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死中に活を求める夜に

子供の頃暴れる父親に死ね、殺してやると言われながら叩かれ恐怖で失禁した夜、私は強い感情に駆られた。初めて人を殺したいと思ったのだ。
正確には攻撃的な「殺したい」ではなく、殺さなければならないという感情に近い。自分が殺されてしまうと思ったから。
しばらくの間どうやって殺せばよいか考えたが、結局私に自分の手を汚す勇気は無かった。

虐待された子供が親を殺害した、というニュースを見ると、決して他人事ではないと感じる。彼らも別に人を殺したかった訳ではなく、殺さないと殺されるからその一歩を踏み出したんだろう。死んだように生きた人間の最後の自己防衛だと感じる。

これを書きながら思い出したことがあって、お酒を飲んで機嫌が悪くなった父親に無理矢理車に乗せられ荒れた運転をされた夜は本当に死んでしまうと思った。当時小学生だった私は自分たちの車がどこを走っているのか全く分からなかったけど、降ろして欲しいと泣きながら懇願した記憶がある。


今思えば、昔は殺したいという強い気持ちと死にたいという絶望した気持ちの狭間を行き来していた。ただそれは環境とともに変化し、地元を出て東京で一人暮らしをしている今は父親を殺したいなどとは一切思わない。そしてもう数年会っていなければ連絡もとっていないし、親族が亡くなった際も特に連絡は無かったので関わりも無い。

とはいえ昔の夢を見るとどうしても色々なことを思い出すので死にたいという気持ちに襲われる日はたびたびある。

きっとこれからも私は死にたいと生きたいを繰り返しながら生きるんだろう。別にそれでいいと思っている。毎日健やかな気持ちで「生きたい」と思い続けることができなくたっていい。
一度汚れたものが完璧な白になることは難儀である上に、白で居続けることはもっと難しいからだ。
誰かを殺したいという強い感情が消えたこと自体、私が健やかな人間に近付き、自分の人生を生きている証だ。
他人の基準は気にしなくても大丈夫、私の幸せは今ここにあるのだ。

斉藤 レジェンド(@Saito_legend

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