絶景、「空の地蔵尊」。
絶景です!
ここは米水津「空の公園」の程近く、「空の地蔵尊」。
車を停めて、歩いて舗装された道を行きます。
目的地に到達する前ですが、絶景ポイントが現れます。
それがこちら!なんかこれで十分・・・(笑)
いやいや、素晴らしい景色を見ながら、先を進みます。
いよいよ。
いやぁ、絶景が広がります!最高です!!
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さて、上の写真。小さな島があります。
「沖黒島」です。
そして、お地蔵さんがありました。
激しく吹きつけてくる風にじっと耐えながら、尾根の頂に、慈悲の顔をして鎮座する地蔵さんの姿を見て、いつしか「空の地蔵さん」と呼ぶようになったということです。
今の「空の公園」の元祖は、こちらなのかもしれませんね。
展望台に上がってみました。
ほんと素晴らしいですね。
リアス式海岸の入り組んだ地形は、まさに自然の芸術です。
ちなみに、なぜここにお地蔵さんがあるのか。
調べてみました。
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1771年、時は江戸時代まで遡(さかのぼ)ります。
「周防(すほう)の国(三田尻港)」(現在の山口県防府市)を出て、「日向の国」を目指していた毛利藩が、この豊後灘にさしかかった時に事件が起きました。
海は大時化で、米水津の「黒島沖」で遭難したのです。
その「黒島沖」とは・・・、上の写真の小さな島がふたつあるあたりです。
島の名前は、右から「沖黒島」・「地黒島」です。
この状況をみた宮野浦の「小畑六兵衛」さんが、地区の人に呼びかけ、総出で救助にあたったとのことです。
その際、毛利藩の武士や水夫が波に呑まれ命を落としたため、それを弔(とむら)い、二度と災害が起こらないことを願って、黒島の見えるこの場所に地蔵尊を祀ったということです。
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なお、ここでの「毛利藩」とは、「佐伯藩の毛利高政」の系統ではありません。周防の国ですので、「長州藩の毛利輝元」の系統をいいます。(ここで因果を感じる人は、歴史通ですね。高政は、毛利輝元から「毛利」姓を賜ったという経緯があるためです。)
さて、帰り道ですが、二手に分かれています。
写真左を進んでいくと、鉄塔が現れました。
何やら、展望デッキのようなものが。
さらに高い位置で眺めが良好!
今いた、「空の地蔵尊」も見下ろします。(下の写真中央)
ここには遭難なんて感じさせることのない、穏やかな海と空が広がっています。