僕が「何もやっていない感じ」のファシリテーターである理由。事例検討会について考える
「“何もやっていない”感じだったね。」
僕は毎月ある医療現場で「事例検討会」のファシリテーターをしているのですが、医療関係の友人がその様子を見学したときの感想がこれでした。
「いい意味で、“ファシリテーター”って感じがしなかった。けど最終的には、参加者のみんながスッキリしてたね。言いたいこと言ってた感じ。」
僕にとってみたら、嬉しい褒め言葉です。
事例に対する知識や治療方法を伝える、困りごとの解決に導く。一般的にファシリテーターに求められることを、僕はあまりやりません。むしろ“何もやっていない”感こそ、大事だと思っているところがあります。
訪問看護ステーションの「事例検討会」
医療業界では、患者さんの治療やケアについて多職種で話し合うことを、
「事例検討会」「症例検討会」「ケースカンファレンス」などいろいろな言い方をします。
僕は半年ほど前から東京都小金井市にある「えいる訪問看護ステーション」で、訪問している患者さんへのケアをより良くするための事例検討会を毎月行っています。
参加者は、看護師、作業療法士(0T)、理学療法士(PT)、ケアマネージャー
これまで検討したケースは
・リストカットを繰り返す患者さんへのケア
・終末期のがん患者さんのスピリチュアルペインへのケア
・認知症の患者さんの怒りへのケア
・リハビリはしたくないと拒否が強い患者さんへのケア
・依存が強くなる患者さんへのケア
・痛みの訴えばかりの患者さんへのケア
など
事例提供者は明確には決めていなくて、準備も必要なし。
最近気になっている患者さんのこと、関わりに困っている患者さんのこと、最近モヤモヤしたエピソードなどをシェアしてもらい、その場で話しながらみんなで検討するスタイルです。
事例検討会のゴールは「解決」なのか
医療業界では事例検討会について、こんな声をよく聞きます。
・事例検討会は準備が大変だから、やりたくない。
・アドバイスが個人への批判になるときがあってつらい。
多くの事例検討会では、知識の提供・治療法や介入方法の話し合いにより「解決する」ことがゴールとされます。
そのために事前に抜かりなく情報収集をする必要があり、報告内容によっては批判されることも。そのような面を「負担」と感じる人が増え、事例検討会が継続されないケースも多いのです。
けれども僕はこのことに疑問を感じています。
事例検討会においてもっとも大事なことは、本当に「解決」なのか?
事例検討会の準備は、本当に必須なのか?
これらの問いに対する僕の考えと、それに紐づいてファシリテーターとして大事にしていることを書いてみます。
事例検討会に、事前準備は必要ない
ケアの現場において、「まず時間をかけて情報収集をしてから、患者さんと関わる」というケースはほとんどありません。まず頭のなかにある情報をもとに患者さんと関わり、必要に応じて情報収集をするはず。
だから「事例検討会のために、患者さんの情報を集める」というのは実は、正しいようで正しくない、現実から乖離した行為だと思っています。
それよりも「今何も準備せずに持っている患者さんの情報がどれくらいあるかを、自分で知ること」のほうがずっと大切。
僕がファシリテートする事例検討会は準備なしで始めるので、「こんな患者さんに困っています。」という誰かの声をきっかけにファシリテーターが質問をして、情報を引き出していきます。
例えば、先日の事例検討会のやりとり。
(患者さんの個人情報は変更してあります。)
「患者さんには何の疾患があるんですか?」
「趣味とか、好きなことの話はされるんですか?」
「一人暮らししてるんですか?それとも家族も一緒?」
「元気な頃は、何の仕事をやっていた方ですか?」
すると、
「今は認知症がメインで、もともと躁うつ病があった方で。」
「庭いじりが好きだったんだけど、転んでからやめてしまって。」
「奥さんと暮らしてるけど病気しちゃってから、妹が週2で来ていて。」
「仕事は、バリバリと金融系やってたみたいで。」
すごくしっかり患者さんの情報を持っている。どのくらいの期間で情報を集めたのだろうとそのスタッフに聞いてみると、最近ケアし始めたばかりでたった一回しか関わったことがないというから驚きました。
事例検討会の参加者は「もっと患者さんに良いケアをしたい」という思いで集まっているスタッフたち。多くの場合、準備しなくても患者さんについてたくさんの情報を持っているのです。
情報収集を一人でやる必要はない
価値観や軸になる部分は患者さんによってそれぞれちがいますよね。
けど、その価値観や軸は自分ひとりで接するだけではわかりません。
例えば、ある患者さんに僕が関わる時には温厚で、怒ることがない患者さんだったとしても、関わるスタッフが変われば、怒ることがあるかもしれません。それは関わるスタッフの能力が低いとかではなく、そのスタッフの関わりに患者さんのこれまで大切にしていた何かの価値観に触れたり、過去の人間関係での傷ついた体験を思い出したからかもしれないのです。
話す相手によって、患者さんの見せる面が変わるのが当たり前。複数人が患者さんの情報を持ち寄ったほうが、いろいろな面から患者さんのことを知ることができるんです。
事例検討会では、事例を報告したスタッフだけではなくその患者さんに関わっているスタッフ全員から、患者さんの情報や様子などを聞いていきます。
さらに、患者さんに関わっていない人にも
「スタッフがその患者さんの話をしていて、印象に残ったことはあります?」
「関わってないけど、こんな患者さんで大変そうだなって思ったことあります?」
こんな質問をしたりもします。複数人で多方面から情報収集をすることで、自分だけで得ることは難しかった情報が得られるのです。
「情報収集をすべて一人でやる必要はない。他のスタッフと、役割分担をすれば良い。」
事例検討会では、この感覚を持ってもらうように意識しています。
ゴールは「患者さんのことをもっと知りたい」と思うこと
「自分は普段のケアのなかで患者さんの情報を集められている」と自信を持てる。
「情報収集は一人ではなくみんなでやれば良い」と安心できる。
事例検討会が「参加者が楽になれる場」になれば、
余裕ができて「もっと患者さんのことを知りたい」と思えるようになるはずです。
僕はこれこそが、事例検討会のゴールだと捉えています。
「患者さんのことを知りたい」と思えば、知識なんて後からついてきます。
・疾患のこと
・疾患の治療法
・なんの薬を飲んでるか、どんな効果があるか
・社会資源やサポート体制について
…
その人を好きになれば自然と知りたくなるし、もっと頑張れる。
ファシリテーターの質問には、全部根拠やエビデンスがあるけれど、その知識を持っていないことを事例検討会の中で問いただしても、なんの意味もないんです。
患者さんのことを好きになってもっと知りたいと思って、勉強する。そこではじめて事例検討会の質問には根拠があったことに気付く。このくらいがちょうどいいかなぁと思っています。
「何もやっていない感じ」のファシリテーター
困って一杯いっぱいになっている人にファシリテーターが知識や治療方法を提供したとしても、すぐに受け取ることはできません。
僕が事例検討会の場でファシリテーターとしてやっているのは、患者さんについて質問したりその情報量に驚いたり、困りごとに共感したりすることだけ。
参加者の中にもともとあるものを、大切にしています。
これは僕の直感ですが、スタッフの中に「もっと良くしたい」という思いがあれば、それぞれの患者さんとの関わりは、ほぼ100%患者さんが良くなっていく方向性につながっています。感覚でやっていたとしても、エビデンスの通りに、みんなの力で進んでいます。
ファシリテーター自身が持っている知識や経験は、良い方向に向かっている途中であることに気づいてもらうために使うものであって、決して参加者の自信を奪うためのものではありません。
だからこそ、ファシリテーターの知識や経験があって“すごい”と思ってもらうのではなく、参加者自身の知識や経験がすでにあって“すごい”と感じてもらう場になることが大事。
これらが、ファシリテーターは“何もやっていない”くらいに感じてもらうのが大事だと思っている理由です。
事例検討会は、やり方次第で楽になれるし、楽しいものになります。少しでも“もっと良くしたい”という思いを持つ人たちが続けられる場になったらいいなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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この事例検討会を行なっている「えいる訪問看護ステーション」では、今後事例検討会の見学や参加を職場内だけでなく開放していこうと考えています。気になる方は、所長の佐藤にお気軽に連絡してみてください。
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最後に、医療機関や対人援助の企業において、支援者や関わる相手について理解を深めるような場をつくりたい方。「何にもやってない感じ」のファシリテートでよろしければ、ご依頼ください。
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note編集協力:八ツ本真衣 (ライター、編集者、フォトグラファー)
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