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教育にSDGsを持ち込む前に

◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。子どもを「教え、育てる」立場である僕たちは、「何を」教えるか、「何のために」指導するかの意識をもって日々の教育活動にあたるべきだと考えています。その上で、貪欲に自分自身が「知る」こと、そして身に付けることから頑張る、そんな夏休みにしたいです。よろしくお願いいたします。今回はSDGsについて、昨年話題となった斎藤幸平著『人新世の資本論』をもとにアウトプットしていきたいと思います。

▷「グリーン・ウォッシュ」を助長する教育
 SDGsという言葉が学校のいたるところにも見られるようになった昨今。廊下に貼られたポスターやプリント類などの配布物、社会科資料集…子どもたちも「見たことある・聞いたことある」ものとして馴染みが出てきている。GIGAも同様だが、正しい知識を得られないままSDGsが教育現場に足を踏み入れ、おいそれ指導に生かそうではないかと言われてもどうしたものかと個人的には思っている。「グリーン・ウォッシュ」という言葉を知っているだろうか。あたかも環境に配慮しているかのように装うことで、主語は主に企業などだが、これが教育現場にも横滑りしてこないかと心配している。

 環境危機という言葉を知って、私たちが免罪符的に行うことは、エコバッグを「買う」ことだろうが。だが、そのエコバッグすらも、新しいデザインのものが次々と発売される。宣伝に刺激され、また次のものを買ってしまう。そして、免罪符がもたらす満足感のせいで、そのエコバッグが作られる際の遠くの地での人間や自然への暴力には、ますます無関心になる。資本が謀るグリーン・ウォッシュに取り込まれるとはそういうことだ。

斎藤幸平『人新世の資本論』

 6年生の国語で提案文を書く単元があった。教科書では、環境問題に目を向けて書いてみましょうと示されていたので、SDGsを取り扱うことにした。子どもたちと資料を共有しながら、17の目標のうち日本の課題は何であるかを分析したり、身近にある問題と関連付けながら考えを出し合ったりして、作文を始めた。ジェンダーに関心をもった子、障害者雇用における差別に目をつけた子、食品ロスといった大量生産大量消費の問題について調べ始めた子など様々な活動の様子が見られた。世の中の問題、とりわけ自分たちの国、地域により関連の深いことに目を向けることで自分事として捉えようとしたことは大きな成果だった。
 ところが、マイクロプラスチックの問題をテーマに提案文を書いた子の多くが「エコバッグを買う」という提案をする現状に気付いた。子どもたちに罪はない。先進国に住む私たちの豊かな生活は何をもとにして成り立っているのか、未来に目を向ける前に現状を知ることから始めなければならない。そう強く感じた一コマだった。

◆最後までお読みいただきありがとうございます。少し短いですが一旦区切りとします。今回の問題はどこからどう手をつけてよいのか大変難しい問題だと思います。過去、未来、現在といった時間軸と先進国、後進国の空間軸、そこに資本主義の経済システム面、政治的な側面も含め、正しい理解のもと、子どもたちに少しずつ棚卸していきたいものです。

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