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幸せ~って何だっけ

幸せになるためにどうすべきか、といったような書物やセミナーなどは世の中に多くある。

一体それは何を根拠に?・・・と個人的には思ったりもするがwebなどで検索すれば驚くほど沢山の書物やサイトが出てくる。

本でもサイトでも非常に多くの方が幸せについて説いている。

他人に「こうすれば幸せになれますよ!」などと説いて回る人は、自身はさぞかし幸せな人生を送っているんだろう。

裏を返せばこの世の中にはそれだけ多くの幸せな人がいるという事になる。

あぁ・・・・この素晴らしい世界。

(今脳内ではルイ・アームストロングが。)

しかし残念ながら私のようなへそ曲がりはあまり自発的にそういった類の本は読んだことが無い。

「見て見て!私はこんなに幸せなの!はっぴー!」みたいな浮かれポンチな状態の人の話を私個人としてはすすんで聞きたいとは思わないし、何となく「こうすれば儲かりますよ」と謳っている広告と似たうさん臭さを感じてしまうのである。

しかしながら、そういった類の本を読み漁っていれば私も今頃は誰もが羨むような幸福な毎日をおくれていたのだろうか。

ちなみに決して幸福を追求すること自体を否定しているわけではない。

日本国憲法にもあるように「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」として、不可侵のものであるわけでそもそも否定する理由もない。

元来大半の人間は生まれた時から幸福を追求するために様々な努力を行っているように思う。

本能的ではあるが(全ての生き物が)まずは「生存」が幸福への一歩となる。

生存するために、食べ、動き、学習する。

生存がある程度担保されるようになると、生存以外の幸福を求めるようになる。

そこから人の場合は特に様々に幸福の形は変化・枝分かれしていく。

要は人それぞれ思い描く幸福を追求するという事である。

例えば献身的な行いも考え方によっては幸福への追求かもしれない。

恵まれない人などを助ける事で得られる心の充足感などが、自身の幸福につながっていると考えれば幸福への追求の一つの方法と言えなくもないだろう。

献身が例えば自身の生存を脅かすレベルになったとしても、心の充足感や自身の宗教観、信念等が上回る場合もある。

人生において、時間は限られる。

その限られた期間で、それぞれの幸福を求めていく。

人生の大半が辛く厳しくとも死ぬ間際に幸福であれば良いと思う人もいる。

人並の生活が送れればそれでよいと思う人もいる。

誰よりもお金持ちになることが幸福と考える人もいる。

ちなみにハーバード大学の75年間にわたる追跡調査によると、人間の幸福や健康は、年収、学歴、職業と直接的には関係ない。関係があったのは『いい人間関係』だったそうだ。

なんと、75年にわたって対象者の幸福度と要因について調べていった、長い研究の結論は、

「私たちの幸福と健康を高めてくれるのはいい人間関係である」

家柄、学歴、職業、家の環境、年収や老後資金の有無といったことではなく、人間の幸福度、健康と直接的に関係があったのは人間関係だったという結果になったのです。

しかも、友人の人数は関係なく、たった一人でも心から信頼できる(ポジティブ思考の)人がいるかどうかが重要だということがわかりました、とある。

ポン酢しょうゆがある家では無かったわけだ。(古いですね。)

人それぞれではあるが、確率論的には良い人間関係を構築出来た人が幸せな人生だったと感じるという事であろう。

この結論からいくと、

「良い人間関係を構築するために何をすべきか」

が人類にとっては最も必要な事であるとなる。

勝手な判断だが、ポジティブ思考で自身が日々楽しく生きていて誠実な人間になれば良い人間関係を築けるのではないか。

ドラマチックにも生きていきたいので、たまには冒険や挑戦といった刺激も必要である。

そうすると今迄勝手気ままに生きてきたように思っていたがあながち間違ってなかったような気がする。(まだ足りない気もするが)

おしまい。


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