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キリスト教およびキリスト教徒

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#愛媛県玉串料訴訟

古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

古今東西の文明を包み込む京都「祇園祭」──禁教時代に「聖書物語」を飾った函谷鉾(「神社新報」2002年1月14日)

 日本三大祭りのひとつ、京都・八坂神社の祇園祭について書こうと思います。

 昨年(平成13年)9月11日のアメリカでの同時多発テロ事件に端を発するアフガニスタン戦争はすでに最終局面を迎え、今度は他のイスラム諸国を標的とする第二段階に進みそうな気配です。「文明の衝突」という表現を否定する人は多いのですが、そうした側面は否定しても否定し切れないようにも思います。

 テロ事件の容疑者にはアフガン人は

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キリスト者にとっての慰霊──内心に潜む神道信仰(「神社新報」平成10年3月9日から)

キリスト者にとっての慰霊──内心に潜む神道信仰(「神社新報」平成10年3月9日から)


◇「違憲判決から1年

「愛媛玉串料訴訟」の最高裁判決から、まもなく1年になる。

 どうにも理解しがたいのは、

「元来、わが国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきている」から「政教分離規定を設ける必要が大であった」とする判決理由である。

「一元的」「単層的」な宗教など、世界のどこにあるだろうか?

 たとえばキリスト教はどうだろう?

「ヤスクニ闘争」を指導してきたキリ

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「二十六聖人殉教」の背景──秀吉が見抜いたキリスト教の“侵略性”(「神社新報」平成10年4月13日号から)

「二十六聖人殉教」の背景──秀吉が見抜いたキリスト教の“侵略性”(「神社新報」平成10年4月13日号から)

「愛媛玉串料訴訟」最高裁判決から1年が過ぎた。

 判決文に

「わが国では……国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた」

 というくだりがある。

 驚いたことに、同じような表現が昭和52年の「津地鎮祭訴訟」最高裁判決にもある。「国家神道」が宗教迫害の元凶だとする論が“判例”となっているのだ。

◇「

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