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「残りの人生、何が残せるだろう」産後に思うこと

こんにちは♪ さかもとさとみです。

最近思うことを、つらつらと。

思いつくまま書いてみようと思います。

(私の頭の中と同じように、
 連想ゲームみたいにぽんぽんと、
 そして程よい余白と共に。)

* * *

「〇〇になったら、きっと幸せなのに。」

そう思いたくなることはあっても、
それは幻想かもしれないよと伝えたい。

もし時間があったら、
もしお金があったら、
もし行きたいところへ行けたら、…。

今足りないことに意識を向け続ける限り、

“もし”が実現しても
また次の“もし”が見つかるだけな気がする。

それよりも、“今ある”ことに目を向けて
そのあることの幸せを深く実感するための
工夫をすることの方が幸せへの近道。

朝、目覚めることができたこと。
好きなマグカップでお茶を飲めること。
noteを書く時間があること。

言葉にしてみると、案外、
色んなことが“ある”ことに気づく。

他にも、過去実現してきたうれしいことを
書き出してみたり思い出して浸ってみたり、

幸せを実感するための時間を取ると
渇望感が薄れて、何だかほっと落ち着く。

これなら、今外出を出来ない私でも
手軽に気軽にできる気がするな。

* * *

じっとしていることが苦手、
毎日同じ日々を送ることが不安。

そう思うのはなぜだろう?

“仕事”と想像すると、
急に畏まった気持ちになってしまう。 

責任感スイッチがオンになって、
身体がいつもより硬直してしまう。

そうなるのはなぜだろう?


ちょっとしたネガティブ感情や違和感は、
思考の捉われに気づくためのサインだと思う。

そうしたサインに、溺れてしまうのではなく、
サインの意味を遠くから眺めるようにして
ぼーっと考えてみる。


ああそうか、私は暇になることが怖いんだ。
慣れていないから。

忙しくしていなきゃ、という思考習慣が
いつの頃かずっと付き纏っていたのか。

ああそうか、私は父の背中を見る中で
勝手に父の責任感を感じとっていたのかも。

もっと肩の力を抜いてもいいんだよ。
その方がいい仕事できるかもしれないよ。


ぼーっと、そんな風に思った。

* * *

生き方について、参照枠を増やすために
色んな本を読んだりSNSを見たりする。

でも結局、
人によって言っていることはまちまちで、
矛盾に満ちている。


夢は持った方がいいとか
夢は持たない方がいいとか、

未来に目を向けようとか
今に目を向けようとか、

デジタル機器は子供に使わせない方がいいとか
上手く活用した方がいいとか。


個人的に思うことは、
極端に一般化された意見や考えは

ある背景があって成り立つものだったり
条件付き・状況次第なものだったりするし、

参考にする分には良いけれど
鵜呑みにしてもあんまり意味がなくて。

結局のところ、

そうした意見を自分の個性や経験や状況と照らし合わせながら、自分が吸収できるサイズに噛み砕きながら必要なところだけ取り入れていくしかないと思うし、

最終的にはそうした生き方を取り入れるかどうかは“好み”でしかないと思う。

「〜べき」とか、断定口調で書かれていることですら、その人が思っている“好み”でしかないと思っている。

ちなみに、「科学的根拠」だって、
恣意的な何かが間に噛んでいることは多くて
いつか覆る可能性に溢れている。

Aという主張があれば、
notAの可能性を探る為の主張を
科学的に考察し導き出そうとする人がいる。

何を信頼するか、どのデータを拠り所にするか
結局これもまた“好み”でしかないと思う。

だとするなら。

やっぱり、自分に合った「生き方」は
自分の心や頭で選び取っていくしかない。

誰かの「生き方」は、参考にはなるようで
ならないのかもしれない。

だから、自分の好きに生きて良いんじゃないかな。


* * *

夫が今朝ふと、こんなことを言った。

1日を、24時間を充実させるために
お金や時間を使うと
人生が充実していくんじゃないか、って。

(言葉はちょっと違うかもだけど、
 そんな風なことを言ってたと認識してる)

朝一杯のコーヒーを飲んで良い気持ちなら、
その日の生産性が高まる。

寝心地のよい寝具で寝たら、1日の1/3、
人生の1/3がいい時間になる。

そうやって、自分の持っている時間を
いかに良いものにしていくか?

長く幸せや満足感がつづくことに、
何度も幸せや満足感をもたらすものに、
お金や時間を使うとよい、と。

逆に、1分しか、短時間しか満足しないこと
(例えばお菓子を買って食べるとか)に
お金を使ってもあんまり人生単位では
充実感満足感に繋がらないのかもね、と。


そんな話を聞いて、
うん、確かにそうかもな〜と

ぼんやり思ったのでした。


* * *

「残りの人生、何を残せるだろう。」

これも、夫がふと口に出した言葉。

その言葉を聞いて私は、

すごく胸が熱くなるような、
わくわくするような、
切なくなるような、
寂しくなるような。

何だか色んな気持ちが入り混じった。

今ある時間や生活が、
急に尊く思えてくるし

未来の時間を何に使うのか、
意思の使い所だなと思う。


直感的にだけど、

自分のために時間を使うより、
子どもたちや周りの人のために時間を使う方が

より多くの何かを残せるような気もする。

“何か”の中身は、まだよく分からないけれど。


* * *

「生き方」って大きなテーマだけど、
そんな深刻に真面目に考える必要はない気がする。


それより、ちょっと考えたこと、
見たり聞いたりしたことを
いかにして日々に小さく取り入れていくか。

その過程を楽しむことが、
私は好きだし面白いと思う。

今日だって、ぼんやり考えたことを
2,000字ちょっとの言葉に出来た!

流れていきそうな何かを捉えることができて、
もしかしたらそれが今日明日以降の私の
無意識的選択にちょっとした影響を及ぼすかもしれない。

そんな、小さな起点を作れたことは
今日のちょっとした、でも大きな、
私の成果だと思うし生きてるあかしです♪


それでは、また!

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