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分子量と認知に関する多変数関数の評価、又の名を料理

料理とは最大化問題であると思う。
僕は18歳から一人暮らしを始め、同時に自炊をスタートした。当時の状況は惨憺たるものだった。フライパンに入れた真水を沸騰させ、半分に折ったスパゲティと玉ねぎを同時に茹で、湯を捨ててめんつゆを入れて完成。水溶性の栄養は捨てられ、味は最悪。貧乏を絵に描いたような食生活だった。
それから世界一周を経て、時間にも金銭にも余裕ができた頃から、自炊を少しずつ上達させてきた。料理上手の友達の家によく遊びに行っていたことが幸いした。何が幸いだったか。もちろん様々な料理のtipsを教わることができたのも大きい。しかし何よりも彼は、料理における変数を言語化してくれた。すなわち、何が最終的な効用(満足感)に効いてくるか。
美味しさは最も重要な変数である。次に効いてくるのは栄養。そして時間と金額。また、片付けの簡単さや、人に自慢できるかどうか、食材をうまく使い切れたかなども変数となる。さらにこれらはより細分化された変数を持つ関数として表されるということもできる。

今日は家にピーマンと小松菜が余っていた。海外から帰って間がないため、白ごはんは食べたい。前日に筋トレしたからタンパク質が必要。これらが所与の条件であった。
授業を終えての帰り道、心地よい空腹感を湛えながら晩御飯の献立を考える。
まず、主菜には肉を使おうと思う。ピーマンやハラペーニョなどトウガラシ系統の野菜は肉に合う。しばらく牛と豚を食べていたので、鶏むね肉を買うことにする。帰り道にある肉のハナマサでは100g48円で国産の鶏むね肉が売っている。鶏むね肉とピーマンならば、カレーマヨ炒めがいいかなあ。小松菜は使い切りたいので、煮物にして作り置きしよう。豆腐とちくわもハナマサで買っておくか。そういった計算で買い物をして、家に着いた。

……。

ここから今日の晩御飯を決定して作り終えるまでの思考過程を述べようと思っていたのだが、あまりにも複雑であることに気づいて途方にくれた。先述の通り、料理には細分化すれば無数の変数があり、無意識にもそれらの多くに気を配りながら料理は進む。八百屋で向こう4日間の栄養バランスを考慮しながら安売りの野菜を買った話や、小松菜が一部傷んでいたことから野菜の配分を変えたこと、大葉が安かったのでメインを和風スパゲティにしたことなど語るべきことが多々ある。スパゲティ用のお湯を沸かす時間に並行作業する内容や、切る順番によって加熱時間と洗い物の回数を調整する話など、突き詰めれば枚挙に暇がない。

こうやって御託を並べ、最終的に何を言いたかったのか。
まず、この問題は解けないということである。献立を決めるという行為は、いわば変数の取りうる値の範囲を予め定めることに近い。その外に真の最大値があったとしても計算を行っていないのでわからない。ただ範囲内における極大値に近づこうとすることのみが可能である。
そして、料理は楽しい。そもそもここまで語ってきた処理は料理に限らずあらゆる場面で生じる。ゲームでも、スポーツでも、恋愛でも。これは料理という玩具の遊び方のひとつである。こんなに楽しい上に美味しくて身体も健康になるのだから言うことはない。
そこに山があるから登るように。明日も出会うはずの効用関数の、頂を僕は夢中で目指すだろう。

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