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”サムライをグローバル化させた漢”

今サムライインキュベートは、日本だけでなく、イスラエル、ナイジェリア、ケニア、南アフリカ、ガーナ、ウガンダ、ルワンダそして、中国に展開をしていますが、創業当時は全く世界を攻めるなんて、1点の曇りもなく思っていませんでした。

そんなサムライをグローバル化に導いてくれた人がいます。


その人は、サムライファンド1号投資先でもあるノボットの小林清剛さんです。

ノボット小林さんとの出会いは、最初の出会いは、2006年4月だったと思います。グロービスの経営大学院が設立したその年の、同期入学生としてでした。小林さんは最年少入学で20歳を少し越えたくらいだったと思います。
その印象は、若く尖っていて、友達になれそうな感じで特に仲良くはありませんでした。

相変わらず僕は、シャイだったので大学院にそもそも友達はいなかったですが。当時小林さんは、コーヒー豆の輸入みたいなことをされていた記憶があります。

そして、その後、僕は、クロービス大学院設立来、最速で中退してしまい、、小林さんとはさらに疎遠となります。クロービスの堀さんからは未だに復学を言われてますが(笑)

それから3年がたった2009年サムライファンド1号を設立した後に、再会することとなります。


再会場所は、世田谷の桜新町駅のケンタッキーフライドチキンでした。直接ではなく、紹介でした。

当時の僕は、スマートフォンが流行るであろうと確信をしており(その当時は圧倒的にガラケー時代でした)、そのスマートフォンへの広告配信の仕組みをつくれば必ず伸びると思っており、ずっとその会社を立ち上げれる起業家を探していました。サイバーエージェントといったIT系の広告代理店の友人メインに。

その当時よく言われたことは、”スマフォ?”そんなの流行らない(シャープのザウルスの大きくコケていたのもあり)、”やったとしてもグーグルとか進出したら、大手に負けるよ”でした、でも僕の中にはなぜか確信があり、諦めずに探していました。

サイバーエージェントのあした会議にも友人に上げてもらいましたが、当時鼻で笑われたそうです。ただ、その当時の役員の一人がその声に耳を貸してくれ、今のサイバーエージェントのスマフォ事業につながったとも聞いています(これ妄想ぽいですが、本当です、きっかけだけですが!)。

そんな中で小林さんにケンタ@桜新町で会いました。その時の小林さんはコーヒー事業でなく、アドネットワークの比較サイトをやっていました。

そして僕はその話を聞いている中で、こんな会話をします。

榊原:”小林さん、その事業でなくて、スマートフォンに特化したアドネットワーク事業やりませんか?”

小林さん:”やります!”(前のめりな即答)

小林さん:”スマフォ買いに行っています!”(え!)

そうなんです。そのくらいまだスマフォが普及していませんでした。
そして、スマフォも持ってない中、スマートフォンに特化したアドネットワーク事業をする決断を即決する小林さん凄くないですか!?僕もその場で出資即決でしたが(笑)

さらにさらに、小林さんの凄いところは、サムライが2009年10月に出資し、スマフォを買ったその1年と9ケ月後の2011年7月に、単月の売上1億円達成し、14億でKDDIへ売却です。
https://jp.techcrunch.com/2011/07/28/jp20110728mediba-acquired-nobot/

改めて調べて思いましたが、このスピード感、圧倒的にやばいですね。
スマフォの普及率も急上昇したこともありますが、それでも、凄いです。

よってサムライファンド1号も設立して、僅か2年で、リクープ、そして大きなリターンも出しました。

歴史的なレコードだと思います。
そのEXITして得た収益で天王洲にSSI(Samurai Startup Isrand)も創れました。

サムライインキュベートは、このノボット 小林さんの勢いにも押されて、リーマンショック後の世界ではありましたが、誰よりも先に動く、投資する、できるできなでなくやらないか、しっかりとした結果も出す、クレイジー、今でいうFIRSTMOVERというVC業界での今の立ち位置、イメージがくっきりついたと思います。

VC業界の中では、当時、サムライという彗星が突如現れたという印象が強くあったそうです。リーマンショック直後にあんなに投資をしてるなんて、本当にクレイジーだったと思います。
僕はリーマンショック自体のことも全然把握してなかったんですがw
その当時は独立系VCはマイノリティーな存在でしたので。

でも、小林さんにお世話になったことは、もちろん上記のことも大きいのですが、その中で一番サムライインキュベートに大きな影響を与えてくれたのは、サムライのグローバル化です。

小林さんがいなかったらサムライは海外に行けてないです、これははっきり言えます。

ノボットのアドネットワーク事業は、その名の通り、ネットワーク事業なので、自分たちがリーチできていない国、エリアにお客さんの広告を配信したい場合は、国内外のメディアにつながるアドネットワークのプレイヤーとの繋ぎこみ、連携が必須でした。

そのため、当時ノボットは国内もそうですが、特に海外のアドネットワークとの提携、連携を非常に強めており、海外にくことも非常に多く、僕も最初は遠目で見ていました。その海外連携を担当したいたノボットのCMOは、現ゼロワンブースターの合田ジョージさんです。EXITされた後にゼロワンブースターをつくられました。

そんな中、小林さんから、突然、2010年頃でしょうか、、

小林さん:”榊原さん!韓国で榊原さんの登壇が決まりました!”

と。。。。ぶっ込みです!!

榊原:”え!え!え!えいご、喋れないです、無理です、、、”

小林さん:”大丈夫です!大丈夫です!”(いつもこんな感じ!)

”できるできないでなく、やるかやらないか”そこからサムライインキュベートのグローバル化が始まります。

小林さんとは世界10都市以上は、サムライ軍団や日本の起業家と一緒に、
世界中の投資家を始めとしたスタートアップ村向けにピッチして回りました。

小林さんとの海外での一緒に体験した思い出深いことベスト4としては、、、

①日本人として、初めて、Yコンビネーターのパートナー2名と会う
→元テッククランチジャパン編集長西田さん(現B-DASHベンチャーズ)に、現地での車に乗せてあげる代わりのバーターとしてアポってもらいました。その当時(2010年くらい)Yコンはまだ投資先は60社も行ってなかったと思います。

②日本人として、初めて、日本のIT起業家20社くらいとテッククランチディスラプトに出展する
→サムライ軍団+日本のスタートアップ引き連れて、みんなでサンフランシスコで出展しました。その頃は、スマフォアプリであれば、世界が簡単に繋がるだろうって本気で思っていました。その時に現在のペガサスベンチャーズのアニスが、一緒に行ったコニットの橋本さんの大学の同期でたまたまそこで偶然出会い、アニスが日本スタートアップや日本のLPからお金を集めてVCをつくるきっかけもなったかと。

③日本人として、初めて、日本のIT起業家とシリコンバレーVCを回る
→過去3回ほど、シリコンバレーでもSAMURAI VENTURE SUMMITもやりました。日本人起業家が向こうで起業するきっかけ、日本もIT起業家がいるんだということをシリコンバレーのVC、投資家、スタートアップにPRは出来たかと思ってます。

という感じで、今思い返して、本当に凄いことを小林さんと一緒にさせて頂いたなと思ってます。

僕の人生の中で、小林さんがダントツにNo1”FIRST MOVER”です。

サムライインキュベートのグローバル化の父と言っても過言ではないです。

そして、今でも、小林さんはサンフランシスコで世界の起業家に肩を並べるべく邁進されています。次は、必ずや、世界を獲る起業家になると確信しています。

最近小林さんには、会えてないので、またコロナが落ち着き次第、ゆっくり会いたいです。

小林さん、本当にありがとうございます。感謝を込めて。

では、良い週末を!

from Ken

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