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インド旅行記「4:井戸の底には時間が沈んでる」

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時間になっても車が迎えに来ない。
まあそのうち来るだろうと思ってでかいトカゲを眺めるなどしていると、道が塞がっててそっちに行けないぞという旨連絡がある。
宿を出て小道を進むと、昨日までどこにもなかった大量のレンガが山積みになって道を塞いでおり、あまりの訳のわからなさに笑った。ドライバーは車から出て木陰で涼しくしていた。

「象が出てくるよ」と言う。
すぐに、脇道から巨象がぬっと現れる。褪せた極彩色のペイントを施され、上に人を乗せた疲れた象である。出勤だろうか。路地裏から急に湧き出たみたいだった。
インドで人に使役される象は、サイズの割に威圧感というか、存在感がない。でも、だからこそ、突如これが怒り狂ったりなどしたらさぞ怖かろう。車で追い抜きざまに、感情のない仄暗い目を見てそう思った。
これまでに見た全ての人間の顔を覚えていそうな目だった。

本当に急に現れた

アンベールエリアを後にする前に、ANOKHI Museumに寄る。
ANOKHIはジャイプルのファッションブランドである。前日に行ったカフェに店舗が併設されていて、いい感じの衣類がたくさん置いてあった。価格もユニクロと同じくらいで、とにかく軽くて着心地がよいので、すっかりファンになっていたのだ。
ミュージアムでは職人の作業なども見れるという。

砂っぽい路地を車で行くと、ミュージアムがあるとされる場所にたどり着いた。しかし門は閉ざされているばかりで人の気配がない。
門のそばで暇そうにしている人に聞くと、雨季の間は閉まっていると言う。がーん。
すごすごと戻るとドライバーが気を利かせて、他のANOKHIを調べてくれていた。
なんと市街地の方にもANOKHI Museumがあるではないか。

山を降りてそのミュージアムがあるとされるエリアにやってくる。にぎやかな幹線道路から2路ほど奥まった通り。
舗装されていない乾いたやけに幅の広い道、左右に並ぶ店舗はどれもシャッターが降りている。
空想上の寂れた炭鉱街のようだった。

件のミュージアムはその一角にあった。
車から降りて近づく。
倉庫のような建物の入り口に、昭和の映画館のように木板にペンキでデカデカと「ANOKHI」と描かれた看板が掲げられている。
圧倒的に偽物だった。

ロケット団がピカチュウを捕まえるために用意した罠レベルのクオリティである。
あまりの雑さに半笑いで写真でも撮ろうかと思っていると、本当にどこからきたのか、2〜3人の男がこれも湧き出るように現れる。
「こんにちは、ニーハオ」「アノーキー?ここですよ。」「ベストプライス」「お茶が用意できてるから入って飲め」
その全員が真顔である。

コミュニケーションを遮断して早歩きで車へ戻る。まあもういいかと思っていたが、ドライバーは近くに第三のANOKHI Museumがあるという。それならと、そこまで走ってもらった。
第三のANOKHI Museum。それは昨日行ったカフェだった。
そのことに気がつくと、ドライバーは何かをヒンドゥー語で呟いて、ニコッと笑って、急発進でその場を去った。

仲良しだが荷台の上である

井戸に行くことにする。

ジャイプルの名所というくくりではあるものの、井戸は市街地から100キロほど離れた小さな村のはずれにあるという。
商店があるかもわからないし、そこで売られているものを我々が口にしても大丈夫かわからない。
水などを買うため、市内のスーパーに寄ってもらう。
インドのスーパーにはガードマンがいる。しかも3、4人。その全員が同じ服を着て、同じように退屈そうにしている。木陰で寝そべったりしている。

ムンバイも同じだったけど、路上にただ何もせず「居る」人間の数が圧倒的に多い。
日本で道を歩いていると、これ全部動く歩道になったら便利なのに、と思うことがある。
でも、ジャイプルのこの、木陰で寝そべって行き交う車を見ているおじさんたちは、ここが動く歩道になったらとても困るだろう。根本的に道というものの在り方が違うのだなぁと思った。

外は暑いが、スーパーは寒かった。エアコンが自身の冷却性能を誇るようにガンガンに冷やしてくる。
宗教上の理由からベジタリアンが多いため、肉・魚の冷凍食品は最も奥まった、トイレットペーパーや輪ゴムなど、あんまりスーパーで買わない系の棚の影に、生の肉・魚はさらにそこからガラス戸を隔てて別に作られた区画に隔離されていた。

同じような理由で酒類も大っぴらに売られてはおらず、別ブースや地下などにまとまって置かれている。お酒はビールもワインも安くて美味しいです。

色々物色したが結局飲料水(雨水精製水。めちゃくちゃ安い)だけ買って出る。宿泊費の精算で細かいお金を使い果たしており、高額紙幣を出すと、店員にものすごく嫌な顔をされる。
細かいお金がないかともたもたしてると、ため息をついてレジの底から細かな紙幣をどんと出し、お釣りをくれた。
退店時、ドア係(ガードマンと別にいる)にレシートを見せろと言われる。
が、しかし癖でレシートをもらっていなかった。
同時に、先ほどのスタッフが犬を呼ぶような声を出す。カウンターから片手でレシートをヒラヒラさせている。ドア係は通してくれた。

冷凍製品が主であった
屋号があるのでスーパーとは別店舗扱いなのかもしれない。

車はあるがドライバーがいない。携帯で呼ぶと、すぐそばのフルーツ屋台で店員とおしゃべりしていた。カウンター越しではなく、店員サイドで。
小学校からの友達なのだろうか。そのくらいの距離感だった。

乗り込む。
「どこに行く?」
「階段井戸に行きたいんだけど」
「階段井戸って……あれ?あの、でかいやつ?今日?なんで……?」
過去一露骨に嫌そうな態度になる。遠いもんね……。
この後奥さんや事務所など、色々なところに連絡している雰囲気から察するに、この数日は結構あちこちに行ってたから、今日は早く帰れると信じていたようである。
申し訳ない気持ちになる。
でもこちらも、それを見たくて注射を何本も打ち、狭い狭い格安航空を乗り継いではるばるやってきたのだ。
友人は「彼にも長距離手当が出るから」と泰然自若としている。ルピーを信じよ。なのだ。

市街地から外へ出る。すぐに大きな交差点で信号機待ちをする。
あんまりジャイプルで信号待ちをした思い出がないが、その交差点は幹線道路が交差するためか、たくさんの車が信号待ちをしていた。
すると、車の隙間を縫って老若男女あらゆる人々が、手に手に色々な品を持って車の窓をノックして回り始める。
こちらにも赤いショールを巻いた小学生くらいの女の子がボールペンの束を持って売りに来た。
事前の打ち合わせで物売りには応対しないと決めていたので、無視する。
女の子は窓をノックして繰り返し呼びかけてくる。悲壮感を漂わせるわけでもなく、壊れたテレビか動物園の愛想のない動物を見るような目をしている。
それでも直視はできず、前に目をやると、前方の車に煤煙や砂で真っ黒になったおじいさんが近づいていく。懐から自分と同じくらい真っ黒な雑巾をさっとだし、窓ガラスを手際よく拭く。すると車の窓がほんの数センチだけ開いて、紙幣が手渡された。
やるなぁ、と思った。
赤信号が切り替わるのを察知して、女の子はスッとどこかへいなくなった。

全体的にジオラマ感が漂う風景であった。木の点在する感じかもしれない。

車は高速道路のような道を走り出す。犬と牛のいる高速道路だ。

ドライバーはやり尽くしたゲームのように車を飛ばす。120キロくらい出ている。しばらく不機嫌だったが、やがて「あれは火事で焼けた森だよ」とか、「あの煙は体に悪い」とか「あれはハヌマーンを祀っている」とか教えてくれるようになった。

道路沿いは基本ヤブと枯れた森ばかり。商店や石材店が点在し、時折、べらぼうに大きいチープな神像や、古く美しい石造りの建造物が現れては消える。それが延々と繰り返される。

とてつもなく巨大なトラックが横倒しになっているのを見た。
荷台からザクロの実がたくさん転がり落ちている。
何かと思いっきり正面衝突したのか、運転席がぐしゃぐしゃに潰れている。

人だかりが現場を見つめている。(高速道路だが町中を突っ切ったりするので普通に人もいる。)
あぁ、運転手は死んだんだな……とわかった。
なぜわかるのかわからなかったが、すんなりと確信した。
ドライバーが小さな声で何かを呟いた。


小さな村だった。
灰色の巨鳥が枯れた枝に絡まって死んでいる。全体に、牛糞と油粘土が混ざったような不思議な匂いがする。

井戸はどこにも見当たらない。古めかしい石塀が巡っているが、見た目は単なるインド版ブロック塀である。その向こうに写真で見たようなスケールのものがあるとは思えない。

チケットを購入する。
フリーのガイドがビジネスチャンスを嗅ぎつけてやってくるが、無視してゲートをくぐる。
チケットを買った様子もないのに、ガイドもなぜか一緒に入ってくる。特にこちらに話しかけてはこない。

荒れた庭園のような場所を歩く。
巨大なアフタヌーンティーセットのような機材に、おじいさんが穀類や果物を載せている。
それが腐って異常な悪臭を放っている。
ヒンドゥーのある宗派では鳥に捧げ物をすると徳が積まれるのだという。
確かに鳥もやってきていた。

和やかな犬も歩いていた村

塀の中に入る。
ペラペラの壁だと思っていたそれだったが、入ってみると内部に部屋と言えるくらい広い空間を抱えた、城壁に近い建造物だった。
薄暗く、全体の広さもよくわからない。柱には植物が絡みつくモチーフの彫刻が施され、壁には花のレリーフや幾何学模様の透かし彫りが刻まれている。
その繊細な彫刻空間の真ん中に町内会みたいな長机が置かれ、そこに2、3人のガードマンが座って暇そうにこちらを見ていた。
みんなニコニコしている。チケットを確認してもらう。

「どこから来たの」
「日本」
「ありがと〜。こんにちは〜。また明日ね〜。」

暗闇から出る。
太陽で熱された石の放つ、東京的な逃げ場のない暑さに包まれる。

入り口にいたでかいとかげくん

見たい見たいとは思っていたが、私たち、ここ数日間歴史ある石を見慣れすぎていて、さすがにそこまで感動しないだろうと思っていた。

だが、感動ではない別のショックに打ちのめされた。
畏れだった。

子供の頃、地元の海で泳いでいて岸から離れすぎ、手も足も海底につかなくなった時の、基準が失われる恐怖と自分が溶け出すような解放感の融合体。イメージや知識を超えて、自分よりもはるかに大きいものに直接触れるその肌触り。あの瞬間の感覚に最も似ていた。

ひとつひとつは表彰台のようなごく簡単な構造の凸ユニットが、数万個も集まって、深さ30メートルの広大長大な竪穴を構成している。
井戸と言っても貞子の基地のように円筒型ではない。国会議事堂をひっくり返して埋めたような、下にいくにつれて窄まるロの字型の穴だ。
うち3面はすべて同じユニットの集合体だが、1面だけは豪華な装飾を施された神殿になっている。
神殿の影でおじさんたちが昼寝していたり、なんらかの歴史的な石の上で若いガードマンが日光浴している。

フチに立ち、恐る恐る底を覗き込む。無限の幾何学模様に彩られた奥底には、動かないエメラルドグリーンの水が湛えられている。水中に沈む壁も同じユニットでできている。
我々の頭上から竪穴へダイブした鳥が、羽ばたくことなく向きを変え、神殿の奥へと消える。鳴き声だけが反響して戻ってくる。

何百年もこうなのだ、と思った。
ここでは時間は一方向へ流れていない。感じ取れないくらいゆっくりとした渦を描きながら、井戸の底に溜まっている。
それはこの場が、何世代にもわたってぐるぐると積み上げられ続けてきたからだ。時間もその形になっている。
だから、我々が、一方に流れて戻ってこないと信じているその形だって、きっと、あくまで我々がそういう動きをし続けてきたからにすぎない。

異様に細かい彫刻がその辺に投げられていたりする

井戸を出る。
遺跡の外はだだっ広い草原で、遠くで子供がクリケットをして遊んでいる。細い電線に風が吹いて、音が鳴る。
こっちに手を振ってくれる。こちらも振り返す。

民家にしか見えない建物からドライバーが出てきて、我々も車に乗る。


ジャイプルに戻り夕食を食べ、ホテルに泊まる。

今晩以降はムンバイの友人宅に泊まるだけだ。せっかくなので、一晩だけいいホテルに泊まってみようということで高級ホテルに泊まった。

インドカレーのパッケージに出てきそうなターバンと髭のシーク教徒の陽気なドアマンに迎えられ、手荷物検査や金属探知をパスしてホテルに入る。
後で知ったが、ムンバイ同時テロ事件で被害に遭ったホテルの系列店であった。

エントランスでは綺麗な絨毯が敷かれ、奏者が静かにシタールを爪弾いている。
湯婆婆のオフィスにありそうなド派手ソファに腰掛けると、ボーイが花の浮いたお茶を運んでくれて、日本にまつわる楽しいトークを披露してくれる。その間に、別のポーターが荷物を部屋まで運んでくれた。

ムンバイでも体験することになるが、基本的にあらゆるものが日本よりもずさんなこの国において、金を積んで層を登ると比喩でなく普通に貴族のような扱いを受ける。
内田百閒のエッセイ『阿房列車』で百閒が一等車に乗った時、「死んだ猫に手をつけて下げたような」汚いボストンバッグをボーイに丁重に丁重に扱われ、つらい思いをしたという愉快なシーンがあるが、自分が実際に受けてみると愉快でもなくただ気詰まりだな、と思った。

花の浮いたお茶は、おばあちゃんが勧めてくる、風邪によく聞くお茶を薄めたような味がした。

→5へ続く


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