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映画盛衰


私は昔から映画が好きである。
どんな映画でも大抵は見る。

だがそんな私でも映画を見るにあたって一つだけ譲れない部分がある。
それは『リアリティ』である。

結局は物語であり、誰かがつくったつくりものであることは理解している。
それでも「それ」は譲れない部分である。

どんなにぶっとんだSFであろうが、設定だろうが、はたまた恋愛映画であろうが、

そこにリアリティを持たせる事に成功している(真摯な)映画に関しては楽しく見ることが出来る。

だが中には明らかにリアリティに対して真摯でない作品があり、それに関しては(あくまで個人的意見だが)私にとっては見るに値しない。

リアリティという意味では例えそれが興味深い世界観であっても、心理描写であっても同じだ。

私の中ではリアリティに対して真摯でない作品は駄作であり、映画ファン並びに原作に対する冒涜と見なされる。

ちなみに映画について書いているのだが、『リアリティ』を重視するのは実際映画だけではない。

小説、漫画も同じである。

だからなのか、仕事でも気付くとリアリティを求めてしまう。

良く会議などで、夢や理想を語って満足して終わる会議などは具体性や現実味がなく何だか気持ちが悪い。

夢や理想を語るのが悪いと言っているわけではない。

理想の状態を求めるのであれば、そこまでのステップにリアリティが欲しくなってしまうのだ。

だから夢や理想が『リアリティ』を帯びて輝き出すところまで段取りしなければと考えてしまう。

だが会議にも空気というものがあり、長時間になってひとしきり熱も上がりきっていた場合、私のリアリティへの追及は『空気の読めない勘違い野郎』へと変貌してしまう。

もしかすると、私が見るに値しないと感じた映画なども製作過程で同じようなことが起きたのかもしれないとふと思った。

拘りを突き通すのは難しい。

例えば背景に映るだけの小さな装飾物に『リアリティ』を持たせたくても、
ただでさえ長引いている撮影の中でそこに拘ってどうなるの?という意見が大半になる可能性は十分にある。

そういった拘りを貫き通す事に疲れた人達が行き着く先は個人商店になるのかもしれない。

いずれにせよ映画好きな私としては拘りをもった人たちの映画が見たいと思うわけである。

映画盛衰ではないが、特に日本映画は(予算の関係もあるかもしれないが)拘りを持った人達に良い映画を作っていって貰いたい。

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