8~13冊目-ユーラシア横断宗教本の旅~『アルケミスト』から『親鸞と道元』まで(後編)
2月の「宗教本強化月間」の記録を綴る三部作の、ラスト3本目。
1本目で『アルケミスト』の始まりの地であるスペイン・アンダルシアから、聖書の舞台である中東世界へ、そして2本目でそこからダライ・ラマの故郷であるチベットを経由して、ブッダの言葉に近づくべくインドまでやってきました。
最後はブッダの語った「無我」の意味を追って、日本への伝来の道を辿ります。
公方俊良『般若心経90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』(1985,三笠書房)
般若心経も「改めて考えると中身知らない」パターンのもので、みうらじゅんや初音ミクの顔が浮かんだりはするけれど、たぶんここではおいといた方がいい話であって。
大陸から日本に伝わった大乗仏教の経典「大般若経」全600巻をわずか276文字に凝縮したもので、いま知られているのはあの三蔵法師・玄奘がインドから持ち帰って漢訳した版だという。
簡略がゆえに広く読まれて最も有名な経典でもあるのだけれど、簡略がゆえにブッダの教えを十分に説明できていない、あるいは誤って解釈している、などの批判を受けることもあるんだとか。
しかし私にはここで精確な仏教研究を展開する意図も力もないので、あくまで読書の記録として読んでいただきたく。
そんなこと今さらではあるのだけれど。
般若心経で有名なフレーズといえばこれ。
色即是空 空即是色
(色即ち是れ空、空即ち是れ色)
(形あるものはすべて空であり、空がもろもろの形あるものとなっている)
この「空」が般若心経の重要概念で、全276文字の前半部分のうちに7回も出てくる。
移ろいゆき滅びゆくものを意味し、絶対不滅なものなどない、ということを教えてくれている。
そしてこれに続く箇所で、それは「無」へとつながっていく。
是の諸法は空相にして、生せず滅せず、垢つかず浄(きよ)からず、増さず減らず、是の故に、空中には色も無く、受、想、行、識も無し。眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身、意も無く、色、声(しょう)、香(こう)、味、触(そく)、法も無し。眼界(げんかい)も無く、乃至意識界も無し。
(この世の一切のものの真実の相(すがた)は、みな空であって、生ずることもなく、なくなることもなく、垢れもせず、浄らかにもならず、減りもせず、増えもしない。故に、空が構成する実相の世界では、形あるものはなにもなく、感覚も、思いも、分別も、認識も、なにもない。そこには、眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もなく、また、形も、声も、香りも、味わいも、触覚も、心の作用もない。眼に見える世界から意識の世界までもない。)
ない、ない、ない、「なにもない」。
さらに続く。
無明も無く、亦(また)無明の尽きることも無く、乃至老死も無く、亦老死の尽きることも無く、苦、集(じゅう)、滅、道も無く、智も無く、亦得も無し。
(無明もなく、無明の尽きることもなく、老死もなく、老死の尽きることもない。また、苦も、苦の原因も、苦のなくなることも、苦をなくす道もない。さらに、教えを知ることもなく、悟りを得ることもない。)
苦しみもなければ悟りもない。とにかく「なにもない」。
この「空≒無の境地」がとにかく強調されるのだけれども、ここには気になるところが2つあって。
我欲を捨て去った「空≒無の境地」
1つには、これが「この世に価値あるものなど何もない」という虚無主義(ニヒリズム)と紙一重なんじゃないかということで、それは心の安らぎとはずいぶんと距離のある状態なんじゃないかと、そんなことを思ったところ、筆者の解説にヒントがあって。
空なる心とは、どのような心をいうのでしょうか。それは仏さまの心です。仏さまは、人が喜んだり悲しんだりしている姿をご覧になると、その人と同じ心で喜ばれ、悲しんでくださいます。それは、自己の心、つまり自我を空じておられるからです。
「空なる心」は「無感動」と同じではなく、自我や我欲を捨てて目の前の人と感動をともにすること。
喜怒哀楽でいうところの怒についてだけは、相手の鏡写しにならぬよう自制せよと語られてもいるけれど、そうだ、「慈悲」という言葉がある以上、仏が無感動であるはずもなく。
そしてもう1つは、先に引用した箇所の最後の部分、「教えを知ることもなければ、悟りを得ることもない」。
これは「教えや悟りは必要ない」ということではもちろんなくて。
おしえを”空じる”ということは、このおしえを学んで学び尽くし、実践し尽くして、思わずとも自然に真理のおしえが身につき、実践されるという境地に至ることです。ここに至ってはじめて”とらわれない心”になることができるのです。
「悟りを得たい」ということすら我欲とみなして捨て去って、実践のうちに悟りを体現せよという。
しかしちょっと待ってほしい、それじゃ「救われたい」と願うことすら捨てなきゃいけないって話になりはしないか。
過去累々の仏教徒の人々が、願ったり祈ったり、念仏を唱えたり座禅を組んだりしてきたのは、「救われたい」がゆえのことではなかったか。
日本にやってきた仏教は、「無我」と「救い」の関係を誤って伝えてしまったのだろうか。
この疑問の答えを探して、旅はいよいよ日本に辿り着いて。
ひろさちや『親鸞と道元 自力か、他力か』(1994,徳間書店)
「南無阿弥陀仏」の念仏の教えを説いた浄土真宗の親鸞と、「只管打坐」の坐禅の教えを説いた曹洞宗の道元。
タイトルにならっていうなら、「他力」の親鸞と、「自力」の道元。
対照的な形で仏道に向き合った2人の、その違いと、しかし深部で共通していたその哲学を、エピソードを交互しながら紐解いていく本書。
そしてあとがき、2人の思想が、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』のあらすじになぞらえて語られる。
彼らには大きな共通点がある。その共通点は、彼らは、-脱出-を考えていないことである。地獄から極楽に脱出しようなんて、彼らはこれっぽっちも考えていない。親鸞にとっては、阿弥陀仏がそこにおれ-と言われるのであれば、地獄は自己の「住み処」であろうし、道元にとっては蜘蛛の糸だけが「世界」である。そこのところに、二人の大きな共通点がある。
「脱出を考えていない」。
念仏を唱えれば、あるいはひたすら坐禅を組めば、それによって救われる、とは考えていなかったという。
ただすべてを「おまかせする」、その態度が共通項だと。
親鸞の『歎異抄』第一段から引かれる。
≪弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこゝろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり≫
念仏を唱え続けた<から>救われるのでなく、ただ信じて、おまかせして、そうすれば、念仏を唱えようと思い立ったその瞬間に(すなはち)救いは訪れる。
そして道元の『正法眼蔵』から。
≪ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる≫
わが身も心も離れて、仏の家に「投げ入れて」、あとは従っていればよい。リキまず、すり減らず、みずから仏になるだろう、と。
我を無きものとして、「救われたい」「悟りを得たい」という欲すら手放して、「おまかせする」。
般若心経の「空」の精神は、親鸞・道元も確かに伝えてくれていたようで。
「救われたければ念仏を/座禅を」という教えがあったように思えたのは、その後の伝道の中で歪められたのかもしれなくて。
(浄土真宗では般若心経は読まれないっていう話もあるようだけれどここではおいておく。)
あとは粛々と善業を積み、目の前の人とともに喜びあい、悲しみあう。
「無我の境地」は虚無主義的な「無感動」のことではなかったのだし、そうしてときに幸せを、ときに悲しみを感じながら生きること。
凡夫な私の想像力でも、穏やかな日々が描けるような気がしたりして。
しかし。だがしかし。
旅は続く
今日は3月11日。
いくら信心深く心安らかに暮らしていても、ときに巨大な不条理に襲われることはあるのであって。
自分の大切な人を突然奪われたとき、はたして人は「仏におまかせせよ」という言葉のもとに生きられるものだろうか。
「その死にも意味が」なんて辻褄合わせのような慰めでは到底癒えそうもないその悲しみに、仏はどんな言葉をかけてくれる/たのだろうか。
こんな日にはそう思わずにはいられなくて。
あのときその言葉を伝えるべく奔走した仏教者がたぶんいたはずで、そして同じように、決して「神の罰」などというのではない言葉を伝えたキリスト・ユダヤ・イスラムの人たちも。
そんな実践者たちの声を求めて、私の旅は続きそうです。
レポートはまたどこかで。
今日は、被災した方々それぞれの信じた神や仏が、亡くなった方々にも残された方々にも、救いを与えてくれるよう、祈ります。
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