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十数年前、新卒が1年経たずに仕事を辞めた話

平日の夜。仕事は終わったし、なんとなくテレビやYoutubeを見てそろそろ寝ようかというこの一瞬に、何か別のことをしたくなることがある。

かといって、これから寝るまでの時間にできることなど限られているし、そもそも何かやりたいことがあるわけでもない。

そういう時になんか適当に考えたことを整理したり、書いたりするのは割と良い方向の「時間の無駄遣い」な気がしている。

5月も終わりにさしかかり、新卒で入った新入社員たちも段々と仕事に慣れ始めた頃かもしれない。だから、というわけではないが、なんとなく思い出したから書いてみる。

昔話になってしまうが、今から十数年前、新卒で採用された会社を1年経たずに辞めた。北海道の、とあるマスコミだった。

北海道の会社に就職したはずが、1か月で営業として東京支社への転勤を命じられ、目黒区の、なんか15万円もするのにワンルームなマンションに住むことになった。そこそこ給料の良い職種であり、幸い潤沢な家賃補助(8割負担)があったので普通に考えたら良いのかもしれないが、まあ割と地獄だった。

地方から来た新入社員など、業界では広告代理店のおもちゃみたいなものだった。酒を飲まされ、芸をさせられ、深夜3時に三軒茶屋に呼び出され、殴られて帰ってくるみたいな。そういう感じの温い地獄。当時はまだコンプライアンスやパワハラとかそういのが流行る前だった気がする。

六本木を全裸で走らされたこともあったらしい(ほぼ記憶は無い)。

目が覚めたら、口から、食べた覚えの無い大量のうどんが出ていたこともあった。

したくもないナンパをさせられ、それを遠くで先輩社員たちが見て笑うみたいなこともあった。

ああいう業界のああいうノリが、完全に私には合わなかった。

程なくして精神的に追い詰められ、まずは夜眠れなくなった。休日は完全に家から一歩も出ず、新聞紙を細長く丸めて部屋の隅っこに投げるという過ごし方をしていた。

個人的に精神科にかかったこともあった。新宿の精神病院で、何か知らんが木の絵をかかされ、私は「問題無し」と診断された。まあ、その病院は翌月、睡眠薬の違法な処方箋を出していたことが原因で潰れたけど。ヤブ医者だ。そりゃそうだ、待合室で缶ビール飲んで床で酩酊してるやつが通う精神科がまともなわけがない。

そんなこんなで、私は年末にはその会社を辞職することになる。年末のご挨拶と一緒に退職の挨拶周りをすることになったので、そういう意味では効率は良かったかもしれない。最後の仕事は、とあるリクルートイベント広告出稿を独占で取ってきたことだった。

北海道に戻ってきて、まあ最初の1か月くらいはぼんやりしていた。だが、私も生きていくために再就職活動をしなければならない。そんなわけで、私は、前職の最後の仕事で取った広告のリクルートイベントに行くことになる。こんなに悲しい自作自演があるだろうか。

だが、もう正直この時点で『働く』ということに恐怖心があるため、まともに就職活動をする気なんてこれっぽっちも無いわけだ。だからリクルートイベントに行っても、なんとなく説明は聞くが、全然ピンと来ていなかった。完全なるニートの誕生である。

ニートというのは、なかなかに難しい。時間は有り余るほどあるが、やりたいことなど何もないのである。『Not in Education, Employment or Training』は伊達ではない。教育を受けているわけでも無く、仕事をしているわけでも無く、職業訓練を受けているわけでも無い。夢があるわけでも、目標があるわけでも無い。要するに、何者でも無い人というわけだ。

日々そんな生活をしていると、自分の中のまともな部分が「これじゃダメだ」と言いはじめる。うるせぇ、うるせぇ。かといって、何かをするための行動力も、やる気も無い。部屋からもほとんど出ない生活が続いていた。

そんな時に、ふと目に入ったのは、以前買って全く使っておらず、クローゼットの奥底にあった『お手玉』だった。東急ハンズで買ってきた、ジャグリング用のお手玉3つで約1,000円。特に意味も無く、なんとなく覚えていたボール3つのジャグリングである基本の「カスケード」という技をやり始めた。

最初の頃は20回も続けば良い方だったが、やることも無いのでずっと部屋でお手玉をし続けていた。だんだんと続くようになっていくと、別の技も覚えたくなってきた。ニコニコ動画でジャグリング講座というのをアップしている人がいて、その動画を見て「1UP2UP」や「シャワー」「ウインドミル」あたりまでを部屋の中で練習し続けた。

「ミルズメス」「ボックス」あたりまでできるようになった頃、部屋の天井が邪魔になった。だから外に出るようになった。港の近くにある公園で、昼頃から夕方までただただボール3つのジャグリングを練習する変な人になっていた。このあたりでボールを2つ買い足し、4ボール、5ボールの練習も始めた。

この港の公園はあまり人気が無く、犬の散歩をしにくる近所の人や、港を見に来たカップルがたまに通りかかる以外は、ホームレスのおっさんが1人だけ居るような公園だった。北海道では、屋外にいるホームレスは珍しい。季節は5月くらいだったが、まだ夕方になると肌寒かった。カップルは死ねと思っていた。

正直、そのホームレスを見て、自分はまだマシだと思ってしまうような卑しい感情が無かったとは言えない。ただ、逆に、新卒というカードも無くし、割と良い就職先を1年足らずで辞めるという「普通のレールから外れてしまった」私の未来であるような、不安も感じていた。カップルは死ねと思っていた。

それから3か月間、ほぼ毎日港の公園でただひたすらにジャグリングをしていた。今考えれば、馬鹿だなと思う。もっと他にやることもあっただろう。人生の目標は無いが、昨日の自分より長く、多く、ボールを空中に保っていることだけが目標だった。別に誰に強制されるわけでもなく、やらなければならないことでもなく。「昨日よりちょっと上手くなれればいいかな」くらいの低い低い目標だ。

思えば、この「低いハードルの目標の連続」というのが良かったのかもしれない。8月くらいにふと目についた求人に応募し、意外なほどにあっさりと再就職は決まった。

9月になり、新たな仕事が始まると、休日以外はその港の公園には行けなくなる。そりゃそうだ、もう私はNEETではないのだから。とはいえ、休日になると変わらず港の公園でジャグリングを練習していた。この頃には、全然できなかった5ボールが少しだけできるような雰囲気になってきていた。

10月になり、かなり外は寒くなってきた。その日も私は1人で港の公園で練習していた。北海道の10月の夕方はかなり寒い。そろそろ季節的にも屋外で練習するのは難しいかな、と考えていた頃、いきなり声をかけられた。

「お前、うまくなったな」と。

声をかけてきたのは、それまで一言も言葉を交わしたこともないホームレスのおっさんだった。おっさんは、住処のテントを畳んでいたので、もしかしたら冬に備えて場所を移動をする予定だったのかもしれない。

その時、自分がなんと答えたのかは覚えてないが、特にそこから話し込むようなことも無く、私は家に帰った。

次の週末にも一応、港の公園には行ってみたが、おっさんはもう居なかった。翌年以降も、そのおっさんがその公園に戻ってくることは無かった。

別に、そのおっさんが私のジャグリングの成長を見ていたことに感動したとか、そういう話ではない。私の人生の中の完全なる暗黒時代に、そんなおっさんが居たなと思い出しただけだ。なんとなく、忘れられないのだ。

そんなこんなで、私は無事に社会復帰をし、今に至る。

なんか嘘みたいな、本当の話。

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