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天皇の祭りの「米と粟」

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神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭で、もっとも重要な神饌は「米と粟」の御飯(おんいい)です。なぜ「米と粟」なのか、なぜ「粟」なのか?
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#大嘗祭

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

大嘗祭は「米と粟」の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す(2011年12月18日)

 先月、政教関係を正す会のシンポジウムで、大嘗祭が稲と粟の複合儀礼であることについてお話ししたところ、旧知の神道学者から「新嘗祭と異なり、大嘗祭には粟は登場しないのではないか」というご指摘をいただきました。

 著名な研究者からの指摘ですから、無視することはできません。まして、「大嘗祭は稲と粟の複合儀礼ではない」ということだとすると、私の年来の主張はもう一度組み立て直さないといけなくなります。

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粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

粟餅を食べたら、ふたたび疑問が湧いてきた──粟の御飯の調理法(令和4年12月26日、月曜日)

年内最後の実験を試みた。

国産のもち粟を使用し、12時間吸水させたのち、今回はお茶の粉末を入れ、よくかき混ぜて、炊飯器の白米おこわモードで炊いた。炊き上がったら、すりこぎで餅につき、半分はそのまま丸め、残りは粒あんをつき入れてから丸めた。

画像の手前が前者で、奥が後者である。粒あんをつき入れたのは、神武東征のおりに作られたという「つき入れ餅」の故事を思い出したからである。にわかに船出することに

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神道学への疑問。なぜ「粟」の存在が見えないのか?──真弓忠常「大嘗祭」論を読んで(令和4年12月4日、日曜日)

神道学への疑問。なぜ「粟」の存在が見えないのか?──真弓忠常「大嘗祭」論を読んで(令和4年12月4日、日曜日)

新嘗祭・大嘗祭は明らかに「米と粟の祭り」である。先々週、宮中の聖域で行われた新嘗祭で、陛下は神前に「米と粟」の新穀を供饌され、直会されたはずである。神事のあり方は古来、変わっていないはずである。

ところが、正確な情報を社会に提供しているはずの神社検定の公式テキストや著名神社の宮司を歴任した神道学者までが、新嘗祭=「稲の祭り」説に固まっている。そのため、前回、書いたように、これらを参考文献とするS

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大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する(2019年11月10日)

大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する(2019年11月10日)

 大嘗祭は「稲の祭り」であるという思い込みに、国学者や国文学者、歴史学者、そして政府などが取り憑かれています。雑誌「正論」最新号に掲載された、保守派論客・竹田恒泰氏の論考もまた、残念なことに「稲」でした。
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 そんななかで、ほとんど唯一、「稲と粟の祭り」論を展開しているのが、岡田荘司・國學院大学教授です。前回の御代

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岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?──神道学は時代のニーズに追いついていない(2019年2月17日)

岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?──神道学は時代のニーズに追いついていない(2019年2月17日)

▽1 粟は「飢饉対策」

 全国の神社関係者を主な読者とする宗教専門紙「神社新報」(2月4日付)に、じつに興味深い記事が載った。

 何が興味深いかというと、御代替わりを文字通り目前に控えたいま、社会的なニーズがもっとも高く要求されながら、逆にまったく追いついていない神道学の研究水準というものが、図らずも浮き彫りにされているからである。

 つまり、大嘗祭のもっとも中心的な儀礼である、大嘗宮の儀で

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精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)

精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)

(画像は昭和の大嘗宮。『昭和大礼要録』昭和6年から)

 平成2年11月22日の夕刻から翌朝にかけて、平成の大嘗祭「大嘗宮の儀」が皇居・東御苑に設営された大嘗宮で斎行された。

 テレビに映し出される幽玄な儀式の模様を多くの国民が見入ったのと同じころ、遠く秋田県の山間の町には人一倍深い感慨を抱きながら、画面を見つめる1人の篤農家がいた。

 北秋田郡に位置し、真冬には2メートルもの雪が積もるという

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