自分に興味を持とう! 世界観・政治観・自分
衆議院選挙2024が終了しました。
今回の記事は、それを受けて僕が感じた「自分ないがしろ社会」について考えていきたいと思います。
要点をまとめると
「政治に無関心=自分の人生を放棄している」
「政治に無関心=社会観や世界観の浅さ」
という2点です。
・誰かを大事に想うなら自分のことも大事にするはず。
・そのためには社会や世界を観る視野も広がるはず。
・その過程に政治が付随してるはず。
このような論旨です。
■選挙の振り返り
与党215議席
野党250議席
自民党がマイナス65議席、公明党がマイナス8議席
投票率約53%
このような結果となりました。
自民・公明が議席を減らす結果となりましたが、「そりゃそうだろ」という感じ。投票率がかなり低いですが、それでも自民党が勝てなかったということは、投票した方の多くが自民党に対してNOを叩きつけたということでしょう。
みんなが汗水流してなんとか納めている税金を社会に還元せず好き勝手使ってるんですからね。そりゃ止めるに決まってます。
自民党に投票する方の意見に「他の政党に任せられない」というのがあって、この考えがかなり根強いと感じます。
個人的には「他の政党に任せられない」の前にまず
「税金の使い方おかしいよね?」
「政治と宗教が絡むのおかしいよね?」
「経済政策も少子化対策も決定打に欠けるよね?」
「海外に大金を放出してるよね?」
「騒ぎに乗じて憲法をいじろうとしてるよね?」
などなど無数に言いたいことが湧いてくる状況です。だから自民党には投票したくない。
もし自民党に投票してしまったらこれらを許すことになります。
野党の議席数が与党を上回ったことで、与党がなんでもかんでもやりたい放題、ということにならないのでは、と期待しています。
与党と野党のねじれ状態が発生しているということです。
(ねじれってネーミングが悪い印象に誘導してない?ねじれてるのは健全だと思うのですが)
■国民の敵は国民? 支持政党の違いが敵意になる人
投票結果を受け「立憲民主党に入れる馬鹿」という内容のツイートが投稿され、それが拡散され大量のいいねを獲得する状況が見られました。
なんというか、重く暗い気持ちになりますね。
みんな仲良くしろよ、って思います。
政治を宗教と同一視する人がいる気がするのです。
宗教は相いれません。なぜなら宗教は他宗教を皆殺しにしかねない危険なものだからです。自身の宗教だけが大事。
一方、支持政党はそうではありません。
僕にとっては「ラーメン好き」と「カレーライス好き」と「ハンバーグ好き」くらいの感じです。
今はカレーライスが食べたいけど、ラーメン好きな人の気持ちも分かる、みたいな感じです。
つまりケンカするほどのことじゃない。
社会情勢的に「今はからい食べ物を推しておいた方が良いかも」という人もいれば「ラーメンの早さをひとまず評価しようよ」という人もいるでしょう。
投票動機は千差万別。
この考えを理解していれば「立憲民主党に入れる馬鹿」などとは思わないはずなのです。
自分とは違う考えの人に対して「馬鹿。浅はか。だまされてるのに気付かず喜んで投票してる」みたいに思っている気がします。
立憲民主党に投票した人は、「立憲民主党に入れた」のではなく「自民党に入れなかった」ことの比重が大きいのかも知れませんよ。
■社会観の浅さ=つまらなさ
狭量な態度は結局「社会を観る眼が育っていないのでは?」と思わされます。
この世界がどうなっているのか考えたり社会の営みについて考えたりせず、そのような複雑さからは距離を置き、ただ反射的に騒いでいるだけなのではないでしょうか。
「白票を入れよう」と誘導する人に対しても似たものを感じます。
投票率が低いこの状況で白票はまったく効果を発揮しません。
今のこの社会を観ていれば、もっと肉体が打ち震えるはずです。魂が叫び出すはずです。血が沸き奥歯を噛みしめるはずです。
もしこの社会がつまらないとか、面白いことが無い・面白い人が居ないなどと感じているのであれば、それは社会観が浅いからです。
それが投票率の低さにもつながっています。
意固地になって「絶対に投票しない」という人と誰が仲良くしたいと思いますか?「政治とかわかんない」と投票しない人と誰が話したいでしょうか。
投票しない人同士で集まって投票する人たちを馬鹿にする。そして政治が自分たちの知らないところで勝手に物事を決定していく。その後生活苦が激化する。不満のはけ口探しにSNSに張り付いたり、弱者に攻撃を加える。
極端な例ですが、これに近いことが実際に増えてきている気がします。
僕自身、「投票しない人は政治に口を出すべきじゃない」とは思いません。
誰もが政治に口を出して良い。生活が掛かってますからね。
ですが「この社会を生きる以上は投票するのが当たり前」と思っています。例えば好きな漫画家の単行本を買ったり、好きな定食屋に通ったり、そういうのと同じです。
僕たちは日ごろから様々な投票活動をしています。つまり「あなたを応援しています」という行動を常にしているのです。
その一つに選挙の投票があります。だから投票しない理由がありません。
この社会を生きていれば。
この社会のことを考えていれば。
投票したくなるはずですし、この社会が面白いと思えるはずなんです。
■まとめ 善く生きる
自分にとって大事な人もこの社会に生きています。
そして生きていく上で「政治」が共通しています。
自分にとって良い政治は、大事な人にとっても良い政治となり得る。
逆に言えば、政治について考えないということは、大事な人にまつわることも考えないとも言えるでしょう。
政治について無関心のままですと、新たなカリスマ(声がでかいだけだったり、偉そうに断言する政治家)が登場した際にあっさり絡め取られる可能性があります。
純粋とも言えますが、愚鈍とも言えます。
その意味で政治について考えることはワクチンともなり得るでしょう。
ダメな政治を接種することで、今後ダメな政治を跳ねのける力になるでしょう。
そして、政治は選挙だけじゃありません。
僕らの手に届くもののほとんどは政治が経由しています。
この世界があり、僕たちが住む社会があり、そこには政治が関わっている。
政治のために生きる必要はありませんが、生きていることに政治が関わってきます。
「自分ないがしろ社会」はこの社会をつまらないものだと誤認させます。
そして、自分をないがしろにするのと同じように他人をさらにないがしろにします。
やがて幸せそうな人たちに対して怨みを抱くでしょう。
政治について考えることは社会に踏みとどまる契機にもなり得ます。
大事な人について考えること。
自分の幸せについて考えること。
投票活動。
他の人の投票動機に想いをはせること。
すべて根はつながっています。
「政治」という単語に忌避感を抱く人もいるでしょう。
「善く生きるとは」について考える中で、必ず政治に接近します。
政治について学び考えよう!などとは言いません。
善く生きてください。
その過程で避けては通れない物事の一つが政治です。
まずは自分自身に興味を持ちましょう。
自分を知り、誰かを愛し、社会を生き、世界を観る。