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チャップリン愛用のステッキは滋賀県草津の伝統工芸品だった

以前、チャップリン愛用の竹製のステッキが、滋賀県草津の伝統工芸だったというお話を聞いて驚いた。

チャップリンはこのステッキを草津の職人さんから通算50本以上購入している。

なんでも、このステッキを作られた最後の職人さんが先頃お亡くなりになり、残念なことに、この技術は途絶えたらしい。

ところで、チャップリンは大の親日家としても有名だ。

特に日本人が大好きだったようだ。

チャップリンは日本人にとても好感を持っており、一時は身の回りの世話をするスタッフを、多い時で17人の日本人で固めていた時期もあったとか。

そんなチャップリンはこんな風に日本人のことを言っていた。
「日本人は皆、正直で親切だ。何をやるに際しても信頼できる。そのため、日本人に非常に好感を持つようになった。やがて、こんな素晴らしい人々をつくり出している日本という国に行ってみたくなった」

言葉通りチャップリンはその後4度来日している。

特にチャップリンが最初に出会い、チャップリンの秘書を長年務めた日本人、高野寅市氏の存在が大きかった。

高野寅市氏とチャップリン

チャップリンは遺言で彼に遺産の一部を残している。

最後にチャップリンの代表作映画『殺人狂時代』(1947年作)の中で言ったセリフをお伝えする。

「1人殺せば殺人者だが、100万人殺せば英雄になる」

「戦争はビジネスだ」

このように、痛烈に軍需産業を批判した。

映画が公開されたのは、広島と長崎に原爆を落とされた2年後、つまり、原爆投下直後にこの映画の制作に取り掛かっていたのだ。チャップリンの悲しみと怒りがこの映画を作らせたと言っても過言ではない。

広島、長崎に原爆を落としたトルーマン大統領には耳の痛い言葉だったのだろう。

この後、チャップリンはアメリカを追放され、スイスで暮らすことになり、アメリカに戻ることができたのは、それから20年後だった。

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講師 成願義夫


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