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直感

論理的に証明することはできないけど、直感は結構頼りになるものだと思って生きてきた。
私の直感はかなり気分屋だけど、一応コンパスみたいな役割を担ってくれている。

はじめに言っておくと、私には霊感みたいな類のスピリチュアルな力は無い。だけど、論理的に議論すべきことを全て通り越して、他人に上手く説明も出来ない段階から、先に結論だけ決めてしまうことが大きなことでも小さなことでも頻繁にある。

だから、はたからみて随分気分屋な意思決定の数々が、自分の中においてだけは、筋の通ったものとして成立することになる。

こういう生き方を、これまで無意識的にやってきていたことに最近気が付いた。

去年までの自分は、感覚的な仕事をしておきながら、感性とかセンスとかっていう言葉が好きじゃなかった。

「クミには感性があるから、センスがあるから、(易々と今の地位を手に入れられたんだよね?)良いね。」

と言われているみたいでなんだか悔しかった。
技術職は努力がないと勤まらない。

でも最近は少しずつ考え方が変わりつつある。

洗練されていくとは戦略的になっていくことだと考えると同時に、自分の感覚やセンスと呼ばれる、意識の及ばない部分の意思決定も、仕事をする上で役立っていると認めざるを得ない。

自分にさえわからない調合で論理と感性が織り交ぜられてしまうものだから、いつも言葉を使ってカタチに流れや意味を乗せていく。

仕事柄こういう感覚を凄く大切にしているけど、自分の人生においてはどうだろう。

振り返ると、取り分け社会人になってからは、感情と論理のどちらを優先すべきか悩むことばかりだ。

恋をして結ばれたり、なんか違うと思えたり、傷つけられたり、知らぬ間に人を傷つけたり、結婚しようか迷ったり、家を買おうか悩んだり、子供を作ろうか悩んだり、転職しようか悩んだり、引っ越すか悩んだり、、

答えがない上に、自分の直感しか頼りにならないような選択の渦が急に訪れる。

そして私は足がすくんだ。

みんながスルスルと世代の渦に呑まれて行く姿を、私は双眼鏡で遠くから眺めてきた。レールに乗り続けて怖くはないのかしらと不思議に思いながら。

だけどその一方で、渦に呑まれる自分を夢みたりもしている。

これからはもっと戦略的に、直感を使ってみようと思う。つまりもっと自分の直感による意思決定に対して絶大な信頼を置いてみようと思う。

頭で考えているうちは、心と繋がってないよ。

それを教えてくれた友達の意見を柔軟に大切にしながら。

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