尼崎店オープンまでの振り返り
2月26日は、、、
姪っ子の誕生日。
夜は両親と姉の家族とでお祝い。
姪っ子が主役の会。
父とも仕事の話は控えて、、、(笑)
家族でええ時間を過ごせてよかった。
帰宅後、21時前には家族3人で川の字で就寝。
早すぎる時間に起きてしまい、日報を見ていると目が冴えて、今に至る。
さて、この日は、、、
姪っ子の誕生日というだけでなく、満太郎の旗艦店となっている尼崎店のオープン日でもある。
4年前の店舗SNSを見ると、、、
当時は37歳かぁ、、、。
今でも右肩上がりを続けている、満太郎の旗艦店。
この店にチャレンジして、積み重ねて、結果がでたからこそ、会社としてのステージを一つ上に登れたなー、と思っている。
5年前。
JR尼崎近辺で出店したいなー、とずっと考えていて、、、
ある日父から連絡が入る。
「尼崎駅近くにテナント募集の垂れ幕の物件があるぞー」と、、、。
物件情報は世に出回ってなかった。
なぜなら、このビルオーナーが代わったばかりだったから。
そんなことは知らずに、すぐに電話。
1階テナントは募集していなくて、2階なら貸すことができるよー、との返答で断念する。
あとで知ったけど、1階でビルオーナーが飲食店をする予定とのことだった。
2週間ほど経って、やはりJR尼崎駅での出店を諦めきれず、「2階ならどんな条件ですか?」と再度連絡すると、、、
「1階で飲食する案は無くなったので、1階テナント貸し出しますよー。1階面積は28坪。18坪と10坪に区分けして貸しますよー。」との返答。
10坪で申し込むも、話を進める中で28坪で契約。
全部借りてくれるなら、、、と、この場所では破格の条件で契約できた。
しかし、28坪は広すぎる。
それまでの満太郎は、全て10坪未満の面積。
どうしてええか?わからんかった。
最初は2つの店舗を作ることも考えた。
満太郎+立ち食いそば業態やったかな。
結局、満太郎一本で行くことにしたけれど、、、。
初めてのスケルトンからのチャレンジ。
物件契約時は、スケルトンよりも、お金のかかる廃墟のような場所やった。
その時にあるものを全て潰して、スケルトンにしてからの工事。
廃材処理費用は結構かかったもんなー。
改めて見ると、、、ひどいなー。
よくやったなー(笑)
それくらい、JR尼崎近辺でチャレンジしたかったもんなー。
自分でレイアウトを描いたのも初めて。
レイアウトを描く上で、埃まみれの廃墟のような場所にメジャー片手に何度も通った。
施工業者さんとも何度もやりとりをした。
工事途中も何度も現地に通う。
赤ん坊の息子を抱っこする嫁さんに、想定入り口の位置に立ってもらい、僕が想定キッチンの場所に立って「いらっしゃい!」なんて言って、営業するイメージを何度も膨らませた。
そんなやりとりをすることで、気付くことがあり、工事途中にも仕様変更を施工業者さんにお願いすることもあった。
そんなこんなで、僕にとって、理想の店が出来た。
念願のコの字カウンター。
迎えたオープン日。
嬉しくて、家族でも記念撮影。
会社として、初めて30万円を超える売上を経験して、ビックリしたのを覚えている。
そんな数字、経験したこともイメージしたこともなかった。
20万円売れたらすごいよなー、のスタートやったもんなー。
当時、尾浜のセントラルキッチンもなかったし、翌日の仕込みが大変やった。
そこから、なんやかんや、あったけど、、、
今でもなんやかんやあるけれど、、、
積み上げてきて、今がある。
尼崎店にチャレンジしてよかったなー、と心から思っている。
さて、長くなってきたので、振り返りはここまで。
来年には、大阪駅での大きなチャレンジが控えている。今日も、その関連の打ち合わせがある。
毎回ドキドキや。商業施設が怖くなる(笑)
さあ、次のチャレンジも結果を出して、、、
ついてきてくれる仲間を、今よりも豊かにできるように、、、
今日も脳みそに汗をかいていきまっせ♪
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