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数字と向き合い、飲食店における”管理”の大切さを学んだゼットン【酒井英彰と酒井商会の歩み #03】

酒井です。酒井商会で働くみんなに私の考えをしっかりと伝えたいと思い、私自身と酒井商会の歩みを書いていきます。今回は、三笠会館の次の職場であり、約5年間働いた株式会社ゼットンでの日々について書いていきます。

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飛ぶ鳥を落とす勢いの『ゼットン』へ飛び込む

私がゼットンに転職したのは、2011年の初めのことです。

1995年に名古屋で創業したゼットンは、話題となる店舗を次々とオープンさせ、飲食業界に大きなインパクトを与えていました。ゼットンが店を出店すると、街の風景や人の流れが変わると言われるほどです。

2001年にオープンした東京での1号店となる『ZETTON ebisu』では、ひつまぶし・味噌串カツ・手羽先などを広めて注目を浴び、「名古屋めし」という言葉を生み出した会社として世間に広く知られるようになりました。

そのゼットンで、2005年に立ち上がった新業態がハワイアンレストラン『アロハテーブル』です。2010年には子会社として株式会社アロハテーブルが設立され、店舗数を拡大する方針のなかで、料理人の採用を強化していました。

一方、当時の私は、ゼットンのことも、アロハテーブルも詳しく知りませんでした。どんな料理を出しているのかすら、よくわかっていませんでした。

当時の私にあったのは、とにかく自分を変えたいという切実な想いだけ。レストランシーンの最前線で働いてみたい。ろくに調べもせず、紹介してくれた方の話を鵜呑みにして、直感だけで転職を決めました。

アットホームな雰囲気の三笠会館から移った私にとって、新しいことを次々と仕掛けていくゼットンで働くことは驚きの連続で、戸惑うことも多く、苦しい思いをした経験も何度もあります。それでも、私が酒井商会を経営するにあたり、ゼットンで働いたことは大きな財産になっていると感じます。


料理人としての情熱が空回った入社当初

最初の勤務先は、横浜みなとみらいにあるアロハテーブルの店舗でした。

先輩社員である料理長のもと、料理スタッフとして厨房に立ちました。ただ、目の前の料理に集中していればよかった三笠会館と違い、ゼットンでは料理以外にやるべきことが多々あります。

そのひとつが、メニュー開発です。味や見た目はもちろん、売値を踏まえて原価率を計算しながら、新作メニューや季節ごとのフェアの目玉メニューを考えます。

このメニュー開発における重要なポイントのひとつが、厨房で働くアルバイトのメンバーが調理可能であることです。

前職の三笠会館の厨房で働くスタッフは、全員が社員で、料理を自分の仕事にしていくことを選んだ人たちでした。一方、アロハテーブルはアルバイトがほとんど。当然、アルバイトのみんなは一流の料理人を目指しているわけではないので、手間や手順をなるべくシンプルにし、スタッフみんなが一定のレベルで調理できるように整える必要がありました。

ただ、働きはじめた頃の私には、フレンチレストランで働いてきたプライドや、料理人としてより高みを目指したいという想いもあり、こうした考えにフィットしていくことに苦労しました。そんな中でも丁寧に料理をし、考えられる最高の料理を出したいと思っていました。

その結果、先輩社員である当時の料理長と、メニューの方針をはじめ、仕入れや仕込みの細かいことで、よくぶつかっていました。アルバイトのメンバーも、料理にうるさい私を敬遠していたと思います。次第にアルバイトを辞めるメンバーも増え、私は自分の考え方を改める必要があることを痛感しました。

当たり前ですが、ひとりで店は運営できません。料理の質を追求しながら、どうやって提供し続けられる体制を築いていくか。ゼットンでは、自分の料理人としての腕だけでなく、マネジメントについて常に考える必要がありました。

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(▲)アロハテーブルで働いた当時の写真。スタッフのみんなと。


数字と睨み合う日々のなかで出会った一冊

働きはじめて1年が経つ頃には、料理長を任されるようになりました。

料理長になると、店舗の収支について責任をもつことになります。店舗には、料理長とは別に店長がいますが、店長と料理長は二人一組のタッグで店の収支を受け持ちます。

日々の業務として、売上に加えて、食材原価・人件費・光熱費や雑費といった経費を集計し、収支を本部に報告します。加えて、次年度の損益計算書の予算を月毎に作成し、本部に通し、その目標に合わせて営業計画を立てます。また、その達成具合も自分たちの評価に加味されます。

それまでの私は会計の知識など全くなかったので、簿記の基本的な勉強からはじめました。また、理論原価と実際原価の乖離など、飲食店ならではの知識も働くなかで学びました。

こうして、料理のことだけを考えておけばよかった状況から一変し、店舗運営における様々な数字と睨み合う日々が続きます。

はじめの頃は、思うようにいかないことが多く、本部と店舗の収支について話し合う店長会議を憂鬱に思うことが何度もありました。どうしたら店舗の数字はよくなるか。当時は、食材に触るのと同じくらいの時間、Excelを眺めていたと思います。

そんな私が感銘を受けた本があります。それは、サイゼリヤの創業者である正垣泰彦さんが書いたこの本です。

サイゼリアでは、店長には売り上げ目標を課さず、店長が追うのは店舗の人件費や原価などの経費管理と書かれていて、その割り切った考えが新鮮でした。

店舗の売り上げは、商品に加えて、立地や店舗面積に左右されることが大きいため、店長の努力が及ばないところが大きい。自分ではどうにもできないことで責められると精神が病んでしまうため、売上には責任を持たせない。その代わりに、店長は人件費や原価といった部分の改善や改革に責任をもつ。

この考えに触れ、やるべきことの優先順位が整理されていく感覚がありました。新しいメニューの開発や集客となるフェアの企画も大切ですが、まずは経費管理を徹底的にやり切ることに決めたのです。


自分の強みのひとつは「管理」の徹底

経費管理を徹底的にやり切ることに決めた私ですが、その姿勢が如実に結果に表れたのが、次の配属先となった横浜店です。

横浜店は面積が広く、社内で重要な店舗とみなされていました。ただ、大きな売り上げがあるものの、原価を予算内にコントロールすることが難しく、収支にまだ改善の余地がありました。

店舗にいくと、厨房のスペースもそこまで余裕がなく、食器や機材を収納する棚や設備も自分なりに見直しできそうだと感じました。

そのため、はじめの頃は、厨房の清掃や整理ばかりしていました。新しいフライヤーや棚を作ったり、冷蔵庫や冷凍庫を増やしたり、どこに何をしまうのかを設計し直したり。こうして快適に料理ができる環境が整えていくと、料理中のロスが減り、在庫管理がしっかりできるようになり、余計な注文がなくなります。

無駄を省くための改善を繰り返すことで、原価が予算通りに収まるようになっていきました。そのうえで、売り上げも維持していたので、利益が大きくなります。

人件費についても、採用のやり方やシフトの組み方の改善を繰り返すことで定着率が高まり、採用や教育のコストを下げていきました。

もともと私自身が整理整頓されている状態が好きだったり、キレイに整理していくことが好きな性分だったこともあり、こうした改善の追求は楽しいと思えました。そして、ここに私の「強み」があるのではないかと気づいたのです。

堅実に利益をあげていく私の姿勢は、『アロハテーブル』社内でも評価していただき、横浜店で働きはじめて2年弱たった頃に、会社の本社がある代官山の店に料理長として異動することが決まりました。いわば「お膝元の店舗」です。

実は、横浜店での料理長業務に慣れてきた頃から、都内のレストランで働く友人に誘われ、飲食業界の人たちが集まる交流会に定期的に参加するようになりました。そして、東京のおもしろさに気づき、私自身も中目黒に引っ越し、都内で過ごす時間が増えていました。そのため、当時の上司に都内への異動を猛アピールしていた背景もあります。

代官山への異動を告げられた時は、会社から評価されていることと、東京で働けるという二重の意味で歓喜しました。

『アロハテーブル』代官山では、いらっしゃるお客様もVIPの方をはじめ大人の層が多く、ファミリーや若い方が多かった横浜と客層が違いました。働いているスタッフもフリーターが多く、学生がメインだった横浜との違いを感じます。

代官山の店舗で働いた後には、『アロハアミーゴ』の原宿店の立ち上げを担当します。アロハアミーゴとは、ハワイ料理とメキシコ料理のミクスチャーで、社内でも力を入れていた新業態でした。

オープニングパーティーには1,000人を超える方がお越しいただき、今でも私が担当していたことを話すと、当時のパーティーを覚えていて、驚いてくださる方が多くいます。

このようにゼットンで飲食店経営とは何かを少しずつ学んできた私でしたが、原宿店の立ち上げから半年後、会社を退職します。そして、和食の世界で料理の腕を磨くために、『並木橋なかむら』で修行をはじめます。

フレンチレストランで修行し、ハワイアンレストランで料理長をつとめてきた私が、なぜ和食の世界に飛び込むことになったのか。そして、『並木橋なかむら』を修行先に決めたのは、なぜか。その理由は、次回のnoteに書くことにします。

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検証と改善を繰り返す経験が、いつか自分を助ける。

今回、ゼットンで学んだことについて、管理を中心に書きましたが、それ以外にも様々な学びを私に与えてくれました。

ゼットンは創業者の稲本健一さんが、デザイナー出身ということもあり、自社で全てのデザインや店舗設計を行っていました。「常にクリエイティブであれ」という社訓のもと、料理はもちろん、メニューブックやインテリアなど、全てのクリエイティブにこだわっていく大切さを教わりました。

最後に、酒井商会で働くみんなは、食器や機材の整理整頓や食材の無駄について、私がいかに細かいかを知っていると思います。

それは今回書いたように、ゼットンでの学びが原体験としてあります。

これまでに様々な飲食店を見てきましたが、お客様から長く愛され続けているお店は、細かい管理が行き届いています。細かいところまで気をつかう姿勢は、当然、料理や接客への細かい気配りにも繋がります。

飲食店を経営していくには、料理やサービスと同じくらいに、管理をどうするかという視点が欠かせないと私は思います。

酒井商会には「将来、自分の店をもちたい」と考える人が多くいます。そうしたメンバーは、どうやったら無駄な動きや仕入れが減らせるかを考えて、行動に移せる人になってほしいです。そして、どれくらい数字に変化があったかを検証し、また改善策を考える。

こうした経験を積み重ねることは、自分で店をやる時に、確実に助けになるはずです。

<編集協力:井手桂司>