見出し画像

着物の図案家について

図案家のルーツ
着物の図案家は明治以降、型友禅の発明によって生まれた職業です

明治時代になり、庶民も絹物を着るようになると、絹の染物の量産が求められました。

そのニーズに応えるべく、広瀬治助が化学染料を使う型友禅を発明し、着物の大量生産が可能になりました。

それ以前の絹の着物の図案(下絵)は、円山・四条派の絵師や琳派の絵師達が余技として呉服商などから依頼され、描いておりました。
それが、明治になり、着物の需要が拡大すると型友禅の下絵を描くことを専門にする絵師が求められ、結果、着物や帯の図案を職業にする絵師(図案家)が日本画家からの転身が発端となり、出現しました。


それが、私達 京都の図案家のルーツです。着物を量産する型染めには、型紙が必要なのですが、初期の型紙は人間の手で(図案をトレースして型専用特殊和紙に)彫って制作していましたが、現代の型紙は図案から忠実にトレースしたフィルムに感光する「写真製版手法」が採用されています。

現代では、さらに染色方法も様変わりし、型染め以外にインクジェットプリントという染色方法が主流になりつつあります。

その変化に追随するために、私達図案家も『手描きのアナログ図案』から『パソコンで描くデジタル図案』へと時代のニーズに合わせながら、作画方法や図案の納品方法の変化に対応する必要がありました。

この変化は、織物の図案(帯、紬、白生地など)も同様で、製造方法の進化(手織から機械織)によって図案のデジタル化が必須になりました。

ところで
和装商品には大きく分けて、二種類あります。
手間暇をかけて手作業を行う「手描き」や「手織り」の『工芸品』に属するもの。
そして、量産を目的とした「型染め」や「機械織」の『工業製品』に属するもの。
和装市場はこの工業製品によって支えられており、市場に流通する7割以上が量産品です。

着物産業の推移と共に・・・・
明治以来、図案家を育てる方法として一般的だったのは、徒弟制度による継承者の育成でした。それは最近まで受け継がれていました。

一人の図案家が一人前のプロとして活躍できるようになるには最低10年の歳月がかかります。
誰かに命令され、ただ、ひたすら描くだけなら5年でなんとかなるとは思いますが、その場合、企業などに所属していなければ、フリーでやっていくのはほぼ不可能です。

メーカー各社も景気の良い一時期は、自社に意匠室を作り、オリジナル図案の開発を手がけましたが、美術系の大学の卒業生を採用してからの育成期間(使い物になるまでの膨大な時間とコスト)を考えると、企業は自社で図案を描くことを諦めざるを得なかったのです。

それ以外に、既にフリーで活動している図案家を会社専属として引き入れているところもありましたが、例外的な存在でした。

結果的にメーカーなどの企業は図案家育成を諦め、和達達のようなフリーの図案家に依頼することが京都の分業制の中では当たり前のこととなり、今日まで続いてきました。

しかし、このやり方ではプロの図案家の育成は個人の図案家に委ねられ、多くの意味でやはり限界がありました。

実は、大正時代から昭和の初期にかけては図案家の絶対数が足りず、図案家を養成する学校も創設されました。
さらに、大手百貨店の呉服部では懸賞図案を募集するなど、新たな図案家の発掘に注力しました。

しかし、第二次世界大戦を境に着物を取り巻く環境が一変し、図案家を育てる環境も激変してしまいました。

再び活況から不況へ・・・
やがて戦後の復興と共に、再び女性を中心に着物の需要が増しました。
特に昭和30年代後半から昭和50年頃までは、着物は飛ぶように売れました。
そのような状況下で経済的にゆとりができた図案家達はアシスタントとしても役立つ弟子を募集し、しばらくの間は活況を呈しました。
私もその時期に師匠の元に弟子入りし、学び、現在に至っております。

しかし、時代は移り変わり、日本人のライフスタイルも変化し、着物に纏わる産業構造が需要の減少により激変しました。

最も顕著だったのが「お道具需要」が激減したことでした。
お道具の最たるものは『花嫁道具』、つまり婚礼の際に嫁ぎ先に持参する一揃えです。

この結果、和装産業は戦後の最盛期の10分の1以下の市場規模にまで落ち込みました。
その為、着物や帯の図案家の仕事も激減し、徒弟制度で後継者を育てるどころか、自分の存続も危うくなってしまったのです。

そんな状況下で私は、「着物以外にも日本の伝統デザインを必要としている業界はあるはずだ」と信じて、一早くパソコンを導入し、アナログ図案からデジタル図案へと改革しました。

それが功を奏して、おかげで現在もこうして現役の図案家として活躍させていただいております。
しかし、アナログ図案に固執した多くの図案家が時代に取り残され、失職し、廃業、転業を余儀なくされました。

その後は現在までフリーの図案家は減り続け、今、古来から脈々と受け継いできた着物文化の一翼を担う本格的図案家が日本からいなくなるかもしれないという危機が目前に迫っています。

ところで、着物の図柄など、「絵心があれば誰にでも描けるでしょう」と、一般の人々はのんきに言いますが、それはとんでもない間違いです。

日本の伝統文化は型の継承で成り立つ
そもそも日本の伝統文化は「型の文化」だとも言えます。

茶道、花道、武道、書道、舞踊、歌舞伎、能、懐石料理、作庭、文学、・・・etc。
あげれば、きりがないほど伝統文化は『型』によって伝承されてきました。
そして、伝統デザインの『和柄』にも当然、型があります。もちろん着物も型の衣装です。

図案家を歌舞伎役者に例えると解り易いと思います。
歌舞伎では、どんなに演技の才能があっても、歌舞伎の型を知らなければ歌舞伎の舞台に上がることはできません。
逆に、「型」さえ身につけておれば、才能がなくても歌舞伎の舞台に上がることができると言われています。つまり型によって伝統は継承されてきたのです。
それでも並みの役者と名優の違いは、才能が左右します。
とにかく型を身につけることが役者を生業とする為の大前提です。

このことから
『型』がいかに合理性に長けた便利なものであるかがわかります。
実は和柄を描くには「描く為の型」と「意味を成す前提」が存在し、そのことは誰も公に教えておらず、着物の文様のプロと称する人達も知りません。
当然、その内容は本にすらなっておりません。

このように先人達が作り上げた『型』の存在が、様々な伝統文化が長年に亘り途切れずに継承されてきた大きな要因だと言えます。この意味においては、着物の図案も同様です。

このような日本の伝統的デザインの型は、残念ながら現在では美術大学では学ぶことができません。
何故ならば、美術大学には教える人がいないからです。

一部の専門学校で教えてはいるらしいのですが、現役のプロから学べるところはほとんどありません。

時々、「もう着物に伝統的な図柄なんていらないよ」という方もいらっしゃいます。
しかし、着物から伝統的な意匠を無くしたらおそらく着物を着る人も激減すると思います。
一生洋服で暮らしても何も困らない現代の日本において、なぜ女性達は着物に憧れるのでしょうか? 答えは明白です。

それこそが着物の魅力なのです。

ここで、重要なことは、
着物の魅力は「古いから」「懐かしいから」「物珍しいから」だけではないのです。
着物は、日本の先人達が千年以上かけて作り上げた美意識の結晶なのです。

実は現在、着物を着たいという日本人が女性を中心に増えています。
驚くことに海外にも増えているのです。

これは、着物業界にとって明るい兆しです。
現在、着物ファンから求められている着物はファッションとしての着物です。

伝統の型を踏まえていながら現代の女性達の魅力を引き立て、セルフブランディング効果を高める衣装として、その価値が見直されています。

図案家の将来性


私のような、伝統の型を学んだ図案家は、これから再び脚光を浴びると確信していましす。
時代は、大量生産大量消費の物質優先の豊かさから、地球環境に優しい心の豊かさへと人々が求める豊かさの価値が変化しています。

よって、図案家が活躍する仕事は着物だけに止まらず、さらに日本だけに止まらず、ワールドワイドに広がりつつあります。

日本の国内はもとより海外でも、日本の伝統的美意識を基軸にして生まれた、デザインや商品や伝統的ライフスタイルが、衣食住のすべての分野で着目され、多くの人々に取り入れられ始めているのはご周知の通りです。

今後は、デザイナーとして海外で活躍する夢を持つ若者の後押しをさせていただきたいと思っております。
このように、日本のメインカルチャーの一翼を担う伝統デザインのニーズは益々高まりつつあります。

因みに私が関わらせていただいている企業は、以下のような業種です。
和装関連、出版社、広告関連、印刷関連、寺社関連、紙製品、インテリア、葬儀関連、その他各種メーカー等々。

そんな時代のニーズに応えつつ、伝統の型を基軸に、若い人に着物の図案の知識と技を伝えたいと思い、着物図案教室を開講いたしました。

また、全国の和装関連の企業様、学校の関係者様、
条件次第ではありますが、定期的に出向かせていただき授業や講座を開催することは可能です。
お気軽にご相談ください。


できれば一人でも多くのプロを育てたいと思っております。
新たな後継者となっていただける人材と巡り会えることを楽しみにしております。

着物デザイナー 成願 義夫
着物図案教室
https://www.jogan-kimono-design-school.com/

よろしければサポートをお願いします。 着物業界の為、着物ファンの為、これからも様々に活動してまいります。