てぼう

子供の頃は自分だけが人間で、それ以外は宇宙人が中に入っているのだと思っていました。大人…

てぼう

子供の頃は自分だけが人間で、それ以外は宇宙人が中に入っているのだと思っていました。大人になってそのことを冗談まじりに友人に話したら、「いや、それあんたが宇宙人だからなんじゃない」と指摘され、言葉を失ってしまいました。もしかしてわたしが宇宙人なのかも…。そんな人間のワタシです。

最近の記事

会話と対話の重要性〜軽度認知症の母からみえてくること〜

2021.7.9 先日、母親が軽度認知症であると医師から告げられた。以前から物忘れの激しくなった母親を見ていたがゆえに、その言葉を聞いたときはそれほどの衝撃はなかったように思えた。しかし、その日はいつもより食欲がわかなかったこと、次の日の目覚めも普段以上に憂鬱であったことから、私は自分が思うよりも精神的なダメージを受けていることを知った。 認知症への治療法は今のところ確立されていないが、進行を緩やかにすることは可能だという。そして、医師から聞いた有効的な方法の1つに人と会

    • 「死」の目論見

      なぜ自分は生きているのか、生きる意味はなんなのか、そんな悩みを思春期の頃は誰もが一度は抱くものかもしれない。わけもなく過ごしているたいくつな時間に生きる意味と理由が重のしかかり、上手に歩けなくなることもある。 それくらい、生きていることがあたり前だった。 あの人を亡くす、その前までは。 生きている人には必ず死がある。 なんて当たり前のことをだろう。 けれどもわたしは知らなかった。 誰かが亡くなるその時まで、それを知らなかったんだ。 死んではいないということそれが、 生きて

      • 日常の中にある気まぐれな訪れがやけに根源的なものであるということ〜藁束をかき集めて〜

        農家を営むかたわら、ひょんな思いつきで今年から米俵を作ることにした。その手慣らしとして、まずは藁で鍋敷き作りを始めてみた。 最初は毛羽立った藁をすいて、出た藁くずで鍋敷きの土台をつくる。これがなかなかな思うようにいかなくて少し苦手だ。 けれども、この土台次第で出来栄えが違うため、気持ちを入れて取り掛かる。 あちこちに散らばった藁くずを、両手でがさがさと集めて、なんとか形にしようともじょもじょと手指で束ねる。そうして掴んだ藁を、何度も曲げたり、伸ばしたり、握ったり、しならせた

        • 読まれることを前提にして書いた手紙や日記はおもしろくない

          わたしは昔、毎日のように日記を書いていた。日記を書くことが習慣であった。書かない日はなんだか大事なことを忘れているような、そんな気さえするくらい、日記を書くことが自分の中では重要だった。 わたしはSNSがずっと苦手。 みんなが平気でネットを多用していることが、自分にとってはむしろ不思議だ。 便利だよ。 楽しいよ。 使わないともったいない。 肯定的な意見はたくさん聞いた。その度に自分もやってみようかと気力をふりしぼってみるのだが、結局続いた試しがない。 「投稿」す

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          私とは誰か

          はるか彼方に残る幼い頃の記憶の風景は 妙に静かで無機質な光景だ 何気ない家族の団らんを見ているその視線は まるで遠い目をした鳥のよう 絞りを開いたレンズの向こうは  ぼんやりとした被写体が陽炎のように写っている 「離人症」という症状をみなさんご存知だろうか。 それは読んで字のごとく、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること (Wikipediaより) だそうだ。 私はこのような呼び名をつい最近始めて知った。しかしそれ

          私とは誰か