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リレーストーリー「どすこいスパイ大作戦#4」

第4話「潜入」

時計を見ると15時45分。

「ふ~、ギリギリだったな」

ヘルメットから汗がしたたり落ちている巨漢が、新宿セントラルホテルの前でつぶやいた。

先ほどまで折れ目がついていた作業着は、湿り気を帯び、すっかりくたびれたものになっていた。
これならば、買ったばかりの作業着だとは誰も思うまい。
しかも、ヘルメットはここに来るまでの道すがら、工事現場でくすねてきたものだ。
薄汚れたヘルメットが、いっぱしの作業員風情を醸し出す。

 蒙古龍は正面玄関を素通りすると、足早にホテルの裏側へと回った。

 “新宿セントラルホテル防災センター”

そう書かれた看板の前を抜け、小さな窓越しに蒙古龍は声をかけた。

 「すいません!大将が道具忘れてきちゃって」
「え?ああ、午前中の点検の時かい?」

蒙古龍がみなまで言わずとも、警備員が潜入のヒントをこぼしてくれる。

 「そうなんですよ。場所はわかるんで、ちょっと取ってきていいっすか?」「どうぞ」

警備員は一瞥をくれただけで、ろくに顔も見ようともしない。
それもそのはず、汗がだくだくとしたたっている巨漢がまさかスパイなどとは思うはずもない。
ましてや、汗だくの巨漢に好き好んで近づく男などいまい。
ただ、蒙古龍はそのへんの汗だく巨漢とは違う。
近づけば、鬢付け油の香りがプンと漂う、意外といい匂いのする男なのだ。

「すぐ取ってきます」

言葉の語尾が警備員に届くか届かないかの間に、蒙古龍はするりとその身を通用口へと滑り込ませた。

「さてと…」

これぐらいの潜入はスパイにとって朝飯前。
問題はここからだ。
指令によると「このホテルで密談あり」とのことだが、肝心の場所が記されていない。

それでも蒙古龍が慌てる素振りを見せない。
何やら策があるようだ。

「ホテルなんてのはね、だいたい密談する場所なんざ、決まってるものなのよ」

誰に話しかけるでもなく、エレベーターのボタンを押した。
心地よいベルの音と共に扉が開くと、その体型では想像もつかないほど速やかに音も立てず乗り込んだ。
落ち着き払って「閉」ボタンを押すやいなや、蒙古龍は二階から最上階までのすべてのボタンを押した。

ここ新宿セントラルホテルは十階建て。
三階から九階までが客室になっている。
二階はスタッフのフロア、最上階はレストランだ。
しかし、すべてのフロアのボタンを押したにも関わらず、六階のボタンだけが光らない。
蒙古龍が数度タップしても光る気配がない。

「ビンゴ」

蒙古龍は心の中でそうつぶやくと、三階でエレベーターを降りた。

薄暗く細長い三階の廊下。
ずんずんと歩を進めるが、誰かがその横をすれ違おうとしようものなら、壁にへばりつかないとやり過ごせない圧迫感だ。
廊下の突き当たりに辿り着くと、非常階段と書かれたドアのノブをそっと回した。

 軋む音。

まるで開けられるのを拒みつづける断末魔のような音の先に現れたのは、案の定、階段室。
蒙古龍は力士であるかを忘れるほどの軽快なステップで駆け上る。

「四階…」
「五階…」
「六階」

ピタッと立ち止まる。
そこにはあるはずのものがなかった。
それも二つ。

ひとつは、階段室を照らすはずの照明。
もうひとつは、フロアへと続く扉。

他の階とは明らかに暗い中、蒙古龍はつぶやいた。

「はいはい、子どもだましじゃあるまいし」

 本来ならばあるはずの扉の場所を蒙古龍は手探りでなで回し始めた。

「あった」

指先に触れた、わずかな引っかかり。
それを短い爪で引っかけ、上にスライドさせると、半円形のドアノブのようなものが現れた。
現れたと言っても、ほぼ真っ暗なので、そんな形らしきものがあったという方が正しいかもしれない。

やおらそれを回すと、今度は音も立てずに扉が開く。
現れたのは、三階とまったく同じ構造の薄暗く細長い廊下。
ただし、六階であろうこの場所が三階と明らかに違うのは、ただならぬ空気が纏っていることだけだった。

(つづく)

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