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イノベーター理論とエビデンス【2】


イノベーター理論とエビデンス【1】の続きです。


“「良いエビデンスとは反証に耐え抜いてきたもの」という考え方があるからです。これは「反証主義」と呼ばれます。”

というところまでお話しをしました。


この反証主義とは、「科学的な知識とは事実の積み重ねではなく、誤った仮説や理論を放棄することで成長する」という、いわば消去法的な考え方でもあります。


一度簡単にエビデンスの歴史を振り返ってみましょう。


まず初めは、「神学や形而上学」です。

神学は信仰を前提とした立場から宗教的な概念について理論的に考察、研究していく学問です。

形而上学とは、見たり触ったりして確かめられないものの本質や存在を、考えや直感によって探求する学問です。

私個人的には、宗教の中に一つの真理があるとも思いますし、目に見えるものが全てと思っていません。が、

例えば、神のお告げによって、もしくは直観によって「心臓を取り除けば治る気がする」と言われたからといって、疑いもなく切除してしまって、果たして良いのでしょうか。



そして次に、この神学や形而上学のアンチテーゼとして生まれたと言われる「経験主義」です。

これは、「すべての知識は感覚的データに由来すべきである。つまり世界を観察した蓄積である」という考え方であり、

「私たちはもともとは白紙であり、感覚的経験により、知識が形成される」という前提によります。


次に「実証主義」です。

実証主義とは、「経験的なデータの蓄積から様々なことを比較し、法則のようなものを検出し、一般化し応用する」という考え方です。

だんだんと近代的な考え方になってきましたね。

しかしこれも、もし観察の蓄積に基づくのであれば、「太陽は毎日昇る」といった事象を法則化するのは不可能です。(何日観察すれば終わるのかが不明)

また、経験的なデータでは知覚で感知できるものしか対象になりません。


そして先ほどの、反証に耐え抜いてきたものは信用度が高いという、「反証主義」へ至ります。

反証主義自体も、反証することももちろんですが、反証される材料がなければ反証できませんから、経験主義や実証主義から発生していく研究もあります。


1962年、アメリカの科学者のThomas Samuel Kuhnはこういった科学発展を歴史的三段階として提唱しました。その内容は、

1、前科学
様々な思想を提唱する学派が混在し、確立したパラダイム(=ある一つの時代の人々の考え方を根本的に支える概念)が存在しない状態。

2、通常科学
パラダイムが確立し、様々な研究が施行され、その結果が解釈され、パラダイムとの一致が起こる。理論は詳細化され、研究者たちはその理論の限界を探求する。不一致も発生するがパラダイムの許容内で解決される。

3、革命
不一致の証明が圧倒し始め、古いパラダイムを捨てざるを得ないポイントに到達し、パラダイムがシフトする。(パラダイムシフト)

というものです。

パラダイムシフトという言葉を聞いたことがあると思いますが、彼のこの考え方が起源といわれています。(パラダイムシフト=革命)

彼は、「科学とは安定した知識の集積ではなく、通常科学と革命の終わりなき連続である」と考えていたようです。


実際にエビデンスに関していえば、その性質として計測できないものに関しては計測ができません。ですので、計測できる器具や理論などの発達や開発の影響を受けます。

この側面は、この「科学とは安定した知識の集積ではなく、通常科学と革命の終わりなき連続である」を表している一つのポイントでもあるでしょう。

(イノベーター理論とエビデンス【3】)



染谷 清行

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