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チェロレッスン11月①:心ここに在らず…。

「センセ、遅れてスミマセン!」

私はレッスン室に飛び込んで言った。
10分の遅刻。

先生は、私の知らない曲の練習をやめて「なんかあったか?」と聞いてきた。

「家を出て2kmくらいのところで、車が故障しました。」

トロトロ走って、何とか家へ引き返すことができた。

先生「それは大変だ。」と言った。

「故障が大通りに出る前で良かったな。」
「はい。大通りの真ん中で止まらなくて良かったです。」
「ツイてないね。」
「センセほどじゃないです。」
先生はこの前のレッスン日に、故障したエレベーターに閉じ込められた。

先生、思い出したようにため息をついた。

「エレベーター直るまで、しばらく階段で行き来したよ。なかなか大変だった。」

5階までの行き来は、ちょっとキツかったですね。

車の故障の原因は、どうやらプラグの劣化のようだ。10年乗っている車だから、仕方がない。
プラグを交換してダメなら、いよいよ修理である。
そうなると、車が直るまでバイク通勤か…。

暖かい日中のツーリングならともかく、冷え込む朝晩のバイク通勤はイヤだなぁ。

           ★

「センセ…楽器と弓と楽譜は持ってきましたが、あとは全部忘れました。」

小物が入った缶を、うっかりテーブルに置いてきてしまった。

「松脂とチューナーと鉛筆、貸してください。」

先生、はいはい、と二つ返事で貸してくれる。
驚きもしないから、教え子の忘れ物はよくあるのだと思う。

「センセ、チューナー、壊れてますよ?」
針がない。

「音が合っていれば、緑のランプが点くから。赤ランプ点いたら、合ってないってこと。」
先生、なんてことないように言う。

チューナーを新しくする必要を感じないのか、はたまた金銭的な問題か?
図りかねて、思わず先生をジッと見てしまった。

「何?」視線を感じた先生が言う。
クリスマスプレゼントに、チューナーを送ろうかな。

「工房へ行って、お兄さんに楽器調整してもらってきました。」

先生に、4本ある弦のうち、1番と2番の弦が響き過ぎる、と指摘されていた。

「でも、調整後も直らなかったので何だろうと思ったら、結局、弦の劣化が原因だったようです。弦変えたら解消しました。」

ん?と先生。
「弦替えてなかったの?もしかして、その楽器受け取って以来?」
「そうです。」
「とすると、1年は優に超えてた訳だ。それにしたって、そんなに変わるものかな?」
「変わりましたよ。ほら。」

私は1番線でAの音を出してみせた。
「ああ、ホントだ。」と先生。

「数年替えない強者もいるけど。
お前の場合、オケで酷使したんだな。
これからは、発表会の1か月前に弦を替えると決めておくと忘れないと思うよ。」

そうします。

「でも、弦が高価になってて、上の2本しか替えられませんでした。下2本は年明けに買います。」
「輸入品は今高いからなぁ。仕方がないね。」

           ★

「センセ、レッスンの最後に、ブラ3見て欲しいところがあります。いいですか?」

私はオケでやっている、ブラームス交響曲第3番の楽譜を取り出した。

「いいよ。」
先生、最初から知っていたかのように、承諾してくれた。
「じゃあ、バッハ5番、最初から先々週やったところまで弾いて。」

3ページ目まで通して弾いて、先生の指示を待った。

「2ページ目からのテーマの部分はよく弾けてるんだけど、序奏がまた破茶滅茶になってるなぁ。前回も言ったけど、カデンツァじゃないんだから、好きなように弾かないでよ。テンポはちゃんと考えなさい。」

ついに、メトロノーム登場…。
確かに四分音符を伸ばしすぎなところ、逆に短かすぎるところがあった。
そういうところがダメなのね…よくわかりました。

それから、先生が指示した”区切り“の部分で、ちゃんと息継ぎしなさい、ということだった。

「無伴奏なんだし、このプレリュードは特に長いから、ちゃんと息しないと続かないよ。
区切りをキチンと意識しなさい。」

何度も同じこと言わせて、スミマセン...。

            ★

「で、ブラ3のどこを見て欲しいの?」
レッスンの最後の方で、先生が聞いてくれた。

「3楽章冒頭のチェロソロの部分です。ちゃんと歌えないんです。」

3楽章。とても美しいメロディ。

「ココ、うまく歌えないと、H先生(正指揮者)に絶対怒られるやつです。」

私は先生の譜面台に楽譜を置いた。

「ブラ3の顔とも言える印象的なメロディだよ。コレ、ちゃんと弾けないのはマズイね。」

言いながら、先生、自分の楽器を構えた。
一呼吸置いて、厳かに弾き出した。

おお〜〜!うつくしー♡
センセのファンだったら、メロメロだろう。

「しばらくぶりに弾いたけど、案外覚えているもんだな。」
1ページの半分まで弾いて、先生はそう言った。

「私が弾くと、元気よくなっちゃうんです。」

<A>の部分まで弾いてみせると、先生「あちゃー…」という表情をする。

「アーティキュレーションの問題だよ。つまり、弓使い。高いGとH♭が頂点になるように弾くの。頂点まで来たら、すぐに減衰。それの繰り返し。二段目も同様。」

ふんふん。

「こん感じですか?」
弾いてみる。

「弓、勢いよく動かさない。弓が余るようなら、半分から使いなさい…そう。そういうこと。ピアニッシモからフォルテに向かうようなイメージで弾いてみたらいい。」

なるほど、わかりました。

「夜がオケでやりたかった"ヴァイオリンとチェロのセッション"がたくさん出てくるよ。楽しんだらいいじゃないか。」

「F-Dur、As-Dur(ヘ長調、変イ長調。楽な解放弦を使えない調)じゃなければ、楽しめるんですけど...。」

「お前さぁ、久しぶりのオケ練参加だろ。なんでそんなに躍起になってんの?」
先生、右手で弓を弄びながらそんなことを言う。

だって、と私。
「先週4か月ぶりの練習参加だというのに、トップサイドで弾かされたんですよ?おそらく、来週はトップです。トップのMさんが、年内お休みだから。」

「ええ?!マジか。」
先生までゲンナリした。

私は、楽器を仕舞いながら続ける。
「マジですよ…どちらの曲も皆さんより練習がずっと遅れてるんですから、後ろでヒッソリさらわせてくれたらいいのに。
本番も、ほんっとに目立たないところでいいので…。」

先生、ピアノに頬杖ついて、呆れた視線を私に向ける。
「お前、ここまで来たら“後ろで目立たないところで”なんて、もうムリだろ。」

うう…センセまで、そんなこと言わないでください。

           ★

「じゃあ、また再来週に。」と言って、レッスンを終えた。

センセ、いつもより穏やかだった...というか、元気がなかった。たぶん、ほかの生徒さんは気付かない。
おそらく、先生はここしばらくまともに寝ていない。

私は知らないことになっている。
先生は周囲に心配をかけることを、とても嫌がる性格だ。悟られないように振る舞うのも上手い。

でも、長い付き合いの私には分かってしまう。
知らないフリは、私なりの先生への気遣いだ。

先生が倒れてしまわないか、私はとても心配している。何も出来ないのが歯痒い。
私が先生と家族になることを選んでいたら、お互い変な気遣いをせずにいられたのだろうか。

自分を二人に分けられればいいのにな。





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