海外赴任の打診でパニックになった僕は、発達障害ASDのボーダーである点を以前付き合った理恵にメールで伝えた

理恵と付き合っていたのは、3~4年前に2年間ほどだった。
それは、男女の付き合いだったのかもわからないほど、普通ではない関係だった。
そして、当時から僕はそのことを自覚していた。

いつも外で待ち合わせて、街歩きしてカフェに入ってしゃべったり、食事をして、そのまま外で別れる。
お互いに40代で独身で一人暮らしなのに、どちらの家にも誘ったり誘われたりもなかった。プラトニックな関係だった。

カフェやレストランでなく、公園でピクニックをした記憶はある。
理恵が作って持ってきてくれたピクニックボックスの中身は、もう忘れてしまったけど、お洒落だった。

そう、理恵はエレガントで都会的だった。
出身は地方だったけど。

理恵と僕は以前の職場で知りあった。
その時は仕事の話をするくらいだったけど、僕が別の部署に異動した後に、理恵の方から会いませんかというような声をかけてきたと思う。

好きとか、付き合おうとか、キスするとか、そういうものもまったくない。
友達なのか、男女なのか、なんなのかもよくわからない。
さらにはお互いに敬語で話す。

そんな付き合い方は僕が意図的に誘導したものな気がする。

そのことに対して理恵がどういう風に感じていたのかはわからないけど、不満そうな、不思議そうな、男女の付き合いに入りたそうな素振りを見せたことはある気がする。
でも、僕は無視したり、気づいていないふりをしていたと思う。

僕たちは僕達の関係性について、話し合うことはなかった。少なくとも僕から切り出すことはなかった。

僕の理恵の印象は、とにかく大人な女性というものだ。

理恵のことをエレガントだと形容していたのは一緒に働いていた職場の上司だ。たしかに見た目は、白金あたりに住んでいるマダムという感じだ。

でも、僕がいう大人という意味は、外見のことではない。
見た目もそうだが、僕にとっては、コミュニケーション能力もいろいろな判断力も、僕にない、定型発達しかたどり着かないステージの人間の姿だ。

そんな、定型発達の大人の女性が、どんなことを考えているのか知れて、僕は、理恵の話を聞くのは好きだった。

彼女なら結婚のチャンスもあっただろうに、独身というのも興味深かった。でもそれを聞くことはしなかったし、自分の話はほとんどしなかった。

いつも、数時間一緒に過ごした後、僕は帰りたそうにし、なかば強引に、今日はここまでにしようというようなことを伝えて別れた。

2年ほどそんな関係が続いた後、ある日を境にして理恵からの連絡は途絶えた。

いつも次はいつ会おう、というメールをどちらからともなくするのに、理恵からのメールは1週間たっても、1か月たってもこなかった。そして、僕も返信をしなかった。

月日が流れた後、今月僕に海外赴任の打診があり、僕はパニックになった。
パニックになった僕が取った行動は、別の国にいる理恵にメールすることだった。

そんな切羽詰まったやりとりを記録に残しておく。

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