国が違えば人は変わる、でもちょっと待って。
ネパール に1年間住んでました。自分の店もあってそれはそれは楽しい毎日でした。
でも安定は一番の不安定で一瞬で積み上げたモノは崩れます。
日本に帰ってきて、東京にきて住んで2ヶ月が経ちました。
もう、環境でしか人間は変われないと思うほど環境の力は大きいです。
イヤホンから漏れる音楽も、ネパールなら会話のキッカケ、日本なら非常識。
あっちの常識はこっちの非常識、あっちの非常識がこっちでは常識と。
やはり住む国が違えばルールも規律も常識も空気も全てが変わる。
人間の見え方も、自分の信念も、自分の価値観も。すべて。
どっちがいいとかどっちが悪いとかは多分ないし。そんなものはないとは思うけど、海外を見ておくことはフラットな目で見て大事だと思う。
インド料理屋に働くネパール人に、コンビニで必死に覚えた日本語を話して接客をするアジア人に敬意を払える。
日本で「英語を学ぶ」というと「すごい!偉いね〜英語って大事だもんね」と。
コンビニでボクたちが相対しているネパール人は英語、ネパール後ヒンディー語が標準装備のトリリンガルなクソ優秀な人間なのにさ。
それだけ優秀で勤勉なのに平均月収2万だぜ?
きっと、これだけ恵まれてるぬるま湯で暮らしてきたちょうど僕らの世代、ミレニアル世代の共通言語にこの感覚は一生芽生えないんだと思う。
そんなに努力しなくても、生きて死ねる。
生きて死ねる。
生きれず死ぬ人たちがすぐ近くの国にいるとしてもその事実には目を向けないどころか気づかない。
たまたま日本に生まれただけなのに。
日本人である前に地球人だよね。
あれ、これでいいんだっけ?
少なからず、ボクたちがいま生きてるのは誰かに支えられて誰かに教えてもらって、勉強して漢字を学んで流行りを覚えて、部活に打ち込んで恋愛して、社会に出てお客さんができて取引先ができて、それに結果がついてきて飲みに行って祝ったり祝われたり、、
与えられてきたものばかりなのに与えられないことばかり嘆くようになったのはいつからなんだろう。
恥ずかしいことが悪いことって思い始めたのはいつなんだろう。
電車ん中で電話しちゃダメってなんでだろう?
誰かに迷惑かけてるかな?
そんなこと言ったら、人間が生きてるだけで自然が大迷惑してるけどこれは人間がエライからいいんだっけ?
こんな考えはネパール に行って、週に一回何かしらのお祭りがあって、働いてるのか働いてるかわからないけどみんな笑顔で毎日楽しけりゃいいや、家族がご飯食えてたらそれで人生最高だっていうネパールの文化から学んだんだと思う。
人間ってなんだっけ?と。
与えられた分は還元しないと回らなくない?
オレはいいやが増えてるから日本って「イマの若者は〜」とかゆわれるんじゃない?
ネパールで「イマの若者は〜」って聞いたことないんだけど。
でも
ボクは競争をやめないし、この人生はとりあえず夢にベットする。
家族も欲しいし、友達と飲みに行きたいけど、家で土日はずっとだらだらしてたいけど、すぐ横で夢に向かって毎日23時や日が変わるまで頑張ったりしてるやつもいるからさ、頑張るよ。
でも、「人間として」っていう考えは捨てたくはない。
きっと一年前まではそこらへんに歩いてる外国人とか日本人のほうが上だろって思ってた。
実際ネパールでも日本人は敬意を払って迎えられる。
「お!あの日本から!」「いやーまあいやいや・・」
あれ?これって当然なんだっけ?
ボクたちが会えなかった日本の先人たちがこんな小国の島国を世界でも有数の経済大国にしたチカラの恩恵を受けてるだけじゃない?
残業できる環境があるだけマシだって思うくらい恵まれてね?
だいたい、若者の死因一位が自殺とか、めっちゃ恵まれてんじゃん。
アジアでも南の方は水も街も汚くて感染症で何割かの子どもしか大人になれないんだから。明日いきなり銃持った奴らが街中ウロウロするわけじゃないんだから。今でもどんぱちやってる国もあるよ。感染症で五体満足の権利を持てずに必死に生きてる人もいるよ、生きれない人もね。
もう与えられないことで嘆くのはいったんやめようぜ。
こんなにもらってるんだから。こんなに持ってるんだから。
頑張るのはそれを1つ1つ確かめてからにしよう。
諦めるのはそれを数えてからにしなよ。
きっと、恵まれすぎて毎日笑っちゃうよ?
だから与えられてきた分を次の人に与えようっていう意識めちゃ大事だと思うんだよね。
1人でも多くの人に広めたいし、訴えたいけど、イマのボクは、無力すぎるから毎日着実にチカラつけます。
これ見てる人だけでも、少しだけでも変わってくれたら嬉しいなって。
それもオレのエゴか。
優しい世界作りたい、絶対できる。
チカラ、つけます。つけましょう。
ほなまた!
もし1億円稼げるようになったらコンビニで100円のおにぎりじゃなくて200円のおにぎりが買いたい