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私の恋愛観、結婚観2:いい人コンプレックス

みなさん、こんにちは。

リューくんです。

今度は、前の続きの話をしようと思います。

キリスト教の冤罪意識。自分は男であるが、男性性に対する嫌悪を持っている。この二つの意識は自分を極限まで攻めていきます。


中学生の時の卒業アルバム
小学校卒業アルバム


男性性全般を否定して、女の子と遊ぼうとしても、私は生まれつき男で、見た目も普通に男の子でした。

それは私がなかなか心を開かない、ぼっちにさせます。

そんな私でも、本当に心の波長が合うと、友達として、家に連れて行ったりしましたが、ここで、大事件が起こります。

お母さんが、ある日、友達を連れてきた私に、「許可なしに友達を連れてくるなんて!」と言って、友達の目の前で私をぶっ殴り始めたのです。

私はそれがトラウマで、もう、友達なんて、作らないになったのです。

そして、孤独になった私は、人と仲良くすることを恐れ、学校の外では友達と遊ばず、ずっと家で本をよむだけの生活を始めました。

社会性、男性性、自信、全てを失って、上っ面だけの友達を作り本を読みながら時間を過ごす。

お母さんは私の社会性を心配し、テコンドーとか合気道を習わせましたが、私には手遅れでした。

いい人でいないと、地獄に落ちる。という前提で、男性性を悪いものとして看做し、社会性も尚、悪と規定した私でした。

社会から遊離した、欲望のない、男性でも女性でもないいい子になろうというコンプレックスの始まりです。

ー続くー

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