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転機となった“並木橋なかむら”との出会い。30歳で和食の道へ 【酒井英彰と酒井商会の歩み #04】

酒井です。酒井商会で働くみんなに私の考えを伝えたいと思い、私自身と酒井商会の歩みを書いていきます。フレンチレストランで修行し、その後、ハワイアンレストランで料理長をつとめてきた私が、なぜ和食の道に進むことになったのか。今回は、その経緯について書くことにします。

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ひと目で惹かれた『なかむら』との出会い。

前回のnoteに詳しく書きましたが、ゼットンでは本当に様々な経験をさせてもらいました。マネジメントや新業態の立ち上げなど、目の前の課題に真剣に向き合っていくことに充実感を感じる日々を過ごしていました。

一方、心の中には「いつか自分の店をもちたい」という想いもありました。

20代前半のオーストラリアのフレンチレストランでアルバイトとして働いていた頃から、ずっと思っていたことです。年齢も30歳近くなり、目の前の仕事に打ち込みながらも、そろそろ自分の将来に向けて具体的に考えていく必要があると思うようになりました。

そもそも、自分はどんな店をやりたいのか?

当時はまだ結婚する前でしたが、私も妻も食べることが好きだったので、雑誌に掲載されるような有名な店や話題の店にふたりで食べに出かけました。そして、お店を巡るなかで気づいたのは、私はカウンターがある「和食」を中心とした居酒屋が好きということです。

居酒屋といっても様々な種類があります。大衆居酒屋と呼ばれる賑やかな居酒屋、シックで落ち着いた雰囲気の居酒屋、レトロな気分の味わえる赤ちょうちんの居酒屋。私は、どのスタイルの居酒屋も好きで、焼き鳥を売りにしている居酒屋も好きだったので、焼き鳥屋で修行することも考えたりしました。

そんな風に過ごしていた時に、ある飲食店の写真をみて、衝撃を受けました。飲食関係の方がSNSに投稿されたものだったのですが、料理はもちろん、お店の雰囲気や佇まいにひと目で惹かれるものがありました。そして、すぐに妻とふたりで足を運びました。

それが、当時の私の次の職場となる『並木橋なかむら』をはじめ、現在都内に7店舗の和食を中心とした飲食店を経営するフェアグランドのお店です。

一品ごとの料理やお酒はもちろん、店内の雰囲気やサービスも洗練されていて、カウンター越しに接する料理人たちの立ち振る舞いにかっこよさを感じました。『なかむら』系列のお店だけでなく、『なかむら』系列のお店で働いていた方が独立して営んでいるお店にも足を運びましたが、どのお店も共通して惹かれるものがありました。

これが自分のやりたいことだ。
自分もカウンターの向こう側に立ちたい。

『なかむら』系列の店に足を運ぶたびに、自分の目指したい姿がハッキリと見えてきたのです。


“和食”という選択肢が一番しっくりきた理由。

また、和食に惹かれたことには、もうひとつ大きな理由があります。

いつかは自分の店をと考えるなかで、フレンチの世界に戻る選択肢もありましたし、アロハテーブルでやってきたハワイアンで勝負するという選択肢もありました。フレンチやハワイアンも好きでしたし、それらの世界を深めていくことに興味もありました。

ただ、私が料理人としてやっていくなかで、自分の武器は何かと考えると「学び続ける姿勢」と「基礎を徹底的に重んじること」ではないかと考えました。

和食であれば、ルーツは日本です。老舗の料亭や割烹から新しいスタイルの和食まで、日本にいれば様々な和食を味わうことができ、自分の努力次第で学びを深めることができると感じました。また、使われる食材も身近なものが多く、産地に直に足を運び、生産者の方々とコミュニケーションも取りやすいです。器やお酒に関しても同じような事を感じました。

フレンチやイタリアンでも本場のヨーロッパに足を伸ばし、学ぶことはできます。若くして海外に飛び出し、修行した後に独立して世界的に活躍されている料理人やサービスマンの方々のことを今でこそ知っていますが、当時の私にはそんな勇気も発想もありませんでした。

その点、私の中で和食は日本人として食べ慣れた味でもあるし、正解を知れる環境にあると思いました。自分の大好きな刺身や煮物、焼き物、天ぷらの正解を知り、自分でやってみたくなったのです。

そう考えると、和食という選択肢が一番しっくりきました。そして、『なかむら』という和食の世界における見本となるような存在と出会い、和食の道に進もうという決心が一気に固まりました。

ゼットン社内でも当時力を入れていた新業態『アロハアミーゴ』の原宿店の立ち上げを、料理長という立場で携わせてもらってから、数ヶ月後。上司に和食の世界に挑戦する旨を告げ、退職の申し出をしました。

ありがたいことに、ゼットンの経営する飲食店の業態には和食のお店もあったので、「そちらで働いてみてはどうか」と上司からは言葉をかけていただきました。ただ、『なかむら』系列のようなスタイルで和食の店を将来やりたいと思っていたので、フェアグランドで修行する以外の選択肢を考えることはできませんでした。

「独立するのに4年もいらない」という言葉。

こうしてお世話になったゼットンを離れ、和食の道に進むことを決めたわけですが、当時の私は和食の料理人としての経験値はゼロ。和包丁を握ったこともありませんし、だし巻き卵をうまく作ることもできません。

当時の私にあったのは「今まで知らなかった世界へのワクワク」と、「数年後に独立して自分の店を持つ」というオーストラリア時代に誓った想いだけでした。そんなゼロからスタートの状態の私をフェアグランドは採用してくれました。

今でも面接時に交わしたフェアグランド代表の中村悌二さんとの会話を覚えています。

​​将来独立したいという想いを率直に伝えると、中村さんから「何年で独立したいんだ?」と聞かれました。何年と答えるべきかと悩んでいると、「5年か…4年か…。」「いや、4年いらないな。頑張って働きなさい」と告げられました。

中村さんは​​アパレルから飲食業に転身し、『なかむら』や『KAN』をはじめ、長く愛されるお店を作り続けてこられた方です。料理、器やスタッフの振る舞い、内装や調度品。そのすべてにバランスよく気を配り、お客様がゆっくりと寛げるお店をつくりあげていく手腕は、飲食業界でも有名です。

以前、BRUTUSで『名伯楽の下から巣立った愛弟子は各地で大活躍 〈なかむら一門〉の酒場』という特集記事が組まれ、恐れ多くも私も取り上げていただきましたが、フェアグランド出身で活躍されている料理人の方々は大勢いらっしゃいます。

多くの料理人を送り出している中村さんから「3年くらいで独立できるように頑張れ」といった言葉をいただき、気持ちがより引き締まりました。

中村さんとの面接では、中村さんが考える長く愛される店に育てるための哲学や、価格帯の考え方などの話もしていただき、どの話も目から鱗が落ちました。

また、私がゼットン出身ということで、2000年に出版された『アイラブレストラン2 新時代のレストランオーナーたち』という当時の飲食業界を席巻した本に、ゼットン創業者の稲本さんと一緒に出た時のことなども話ていただきました。後に、創和堂に中村さんと稲本さんがおふたりで来店いただいたことは、私の料理人人生のハイライトの一つです。

こうして無事、フェアグランドで働けることになりました。当然、最初も包丁は握れません。まずはじめは「入り口」というポジションで、お客様のご案内だったり、お会計や洗い物が主な担当になります。

自分に与えられた役割をしっかりと行い、仕事を少しでも早く上達させ、和食の腕を少しでも早く磨きたい。そう思って、毎日働きました。結果的に、『並木橋なかむら』では3年間働かせていただき、独立しました。

『なかむら』では料理のことだけでなく、接客のことから、器、内装、空間づくりに至るまで、様々なことを学ばせてもらいました。「中村イズム」とも呼ばれるような美意識や哲学は私のなかに深く根付いていて、私にとって『なかむら』での日々はかけがえないのない財産となっています。詳しくは、次回のnoteに書くことにします。

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いくつになっても、ゼロから挑戦できるマインド。

今回、和食の道へ進んだ経緯を紹介しましたが、『なかむら』で働きはじめた時の私は30歳で、ちょうど結婚したばかりでした。

上場企業であるゼットンで店舗の料理長という立場から、和食の料理人として下積みから修行をするという選択肢に、驚きの反応や心配の声を寄せてくれる人もいました。

私自身、不安がゼロだったかといえば嘘になります。

和食の世界には10代の頃から料理人として修行している人は大勢いますし、『なかむら』にも若い頃から働いているメンバーはいました。そうした若くして腕がある人たちが大勢いる世界で、自分は料理人として出遅れているという焦りも多少ありました。

ですが、「必死でやって、一人前になってやる」という根拠のない自信も持っていました。

私もまだまだ道半ばなので偉そうなことは言えませんが、毎日、具体的な目標を持って取り組んでいれば、一つひとつクリアできます。当時の私は独立するために何をしなければいけないか。今週やらなければいけない事、今月クリアしたい技術や目標、といった感じでよく紙に書き出しては、チェックしてを繰り返しやっていました。

もちろん、私個人の力だけでなく、フェアグランドの先輩方や同僚をはじめとした周囲の方々のおかげで成長させていただけたので、縁や運も必要だと思います。でも、まずは自分が動いてみないことには、運も縁も巡ってはこないでしょう。

酒井商会にも、和食の経験はゼロだけど、和食の世界に挑戦したいと入ってくるメンバーがいます。私はそういったメンバーを歓迎するし、彼らの挑戦を応援したい。

何歳になっても、ゼロから学ぶことができる。ゼロから挑戦できる。そういうマインドをもつことが、料理人としても、サービスマンとしても、大切だと感じます。


<編集協力:井手桂司>