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最近の学び(雑記)「素敵を考える」2023-10-27

インバウンドの観光客が多く訪れる岐阜県高山市。自分にとっては、
亡き祖父母の家があり、今も親族が大勢暮らしている街でもあります。

落ち着いた茶系の町並み
宮川朝市に出ていた頃の祖母
年とともに祖母に顔が似てきた気がする・・・

飛騨高山は観光の街。
欧米からの観光客も多くて、コロナ前は人口8万人の街に
60万人以上の外国人観光客が押し寄せていたのだそうです。

そんな高山市。
自分にとってはおじ・おばの世代も70代、80代になってきたので
「元気で会えるうちに」と、できるだけ足を運ぶようにしています

親族の家に行くのが目的で、特に観光らしい事はしないのですが
「美味しい物、高山らしい物でも食べに行こうか」と
お昼時に足が向くのは、お店の多い観光地エリアになる事が多いです。

年々増える観光バスを眺めて、前から思っていた疑問は
「海外の観光客がたくさん来るようになったけど
 観光客には、飛騨の町ってどんな風に映っているのかな?」というもの
単純化するならば
「身近すぎて客観的な良さがわからない」という感覚です。

その疑問の答えかも?と思う景色に
北イタリアのベルガモで出会いました。


ベルガモの街はミラノからローカル各駅電車で1時間弱
「隣の県に電車で行く」くらいの距離感です

中世のベルガモは丘の上の城塞都市で

昔の城塞の地図

現在はふもとに新市街が広がっています
駅から旧市街までは歩いて行ける距離です

丘の上の城塞都市から駅方面を見たところ

城塞都市ベルガモ(旧市街)は、全体的に「中世そのままの街」でした
ほとんどの観光客はケーブルカー(フニコラーレ)を利用します。

城塞都市に着くと、こんな景色が広がっていて・・・
しばらく歩くうち「あれ?ここ、飛騨高山っぽい!?」と思い始めました

石畳と古い建物、狭い道路
整然と敷き詰められた石畳
自分の中で「足ツボロード」と命名
街のシンボル的な教会
イタリア、といえばジェラート屋
同じくピザ屋

完全無欠な西洋の街なのに
飛騨高山を感じるのって、ちょっと変ですよね

たぶん
 ・色合いが統一された古い町並み
 ・電線、看板などが目立たない
 ・ほとんど車がいない
といったところに共通点がありそうな気がしたんですが・・・

イタリアには景観法があって、一般的な街でも
色合いの統一、看板の規制などは守られているそうです
実際、他の街でも色合いは揃っていました。
その中で「高山っぽい?」と感じたのは、ベルガモ旧市街だけだったんです

なので「ほとんど車がいない」点も大きいのかな、と思います
実際には城塞に住んでる方もいて、たまぁに車が通るんですが
なにしろこの狭さですし! (すれ違い不可能!)

ほぼ中世のまま、時間が止まったような町並み
車やカラフルな看板などの「現代」もほとんど視界に入らない
そういう風景に「非日常」を感じる感性は
国が違っても、それほど違わないのかもしれません

冒頭の疑問に戻りますと・・・

「海外の観光客がたくさん来るようになったけど
 観光客には、飛騨の町ってどんな風に映っているのかな?」
「身近すぎて客観的な良さがわからない」

景色がいいとか、食べ物が美味しいとか、世界遺産があるだとか。
観光地って日本にも世界にも たーーーくさん!ありますが

これ、私だけの感覚かもしれないのですが
現地で「日常的すぎる物」「場所にそぐわない物」を目撃すると
しゅるるるぅぅ・・・と旅の気分がダウンする事、多いんです。
現実に引き戻される、あるいは「がっかり」してしまう・・・

その点、手前味噌ですが(←住民じゃないんだけど)
飛騨高山には裏切られた覚えがありません。
さすがに郊外のバイパス道路には普通のチェーン店とかもあるけど
街の中は江戸時代っぽいまま。そこが大好きです。

その点はベルガモでも同じで、
ケーブルカーに乗りこんで上の城塞都市に行き、
再び麓の新市街地に戻るまで
「わぁ!本物の中世の城塞だーー!!」と、ずっと感動だったのが
とてもとても印象的でした

帰り道 昔からあるという「いいかんじの階段」で下りました

調査の仕事って「普通の事を普通にやる」もので
”素敵な景観”のように 感動を振りまくのは
難しいかもしれないです。。。

なので・・・自己満足に終わる事もあると思うけど
自分なりに「これはいいな」と思えるような調査をしたいな
新しい技術も臆さず取り入れていきたいし、研鑽も続けよう
そう思えました


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