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in vitroで仮説を検証するということ

私が所属している研究室では、主にin vitroで測定を行います。そうすることで生体分子がどういうメカニズムで機能するのか、モデルを提示します。

生体内で、つまりin vivoでこうなっているだろうという仮説を示す訳です。

in vitroというのは試験管内で(の)という意味です。逆に生体内で(の)を意味する言葉をin vivoと言います。この二つの言葉は対立する概念であり、その区別は研究分野によって多少異なるそうです。

研究のアイデアはvivoの論文を読んで考えます。ある現象についてin vivoで示されたデータから導かれる分子レベルでの仮説があって、もっと詳細な機構、原子レベルではどうなんだろう、と。

in vitroの研究では測定時に未知の条件が存在しない事が良いとされています。

現在の科学技術では、原子レベルで現象を理解する為の測定はvitroでしか出来ません。

それをvivoで出来るよう試みる研究も続けられていますが、実用的な方法論としては未だ確立されていません。

生命現象を理解する、というのが研究を行う究極の目的です。なので、vivoのデータはvitroの上位にある、と私は捉えています。vivoで見つかった現象を、vitroでよりよく理解しよう、というのが研究のモチベーションなのです。

ある仮説があるとします。その現象を示すvivoのデータは乏しい。従って、vitroを専門とする研究者がその仮説に則った研究を行おうと計画します。しかし、vivoのデータが不足している。その場合、不慣れなvivoの検証を頑張ってやるか、その現象が起こると仮定し、vivoでの検証をすっ飛ばしてvitroの系を構築するしかありません。

前者を選んだ場合、まあ凄く苦労するし、データが取れない時スキルが無いせいなのか、本当にネガティブデータなのか、判断に苦しみます。後者を選んだ場合、vitroでのデータを揃えたとしてvivoで検証してない為本当にそれが生体内で起こっているの、と突っ込まれる予知が残ります。何か分かり易くて他の現象を論理的に説明できるようなモデルを構築できれば、面白い仮説を示せたという点で価値が生まれるかもしれませんが、、、

生命を理解する事を目的とした時、このvivoからvitroへは超えることが出来ない「ひらき」が存在します。ですが、vitroの研究は下位要素であるからこそ、大切です。我々は主に還元論的に事物を理解します。そうする時、vitroでの検証は大きな武器になります。細胞一つとってもその構成要素は数えきれないほど多い。それらが織りなすネットワークを理解するには一つ一つをpick upして、試験管内のクリーンな環境ではっきりと見てやる必要があります。そうすることで夾雑系のベールに隠されていた姿が明らかとなるのです。

世の中、分からない事ばっかりです。そうした時、何から構成されているのかを知ると、視界がクリアになります。その名称や特徴しか知り得なかった私が、下位情報を入手することで、それがどうやって出来ているかが想像できるようになるんですね。捉えどころの無かったものに対して、イメージを掴みやすくなる。理解する、という事の第一歩になる訳です。理解することは楽しいし、役に立ちます。そして、安心します。

in vitroの研究にはそういうモチベーションがあります。これを意識するしないで全然研究の完成度は違ってきます。また、このモチベーションもまた下位情報と捉えることが出来ます。還元論的に毎日を生きると、日常が少し違って見えてくるんじゃないでしょうか。

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