見出し画像

#90日目 次を考える時期

こんにちは。ロンドンではじめての移住生活を送っているsacaikumiです。

あっという間に3ヶ月が過ぎました。そのうち約半分はロックダウンによる自粛生活で移住ならではの楽しみ(周辺諸国を旅行したり、街を歩き回ったり、新しい人と出会ったり)は全部お預けを食らっていますが、社会の常識が大きく変化する時間を日本以外の国で過ごし、物事を多角的に捉える機会を貰えたことに、何か縁のようなものを感じています。

世間の流れもコロナに恐れるだけでなく、この先の時代をどうやって能動的に生きていくかという方に焦点が当たってきていると感じます。

多くの人がこれまでの常識が果たして本当に正解だったのかと疑問を抱いて考え直すこの時間が、この先の世の中を大きく変える力になるだろうと期待しています。

私も、毎週のように自分の価値観を上塗りしています。先月は自分の内側と向き合う時間が長く、自分自身の価値をもっと正当に認めていきたいと思うための行動や考え方の上書きに集中していましたが、ここ最近は人とのつながりや社会の成り立ちについて考える時間が増えました。

まず、コロナが気付かせてくれたのが、本来あるべき人間関係とその中でのSNSの立ち位置について。

以前の私は端的に言ってSNSに振り回され過ぎていたと思います。朝起きたらまず携帯を開いてひと通り皆の更新を流し見て、仕事の合間合間も誰かの今日を目で追うことに時間を厭わなかった日々。そこに何の意味があったかというと、時間を潰す役割しかなかった。その細切れの時間をぼーっと過ごすのに、SNSの情報濃度はすごくちょうど良かった。頭を使わなくても飲み込めるから。だけど、それって別に友人を大切にする行動というわけでは無いんですよね。私たちは当たり前のように、生身の人を前にしてさえSNSに気を取られていたりもしていました。本当に大切な「今」に焦点を当てられなくなっていたことはちょっと異常だったと思います。

ただ、SNSが繋ぎ直してくれた昔の友達もSNSがなければ出会えなかった友達もいるので、ようはSNSとの付き合いを自分で操縦出来るかが大切だと思います。

これまでのSNSは外側を着飾って数字を取りに行くツールだったので、この先SNSの役割がもっと本質的なものに変わっていったらいいな。

改めて友達の定義を考えたとき、私にとってそれは理由や目的がなくてもまた会いたと望む人かなって思いました。だから別に友人のSNSを知らなくたっていいし、毎日最新情報を取り入れなくたっていい。zoomでテレビ電話しなくたっていいし、いいね!を押さなくてもいいんです。

自分の中でSNSと友情を一度切り離したことで、これまでよりフラットな気持ちでSNSを使えるようになりました。

それからもうひとつ、今沢山考えているのは社会のことです。私の生活や思考はこれまで、自分と家族と周りの友人と仕事仲間だけの世界でなりたっていました。だから自分の生活圏外で起きた災害はどうしても上手く想像することができませんでした。自分の身の回りが満たされていればそれで十分幸せだって思っていました。

それが今回、人類で初めてこんなに短期間で、そして世界規模でひとつの災害と向き合うことになって、ようやく私のこれまでの視野の狭さに気がつくことができました。

人間にとってのみ正しい社会って本当に正しいのでしょうか。もっと言うと、これまでの社会は一部の人間にとってのみ正しい社会だったのではないか…。

少し先の未来でコロナが収束した時、落ち込んでしまった経済を取り戻すために、大きなエネルギーが働いて、きっと私たちは急速に元の生活に戻っていくと思います。

だけど、そもそも今回のコロナは人間たちが自然を壊し、沢山の動物たちを絶滅させ、これまでの寄生先を失ったウィルス達がたどり着いた結果です。ならば、私たちが行動を変えない限り、同じくらい大変な規模の不測の事態はこの先も繰り返されるのです。

私たちはもう、地球の悲鳴を無視しちゃいけないところに居るんだと、やっと自分ごととして捉えられるようになりました。

最近withコロナという言葉が沢山使われていますが、正確には地球withだと思います。私たちは地球の主人公ではなく、地球という主人公に住まわせてもらっている住人のひとりなんだという意識を持つべきです。withの後ろにいるのが私たちだという謙虚さが今必要だと思います。

コロナが落ち着いたらあと、同じ場所に戻るのではなく、この期間の気付きや学びを活かして次の暮らしをみんなで作っていきたいです。

記事を読んでいただきありがとうございます。個人的な情報を含まない記事は全て無料で公開しているので、気に入って頂けたらサポートしてくれると大変励みになります:)