見出し画像

絶景、「空の地蔵尊」。

画像1

絶景です!

ここは米水津「空の公園」の程近く、「空の地蔵尊」。

画像2

車を停めて、歩いて舗装された道を行きます。

画像3

目的地に到達する前ですが、絶景ポイントが現れます。

それがこちら!なんかこれで十分・・・(笑)

画像4

いやいや、素晴らしい景色を見ながら、先を進みます。

画像5

いよいよ。

画像6

画像7

いやぁ、絶景が広がります!最高です!!

さて、上の写真。小さな島があります。

沖黒島」です。

画像8

そして、お地蔵さんがありました。

激しく吹きつけてくる風にじっと耐えながら、尾根の頂に、慈悲の顔をして鎮座する地蔵さんの姿を見て、いつしか「空の地蔵さん」と呼ぶようになったということです。

今の「空の公園」の元祖は、こちらなのかもしれませんね。

画像9

展望台に上がってみました。

画像10

画像11

画像12

ほんと素晴らしいですね。

リアス式海岸の入り組んだ地形は、まさに自然の芸術です。

画像13

ちなみに、なぜここにお地蔵さんがあるのか

調べてみました。

1771年、時は江戸時代まで遡(さかのぼ)ります。

画像14

「周防(すほう)の国(三田尻港)」(現在の山口県防府市)を出て、「日向の国」を目指していた毛利藩が、この豊後灘にさしかかった時に事件が起きました。

海は大時化で、米水津の「黒島沖」で遭難したのです。

画像15

その「黒島沖」とは・・・、上の写真の小さな島がふたつあるあたりです。

島の名前は、右から「沖黒島」・「地黒島」です。

画像16

この状況をみた宮野浦の「小畑六兵衛」さんが、地区の人に呼びかけ、総出で救助にあたったとのことです。

その際、毛利藩の武士や水夫が波に呑まれ命を落としたため、それを弔(とむら)い、二度と災害が起こらないことを願って、黒島の見えるこの場所に地蔵尊を祀ったということです。

なお、ここでの「毛利藩」とは、「佐伯藩の毛利高政」の系統ではありません。周防の国ですので、「長州藩の毛利輝元」の系統をいいます。(ここで因果を感じる人は、歴史通ですね。高政は、毛利輝元から「毛利」姓を賜ったという経緯があるためです。)

画像17

さて、帰り道ですが、二手に分かれています。

写真左を進んでいくと、鉄塔が現れました。

画像18

何やら、展望デッキのようなものが。

画像19

さらに高い位置で眺めが良好!

今いた、「空の地蔵尊」も見下ろします。(下の写真中央)

画像20

ここには遭難なんて感じさせることのない、穏やかな海と空が広がっています。

画像21


いいなと思ったら応援しよう!