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本物の経営者の仕事について

経営者の仕事とは何だろうか。

市場No.1になるために戦略を立てることだろうか?
最前線でひたすら売上を作り続けることだろうか?
はたまた、目標達成のために『マネジメント』をすることだろうか?

どれも正解らしく見えるが、私にはどれも不正解に思える。
私は、経営者の仕事はビジョンを描き出すことだと思う。それも、みんなが「びっくり」するようなビジョンを。

それに気づかされたのは創業して11年目。コロナの初動で、経営がどん底になっていた時だ。
同時に、これまでは、本当の意味での”経営者”にはなれていなかったのだ、と悟らされた。

今回のnoteでは、”経営者”になり切れていなかった創業期から、自分のことを”経営者”と認められるようになった2021年までを、書いてみたいと思う。

何か少しでも、読んでくれた人の糧となったらうれしく思う。


1、順風満帆な創業期

私がCFPコンサルティングを創業したのは2010年5月。
それまでは海外資本のインターネット広告代理店で、日本支社の事業責任者として勤務していた。

ひょんなことから前職を辞め(気になる方は直接聞いてほしい)、周囲の人が背中を押してくれたこともあり、起業に至った。
起業の背景は以下のポストに譲ろう。
https://x.com/sakamaki_cfp/status/1734714224960811118?s=20

創業当時の事業は、広告代理店向けのコンサルティング。自分が今までやってきた知見を活かしつつ、前職とコンフリクトしない領域で事業を展開しようと考えたのだ。
当時は、大手代理店の広告運用オペレーションサポートが弱かった時代。CFPコンサルティングは大手企業の広告コンサル案件を次々と受注し、設立から約4年で20名の規模まで成長した。
順風満帆な滑り出しだった。

広告主企業の担当者からの信頼も少しずつ集まり始め、転職で勤務先を変えた担当者から「またCFPコンサルティングと仕事をしたい!次は広告代理店を挟まない形で。」というリクエストも増えてきた。
起業してから約5年も経過していることもあり、広告代理店事業にも乗り出すことになったのだ。

売上は急拡大し、Yahoo!から新規代理店賞を授与されるなど、上り調子だった。

2、ひとつめの影

2017年、創業7年目。創業以来、順調だったCFPコンサルティングの経営に最初の影が落ちる。

役員の一人が辞めた。それも、お客様を持って。
さらに、彼が元々担当していて解約となった企業を調べてみると、退職のずっと前から彼個人との契約に切り替えていたことも判明した。

ショックだった。
それと同時に、おおいに反省した。現実を突きつけられた。
このころは、誰にでも置き換えられる仕事をしてしまっていたのだ。
「CFPコンサルティングだから任せたい」「CFPコンサルティングしかできない」そんな本質的な仕事はできていなかったのだ。
だから、口が達者な彼に、お客様をとられてしまった。

今の私が当時について思っていることも書き記しておこう。
当時、たしかに売り上げは伸びた。でも、社会を変えるイノベーションはなかった。売上の総量が増えただけで、売り方は変えられていない。
他の会社と比べて相対的に、売上が伸び、市場での順位が上がっていただけだ。

今だから思える。この時期の変化は、「成長」ではなく「膨張」だったのだと。
より良い会社、より価値のある会社へと「成長」したのではなかった。
ただただ売上を増やしただけで、価値のない脂肪のような売り上げが増えただけ。太っていっただけの「膨張」だったのだ。

CFPコンサルティングにしかできない仕事を探さなければと、当時の私は焦っていた。
何か変えなければ、と思った。

3、次の一手

2018年、限られた企業だけが参加できるGoogleの代理店インセンティブプログラムに参加し、グローバルでも類を見ない圧倒的な成績をたたき出していた。
そして、それを原資に、ある会社とタッグを組んで金融メディアを立ち上げた。

これはいける、と思った。
しかし、そのメディアに他サイトをコピーして流用しているだけなのではないかとの疑いがかかり、インセンティブプログラムの対象外であるという通告が来たのだ。
またしても目の前が真っ暗になった。
それだけで、利益見込みは1億円下がり、4,000万円の赤字を計上することになってしまったのだ。

「何か変えなければ」そんな焦燥感とは裏腹に、投資ができない状況に陥った。

その中でもなんとか踏ん張り、単月黒字までこぎつけたのだが…。

4、どん底の時代

2020年。コロナウイルスが世界に蔓延した。
不安定な情勢になると、企業は真っ先に広告予算をカットする。CFPコンサルティングも、その打撃をもろに受けた。
2020年3月・4月は、単月で億レベルの売上が不足することになった。

「もう終わったな。」

はじめて倒産を覚悟した。
5月に入り、会社の畳み方を具体的に考えるようになった。
これが本当のどん底なのか。
リモートワークで誰もいないオフィスで一人、恐怖や苦しみを感じる毎日だった。

どん底の中で、私は今までの自分を反省した。
今までの私は経営者失格だったと。

経営者は今までにない、新しく、びっくりするようなビジョンを描くことが仕事である。
そんな今までにない新しい価値を生み出して初めて、世界のカタチを変えることができる。

だが、今までの私はどうであったか。
すでに市場にあるビジネスをがむしゃらに頑張り続けただけだった。
すでにある市場でがむしゃらに頑張って業界順位が1つか2つ上がったところで、世界への新しい価値はなにもない。ただ業界6位と7位の会社が入れ替わった程度、それだけだ。

経営者としての仕事はできていなかったのだ。

だから、CFPコンサルティングは今までの形で復活させるべきではない。今までの場所に収まるべきではない。
もっと周りがあっと驚くビジョンを描き、実現させていく必要がある。

そんなことをオフィスで一人、考えつづけた。

私にアイデアを与えてくれたのは、業界のある大事件だった。

5、見えた光

2020年7月に起きた、業界の大事件。
この大事件で業界に多少なりとも変化が起きた。広告代理店から逮捕者が出ただけに止まらず、翌2021年3月には罰金刑が確定し、薬機法が絡む医療広告や美容広告から手を引く企業が増えたのだ。
今まで医療広告や美容広告を手掛けていても、営業が上手いだけで必ずしも法律に明るいわけではない会社が多かったという顕われだろう。

しかし、このとき私はチャンスだと思い、敢えて逆張りをした。他社が手を引く領域である一方、我々にとっては「できる」領域だった。
社内に薬事法管理者資格を持ち、法に触れる表現を検出し、リライティングできる社員がいたのだ。
加えて、私には「経営は、周りがびっくりするようなビジョンを描かなければならない」という反省もあった。
だからこそ、医療広告や美容広告特化の「広告代理店」ではなく、どの会社もチャレンジしていない、広告業界における「法律の会社」というパッケージに変えることにした。
金融周りの金商法、保険業法、貸金業法に関する知見も、それに合わせて完璧に磨いた。

まさに経営の形を「トランスフォーメーション」したのだ。
売上構成も大きく変わった。
短期間でドラスティックに経営の形を変えてきた。
結果、トランスフォーメーションの取り組み途中から業績も回復し始め、2022年4月の決算では過去最高益をたたき出すことができた。

2021年の「トランスフォーメーション」からやっと、自分のことを”経営者”だと認めることができるようになった。
「トランスフォーメーション」に伴い、ビジョンも大きく変えた。
目指す先は『600億円ビジョン』と銘打つ、業界の形を大きく変える構想だ。
詳細はまた別のnoteに書いてみようと思う。

ただこのビジョンも、もっと先に描くことのできる壮大な未来への中間地点にすぎない。

CFPコンサルティングなら、
我々なら、
もっともっと世界のカタチを変えていける。
CFPコンサルティングは、まだ夢の途中だ。


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