左右差を整えることに意味があるのか?
「こんなに歪んでますね!」
「正しい姿勢になりましょう!」
昨今のフィットネスブームもあって、以前よりこういう言葉をよく聞くようになったと思います。
私の近くの声や遠くの声を聞いていると、どうも左右差に関しては様々な意見があるようです。
しかし、どれも突き詰めていえば「左右差を整えることに意味があるのか?」ということだと思います。
今回はこれについて考えてみましょう。
果たして意味はあるのかないのか……!?
【どんな意味があるのか?】
「左右差を整えることに意味があるのか?」
このクエスチョンに対して、まず確認しなければならないことがあります。
それはこの「意味」とは「どんな意味か?」ということです。
いったいなぜ「歪んでいますね!」と伝え、どのような効果を出そうとして「正しい姿勢になりましょう!」と言い、「左右差を整えよう」としているのでしょうか。
理由はもちろん人それぞれですが、
1、きれいになるために姿勢を良くしたい
2、痛みや不調から解放されたい
3、パフォーマンスを向上させたい
などが代表的ではないでしょうか。
(ちなみに私をはじめオステオパスは、自然治癒力の向上を狙った循環のために左右差を参考にすることも多い)
では元のセンテンスにこの3つを足してみましょう。すると、
「きれいになるために、左右差を整えることに意味があるのか?」
「痛みや不調を解放するために、左右差を整えることに意味があるのか?」
「パフォーマンス向上のために、左右差を整えることに意味があるのか?」
となりますね。
これでだいぶ目的が明確になった感じになりました。
さらに明確にするために、もう一つ意識してみましょう。
それは「なにが左右差を生んでいるのか?」です。
【なにが左右差を生んでいるのか?】
良し悪しは別にして、物事は原因があるから結果が生じるように、左右差もなにかの原因があった結果に生じます。
オステオパシーでは体性機能障害、
(Somatic Dysfunction)という概念があります。
これは左右差に限らず「なにが悪さの元になっているか?」の指標になるもので、
『体性系である、骨格・関節・筋・筋膜構造と、それらに関連する、血管・リンパ・神経要素の機能の異常と変化』
という定義です。
この体性機能障害が何かしらの要因で生じるから、痛みや不調などが現れると考えるわけですね。
ではこれを今回のテーマに落とし込むと、
身体に異変
↓
その異変が痛い
↓
その痛みを避けるため代償動作
↓
左右差が出現
などと考えることができます。
(もちろん先天性や後天性、生活習慣や耐性、症状の有無などで様々なパターンが考えられます)
身体の異変の発端となったもの......
骨・関節・筋・筋膜、血管・リンパ・神経要素の異変……
はたまた栄養が関係しているかもしれませんし、日常生活や、バイオメカニクス、キネティックチェーンからきているかもしれません。
私たちオステオパスは極論「ことの発端となった異変」を鑑別するために、膨大な量の解剖・生理・病理を、検査方法や触診技術を学び洗練させ、またエビデンスや様々な実験結果、科学技術を応用しているといえます。
知識や経験、洞察力があればあるほど、この「なにが左右差を生んでいるのか?」は、もっともっと広く細かくして明確にすることができますね。
しかしシンプルなことなのに、なぜか得てして、目の前のことに集中しすぎたり、知識を詰め込むことに偏り過ぎた時、「因果関係を見失ってしまいがちなこと」でもあります。
【見失いやすい因果関係】
因果関係を見失わないため、情報やタスクが膨大になった時こそ物事をシンプルに考えてみることが大切です。
シンプルにするためのキーワードは「目的」と「手段」です。
左右差とは、その人のその身体が何かの目的のために行った手段の結果、生じている可能性が高いです。
そして左右差を整えることとは手段であり、目的ではありません。
もし左右差を整えることを目的にした場合、「意味」を答えられなくなってしまいます。
「左右差を整えることに意味があるのか?」
今回この質問からスタートしましたが、ここまで読んでいただいた方はもうお分かりだと思います。
この質問内容では情報量が少なすぎて、目的が分からず手段が選べません。
裏を返せばこの質問で分かることは「意味があるかもしれないし、ないかもしれない」ことともいえます。
つまり答えは「ケースバイケース」です。
痛みや不調を改善するために左右差を整えることは、
パフォーマンスを上げるために左右差を整えることと必ずしもイコールではありませんし、
左右対称にして身体を美しくするためも、これらと全くイコールではありません。
まさに「混ぜるな危険」です。
今回のブログはハウツーを期待して読んでいただいた方にはつまらないものかもしれません。
しかし様々な学びや経験を得る中で、根本的に違う視点で物事を考えることや、新たな視界を切り開いていくことを見失わないでほしいと切に願います。
以前のブログ でも紹介しましたが、哲学者のプラトンの言葉で、
「本当に大切なことが何かを見極めなければならない。そこでは現状から離れた視点が必要なのだ。その視点こそが哲学である。」
というものがあります。
もし左右差の是非に “ ゲシュタルト崩壊 ” してしまい、因果関係を見失いそうになったら、
「なんのために左右差を整えようとしているのか?」
「なにが左右差を生んでいるのか?」
「この歪みは何に必要で、何に不必要なのか?」
こういったことを意識上に置き「なぜ?」をdig onする。
そこから離れ、基礎に戻り、なぜ?を掘り下げてみてはいかがでしょうか。
染谷 清行
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