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天皇の祭りの「米と粟」

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神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭で、もっとも重要な神饌は「米と粟」の御飯(おんいい)です。なぜ「米と粟」なのか、なぜ「粟」なのか?
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大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

 先月、政教関係を正す会のシンポジウムで、大嘗祭が稲と粟の複合儀礼であることについてお話ししたところ、旧知の神道学者から「新嘗祭と異なり、大嘗祭には粟は登場しないのではないか」というご指摘をいただきました。

 著名な研究者からの指摘ですから、無視することはできません。まして、「大嘗祭は稲と粟の複合儀礼ではない」ということだとすると、私の年来の主張はもう一度組み立て直さないといけなくなります。

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台湾先住民の「粟の祭祀」調査。男系派こそ学びたい戦前の日本人の探究心(令和3年3月23日、火曜日)

台湾先住民の「粟の祭祀」調査。男系派こそ学びたい戦前の日本人の探究心(令和3年3月23日、火曜日)

▽1 オウンゴールをもたらす知的探究の不足

前回、皇位が男系で継承される理由は、天皇が祭り主であること、天皇の祭りが天神地祇を祀る多神教儀礼であることにあるなどと指摘したが、天皇が多神を祀り、祈ることは当然、米のみならず、米と粟を捧げて祈るという、皇室第一の重儀たる新嘗祭の中心儀礼の祭式と密接不可分の関係にある。「米と粟」を考えることなくして、皇統の男系主義の理由を探ることはできない。

新嘗祭

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大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する(2019年11月10日)

大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する(2019年11月10日)

 大嘗祭は「稲の祭り」であるという思い込みに、国学者や国文学者、歴史学者、そして政府などが取り憑かれています。雑誌「正論」最新号に掲載された、保守派論客・竹田恒泰氏の論考もまた、残念なことに「稲」でした。
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 そんななかで、ほとんど唯一、「稲と粟の祭り」論を展開しているのが、岡田荘司・國學院大学教授です。前回の御代

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やっと巡り合えた粟の酒──稲作文化とは異なる日本人の美意識(2019年09月23)

やっと巡り合えた粟の酒──稲作文化とは異なる日本人の美意識(2019年09月23)

 知り合いの神社関係者から粟の焼酎が送られてきました。私が長年、粟の酒を探し続けているのを知って、お気遣いくださったのです。念願がかない、感無量です。すっきりした味わいに、かすかな粟の香りがしました。

 いただいたのは、鹿児島・阿久根市の大石酒造が生産した粟焼酎100%の古酒「御吉兆」で、同社の説明によれば、1992(平成4)年に粟と米麹を原料にもろみをしこみ、限定的1100本を蒸留、長期間、甕

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やっと巡り会えた粟の神事──滋賀・日吉大社「山王祭」の神饌「粟津御供」(2019年6月20日)

やっと巡り会えた粟の神事──滋賀・日吉大社「山王祭」の神饌「粟津御供」(2019年6月20日)

 粟の神事にやっと巡り会えました。

 探しに探し続けて、もう何年になるでしょうか。宮中新嘗祭、大嘗祭では古来、神饌に粟が登場します。祭りが天孫降臨神話に由来するのなら、皇祖神に米の新穀を捧げれば足りるはずなのに、米だけではなく、粟が捧げられるのはなぜでしょう。粟とは何でしょうか。

 古代において、民間に粟の新嘗があったことが知られています。民俗学者によると、大正時代の人たちは粟や稗の酒を自家醸

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岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?──神道学は時代のニーズに追いついていない(2019年2月17日)

岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?──神道学は時代のニーズに追いついていない(2019年2月17日)

▽1 粟は「飢饉対策」

 全国の神社関係者を主な読者とする宗教専門紙「神社新報」(2月4日付)に、じつに興味深い記事が載った。

 何が興味深いかというと、御代替わりを文字通り目前に控えたいま、社会的なニーズがもっとも高く要求されながら、逆にまったく追いついていない神道学の研究水準というものが、図らずも浮き彫りにされているからである。

 つまり、大嘗祭のもっとも中心的な儀礼である、大嘗宮の儀で

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粟が捧げられる意味を考えてほしい──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」(2018年11月25日)

粟が捧げられる意味を考えてほしい──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」(2018年11月25日)

 陛下はおととい、最後の新嘗祭を親祭になられた。感慨もひとしおだったに違いないと拝察される。それは「最後」だからではない。「簡略」新嘗祭だったからだ。

 報道によると、陛下は夕(よい)の儀の後半にお出ましになり、暁の儀にはお出ましにはならなかった。「健康上のリスク」への配慮とされる。

 日本書紀の仏教公伝のくだりや養老律令の神祇令、あるいは順徳天皇の「禁秘抄」に書かれてあるように、祭祀は天皇第

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宮中新嘗祭は「稲の儀礼」ではない──誤解されている天皇の祭り(2013年11月24日)

宮中新嘗祭は「稲の儀礼」ではない──誤解されている天皇の祭り(2013年11月24日)

 昨夕、皇居の奥深い神域で新嘗祭が斎行されました。

 昨今はインターネット時代で、多くの方が陛下の祭りについて情報を発信していますが、「稲の祭り」「天照大神をまつる」といった、必ずしも正確ではない情報が広がっているのは残念です。

 そして、このような誤情報こそ、側近らによる祭祀の改変を野放しにしている最大の理由ではないかと私は心配しています。

 そんなわけで、宮中新嘗祭について、あらためて考

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系譜が異なる2つの稲作起源神話──大気津比売殺害と斎庭の稲穂の神勅(「神社新報」平成10年11月16日号から)

系譜が異なる2つの稲作起源神話──大気津比売殺害と斎庭の稲穂の神勅(「神社新報」平成10年11月16日号から)

 日本人が主食とするだけでなく、神々への第一の捧げ物とされる米、つまり稲は帰化植物である。日本列島からは野生の稲が発見されていないから、そう断言できる。

 稲はどこからやって来たのか、稲作はどのように伝わってきたのか、を探ることは、同時に日本人のルーツを突き詰めることでもある。

 ここでは神話学の成果をもとに、考えることにする。

『古事記』『日本書紀』には、2つの稲作起源神話が描かれている。

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精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)

精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)

(画像は昭和の大嘗宮。『昭和大礼要録』昭和6年から)

 平成2年11月22日の夕刻から翌朝にかけて、平成の大嘗祭「大嘗宮の儀」が皇居・東御苑に設営された大嘗宮で斎行された。

 テレビに映し出される幽玄な儀式の模様を多くの国民が見入ったのと同じころ、遠く秋田県の山間の町には人一倍深い感慨を抱きながら、画面を見つめる1人の篤農家がいた。

 北秋田郡に位置し、真冬には2メートルもの雪が積もるという

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