第13話 2度目の災害派遣(殺処分)| Saito Daichi
千葉県内で「高病原性鳥インフルエンザ」が発生し、派遣要請が下りていました。
派遣前の健康診断で、駐屯地の医務室はごった返していました。
廊下がとんでもなく酒臭かったのを覚えています。
降下塔広場で派遣部隊の編成完結式を行い、私と同じ配属初日の中隊長が指揮を執った。
私は午前中に物品受領があったので、もしものためを考えて、後輩に背嚢の入れ組み品を作るように言って、自分も用意していました。
まさか本当に行くとは思わず、足りない分は小隊の先輩達に借りました。
空挺背嚢の使い方も良く分からないまま、大型トラックの後ろに乗り、行き先も言われずに派遣地域へと前進します。
車両の中でも、一体、自分達はどこに向かっているのか誰も分かっていませんでした。
こうした情報共有のなさは、部隊の特徴の一つとして今後も続くことになります。
到着したのは市役所でした。
荷卸しの後、タイベックスという全身真っ白の防護衣とゴーグル、マスク、ゴム手袋と長靴を受け取ります。
市役所の2階に寝る場所を確保し、着替え、バスで養鶏場へと向かいました。
養鶏場内は熱気が凄く、ゴーグルが曇って何も見えません。
何より、転属初日で誰が誰だか分かりませんでした。
その状態で何かを頼んだり、頼まれたりしなければなりませんでした。
分かったことは、全員余裕がないということだけでした。
養鶏場内での作業は基本的に、鶏が入っているケージ列の前に脚立を移動させることから始まりました。
ケージの窓を開けて鶏の足を掴み、下で巨大なゴミ箱に蓋をしている人間と呼吸を合わし、ゴミ箱に投げ込み、急いで蓋を閉めて確保します。
そうしないと逃げ出し、ケージの下などに潜り込まれたら、人は入れないので捕まえるのが大変になります。
熱気が凄いので、全員の苛立ちが肌で感じられました。
両足や首をへし折ってから、ゴミ箱に投げ込む同期もいました。
私も最初はかわいそうだと思いました。
が、ケージに入れた手を感染疑惑のある鳥に何度も攻撃されるので、無感情にゴミ箱へと放り込みました。
ゴミ箱が鶏で一杯になると、蓋を閉めるスピードを最速にしなければいけません。
仲間のボディでバウンドし、場外脱走する個体も出てくるからです。
そうなる前に、二酸化炭素ボンベにホースガンを繋げた隊員が待っている場所にゴミ箱を運ぶ必要があります。
蓋を僅かに開け、ガンを中に突っ込み、ガスで窒息死させます。
中では悲鳴を上げながら大暴れしているので、蓋をしっかり押さえました。
悲鳴が聞こえなくなるまでガスを送り続け、蓋を開けてチェックした後、養鶏場の外に搬出します。
外では山積みになった鶏の死体を、ショベルカーを使って地面に埋める作業が夜通し続いていました。
そこにお邪魔し、ゴミ箱を鶏山付近で倒し、中身が空になるまで死体を流します。
そして養鶏場内に戻って作業をする、というループを3、4時間ほど続けました。
一定のローテーションを組み、時間が来るとバスに乗って、タイベックスなどの防護衣を全て脱ぎ捨てます。使い捨てだからです。
新しい防護衣には部隊名をスプレーします。
その作業を市役所の正面玄関でやっていたので、最後に地面に付着したスプレー痕を落とすという作業が追加されました。
落とす道具もないので落ちていた石で地面を削るという作業です。
そして市役所の2階でうずくまって寝て、数時間後に着替え、またバスで養鶏場に向かい、鶏を殺処分するというルーティンがしばらく続きました。
鶏を処分した後は、駐屯地に帰隊しました。
ちなみに市役所で出てきた弁当は鳥の唐揚げ弁当でした。
大量の鶏を殺した後でも、私や周囲の隊員は普通にコンビニで唐揚げなどをばりばり食べていました。
「災害や屠殺で生物の生き死に関わると食事が喉を……」という文言を良くフィクションやノンフィクション問わず目にします。
が、私の場合はそういった感情は湧きませんでした。暇もありません。そういったメンタルの方は厳しいと感じました。