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北尾トロ『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』

◆北尾トロ『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫、2006年)

弁護士や検事が題材になっているドラマや映画が好きだ。丁々発止のやり取りや駆け引き。少しずつ明らかになる真実。重箱の隅を突いているようにみえてそれが肝だった!ガーン!みたいな衝撃。そして痛快なラスト。何度観ても「わーおもろー」となってしてしまうし、再放送があるとついついチャンネルを合わせてしまう。どちらかというとこれは刑事だけど、小清水先生を追い詰める古畑任三郎は何度見たかわからない。リーガル・ハイやHEROなんかも好きだし、『エリン・ブロコビッチ』は見る度に「おっしゃあ!」とガッツポーズだ。シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』とかもいい。

とはいえ浸っている場合ではない、少なくとも今は。法廷ものは好きだけれども、じゃあそれなら実際の裁判や訴訟に興味があるのか、と聞かれれば、「いやそれは人並みに」という感じだし、裁判所に行ったことがあるかといえば、残念ながら場所もよく知らない。ただし、産経ニュースの「衝撃事件の核心」のシリーズをなぜか一生懸命読んでいた時期も過去にあったので、結局そういう下世話な話が好きなのだろう。

ということで今回読んだのは話題の傍聴エッセイだ(「話題の」という言葉が好きでよく使っているのだが、趣味の異なる夫に言うと「どこで話題なんだ」としょっちゅう突っ込まれる。もちろん「私のなかでの話題」だ。そして今回も敢えて使う)。

裁判の傍聴デビューをした著者の、のんびり傍聴ライフ、といったところか。傍聴時のマナーや抽選の話、傍聴する裁判の選び方などに関するエピソードもあり。大きな事件から小さな事件までバランス良く傍聴。そして関係者ではないからこその裁判官、検事、弁護士、被告に対してのフラットな姿勢やちょっとしたツッコミ。しゃちこばった傍聴ハウツー本(なんてあるのかどうかわからないが)なんかよりも、本書の方がよっぽど引き込まれるのではないだろうか。

そしてこの本を読んでぼんやりと思うこと。裁判の傍聴は、人の不幸の覗き見たさでは続かないだろうな、ということ。一度や二度の傍聴ならそれでも出来るのかもしれないが、傍聴を重ねる度に、「人生何があるかわからない」と思うようになる気がする。少なくとも私は本書を読んでいてそういう心境になった。生きていればいろんなことがある。今から検事や弁護士、裁判官になるのはほぼ不可能だけど、図らずも関係者になってしまう可能性は誰にだってあるのだ。

学生時代の知人が、「凶悪事件とかのWikipediaを片っ端から読んでると自分の悩みがちっぽけなものに思えてくる」と言っていたのを覚えているが、それと似ているのかもしれない。当時は「おおお」と思って曖昧な返事しかできなかったのを時を超えて詫びたいと思う。すまんかった。人生何が起こるかわからないから「とりあえず生きてこう!」ってことでいいかな。

ということで裁判所はまさに人間交差点。一度は使ってみたかったこの言葉を使う時がやっと来た。にんげんこうさてん。言いたいだけの感もないわけではないが、この本にピッタリではないだろうか。

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一応発行年を記載しているのだが、改訂したり版が変わったりで、公式のと持っている本ので違うことが時々あるようだ。これからはどうするかな。検討中。


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