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生成AIと著作権:「学び」と「創造」

日進月歩というか秒進分歩(もっとか⁈)のスピードで進化する「生成AI」
文章に音楽に画像―――
その分野の拡大とクオリティの向上は目を見張るものがあります。
簡単に言いますと、生成AIは「学んだ」ものを活用してオーダーに合わせて「生成」をするわけですが、本日はこの2点における著作権/著作権者について私なりの現時点での考えを書いてみたいと思います。

「学ぶ」ことが問題なのではない「学び方」が問題なのでは

AIが既存の著作物を「学ぶ」こと自体については私は何も問題は無いと思います。
ただし、その学びの対象著作物の購入や学び機会の創出において、正当な対価を払っているならば、です。
不当不法に入手したものをAIに学ばせるのは、単なる泥棒行為ですから、AI云々以前の問題です。
AIの学習を正当化している法律として言われるのが「著作権法第30条の4」です。
その内容はこちら。

“著作物は,次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には,その必要と認められる限度において,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。ただし,当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は,この限りでない。“

我々の生活レベルですごーく簡単に言うと「個人で楽しむならばご自由にどうぞ」ということです。
ユーザーレベルでは大切な法律です。
ただ、近年この規制が緩和されてきており、その流れの背景が、グローバルにおけるIT戦争で海外の巨大IT企業に遅れをとった日本が検索エンジン開発などを促進するため(学びの量が開発に比例しますから)との話もあり、そこはそこで、そもそも著作に対するリスペクトが国の姿勢として足りないのではないか、という別の疑問・問題はあると思いますが。
ちなみに、この規制では、違法に取得した情報をAIに学ばせても「学ばせること自体は合法」となります。
ここからもわかるように、つまりはAIが学ぶこと自体が問題なのではなく、「学び方・学ばせ方が重要」なのだということです。

学んだことを活用しての「生成」も問題ではない

その昔、藤子不二雄先生は手塚治虫先生の作品を何度も読んで、自ら描いてみたそうです。
また、ビートルズはチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーの音楽を死ぬほど聴いて、コピー演奏をしたそうです。
これ、著作物からの「学び」です。
その学びの結果、両者とも未来永劫残るであろう名作品を「創造(生成)」しました。
その作品に対して、手塚治虫先生もチャック・ベリーも「自分達の権利者利益を不当に害しているぞ!」と訴える、というようなことはしませんでした。
上記の天才達の能力は、ある意味超高度な生成AIと同様(それ以上ですが)と言えます。
つまり、学んだことを消化して新たな創造を行うこと自体は、元々の著作権者の利益を害することにはならないのです。
ただし、「パクリ」はダメです。
それはAI云々の前に、古来からある伝統的な著作権侵害です。
似たような楽曲、似たような作画の出現という問題は、生成AIがこの世に誕生する前からありましたから、それと同様のスタンスで、生成AIが生み出したものに対応すれば良いのだと思います。

今一度“創造“に対するリスペクトを

「著作物を創造する」という行為はとても尊く特殊な行為です。
いつからか番組や漫画やアニメや楽曲などが、まとめて「コンテンツ」と呼ばれるようになり(それ自体は悪いことだとは思いませんが)、ネットをはじめとしたコミュニケーションプラットフォームの拡大と比例して「消費物化」が進んでいるな、と個人的には感じます。
著作権ビジネスをあれこれ考える身としてもクリエイターの端くれとしても、多くの人に改めて「創造」の大切さと貴重さを感じて頂けたらな、と生成AIに関する世の議論を見て思うのでした。

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