンも一辺倒に。
もう少しメンバーのパーソナルに深掘りできたのではないか、と思ってしまう。

一方、ストーリーは、さすがの打越ワールドである。
そのネタを、こんな序盤で出してしまうのか、と驚くほどの仕掛けを次々と畳みかけてくるので、常に謎と驚きに満ち溢れていた。
細かい点に言及すればツッコミどころが多いのは相変わらずなのだが、青春群像劇的な勢いに飲み込まれて、トゥルーエンドまで一気に駆け抜けたいシナリオ。
ナンセンスな下ネタをファンサービスだと思っている節があるのは、そろそろ時代錯誤だと気付くべきとは思うものの、それなりにヘヴィーにもできそうなストーリーを、明るくコミカルなノリを維持したまま最後まで突き抜けるスタイルは、この手のアドベンチャーゲームでは新鮮だったのでは。
メタ要素も上手く使っていて、アイディアとキャラクター性が炸裂した作品であったと言えよう。


【注意】ここから、ネタバレ強め。


トータルとしては面白かった、というのが前提として、それでもツッコミどころ(あるいは考察の予知)をいくつか挙げたくなるのが、この「ワールズエンドクラブ」というゲームなのかもしれない。

まずは、良くもあり、悪くもありな部分なのだが、れいちょの正体について。
バニラの秘密を序盤で出すことによって気を逸らせ、その後にれいちょの正体を示したことで、驚きは倍増した。
れいちょが作中で喋らないのは、"プレイヤーの視点人物だから"ということで納得してしまっていたのだが、ゲームの世界でも本当に一言も喋っていなかったとは。
当然ながら、この仕掛けが本作中ではもっともインパクトを放っていて、改めて最初からプレイし直したくなる深みを与えているのだが、副作用として、主人公が交代することになる。
そのため、感情移入する対象を失って、エンディングに向かう怒涛の流れに乗り切れないというプレイヤーを多く生み出すことにもなっていたように思うのだ。
自我を得ることによって、喋ることができるようになるというエンディングも、そういった層から見れば、理由や経緯が省略されすぎていて、ご都合主義的な感覚を助長することになっていたのかと。

また、MAIKのスタンスにも、説明が足りていないと思われる点が。
"人類羊化計画"の羊飼いにするため、感情を奪われなかった子供たちをガンバレ組に集めたというのは良いとして、総本山である海底遊園地で、バニラが洗脳を解くために暗躍していたのを、何故放置していたのだろう。
霊体のバニラには干渉できなかったのかもしれないが、終盤では本体への酸素供給を減らすことで霊体を消しているので、コントロールはできたはず。
好意的に考えて、洗脳は能力の覚醒を促すため。
バニラのデスゲーム計画によって覚醒するメンバーがいるかもしれない、と踏んだと解釈すればいいのだが、能力の発動条件は、攻撃性よりも協調性の中にあるようなので、デスゲームで覚醒するとも思えず。
結果的に、その後の旅の中で全員が覚醒しているので、さすがはMAIK、そこまで見越していた!と捉えればいいのかな。

加えて、教団や教祖の立ち位置がよくわからない。
MAIK側の人間なのは間違いないのだが、だとすると、何故大切な羊飼い候補を儀式の生贄としてギロチンにかけようとしたのだろう。
計画の全貌は教祖でも知らなかった、彼らが羊飼い候補だとは気付かなかった、という仮説は成り立つものの、ここでもMAIKは放置を選択している。
もっとも、ここでは実際に覚醒したメンバーが登場するので、あえて泳がしたという線は消えないのだが。

最後に、各地のロケーションを売りにしていたわりには、あまり地域性が活きていないのだよなと。
人がいない世界だから、コミュニケーションも生まれない、という側面もあり、アクションシーンの背景にするしかなかったのだと思うが、福岡については何故か雪山だし、発生するイベントもローカルな要素とは無関係に発生。
例えば、福岡で"カラムーチョを食べて火を噴く"覚醒をするチュー子だが、覚醒のきっかけは辛子明太子でも良かったわけで、もう少し全国各地を旅しているのを実感できるエピソードが欲しかったな。
ここは、考察がどうこうという話ではなく、単純にもったいなかった点であった。

もちろん、評価できる点も多くて、最たるひとつは、パラレル世界の記憶の保有についての理由付けが斬新かつ明確であること。
様々なルートを経由して、最終的にトゥルーエンドに辿り着くというパターンが多くなりがちなアドベンチャーゲーム。
別ルートで得た情報を知っていることについて、明確な理由が示されないこともしばしばあるのだが、異界人=プレイヤーと干渉する能力をポチの特殊能力として与えることで、一番難しいループした記憶の解釈に納得感を与えているのである。

いずれにしても、2周目でも面白さが持続するのは、単に1周目と逆の分岐を選ぶから、ではない。
どうして、れいちょ、バニラ、ポチは洗脳がかかっていなかったのか。
この辺りの理由を知ったうえで周回すると、同じシーンでも味わいがまったく変わってくるからなのだ。
ライトな雰囲気で、濃厚なアドベンチャーを。
エンディングのパターンはシンプルに二通りだが、この作品については、突き抜けたハッピーエンドだけで十分だ。

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