読まれることを前提にして書いた手紙や日記はおもしろくない
わたしは昔、毎日のように日記を書いていた。日記を書くことが習慣であった。書かない日はなんだか大事なことを忘れているような、そんな気さえするくらい、日記を書くことが自分の中では重要だった。
わたしはSNSがずっと苦手。
みんなが平気でネットを多用していることが、自分にとってはむしろ不思議だ。
便利だよ。
楽しいよ。
使わないともったいない。
肯定的な意見はたくさん聞いた。その度に自分もやってみようかと気力をふりしぼってみるのだが、結局続いた試しがない。
「投稿」することにいつも苦痛を覚えてしまう。
「公開」することに吐き気がしそうなほど躊躇する。
言いたいことはたくさんある。
書くこともわりと好き。
たくさんの人と繋がりたいとは思わないけれど、共感できる仲間がいたら楽しい。
なのにSNSには、違和感が残る。
それは何故なんだろう。
ずっとそんなことを考えていた。
そういう自分の馴染めなさを、ただの時代遅れな人間だと片付けるのにはあまりに乱暴。この心理的な抵抗はなんで生まれてくるんだろう。
そんな風に思えてきた頃、読んでい本の中からこんな言葉を見つけた。
" 読まれることを前提にして書いた手紙や日記はおもしろくない "
あぁ、これか。
そのせいか。
書くことは好き。
でもSNSは嫌い。
それでいいんだと、はっきり思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?