フリオ・ベラスコの考える『ゲーム・モデル』と『創造力』(2/3)
フリオ・ベラスコの考える『ゲーム・モデル』と『創造力』(1/3)からの続きです。
『ゲーム・モデル』が機能しないケースを考察する
最適化されたゲーム・モデルを導入し、それらに各プレーヤーが適用することによって、ゲームに勝利するという目的の達成を志向するわけであるが、それだけでは不十分である。なぜなら、現実のゲームの中ではゲーム・モデルの想定を超えるケースが当たり前のように起こるためである。
「道路交通」の話を思い出してほしい。インタビュー記事中にあったように「目の前の車が突然心臓発作を起こして車が急停車する」といったケースがあっただろう。この例については、発生頻度はそれほど高くない(ことを願う)とは思うが、この他にも道路交通の想定を超えるケースは日々、発生しているだろう。
では、「ゲーム・モデル」の話で考えてみると、どのようなケースが起こり得るのだろうか。参考までに例を考えてみたので、ご覧いただきたい。
さて、上記の状況でセッターはどのようなプレーを選択するのか?
この状況下において『攻撃参加人数を最大化させて攻撃をする』ということは現実的な選択ではないと判断できるだろう。つまり、ゲーム・モデルは機能しないわけである。
上記の解答例として、セッターは次のようなプレーを選択することが可能だろう。
『攻撃参加人数を最大化させて攻撃をする』というゲーム・モデルから一旦離れて、ツーアタックを仕掛ける
できるだけゲーム中に起こり得る様々なケースに対応することのできる包容力のゲーム・モデルが望ましいだろう。しかし、ゲームというカオスな世界の中ではやはりそうゆうわけにはいかないのだ(そこがまたバレーボール・ゲームの面白いところである)。
プレーヤーはゲーム・モデルにただただ忠実な僕になるだけは十分ではないのである。
『ゲーム・モデル』の外では個の能力で対処する
では、上記のケース・スタディから学ぶべきことは何かないだろうか。私はあると思っている。
それは、ゲーム・モデルが機能しないケースにおいては、個の能力で対処する必要があるということだ。
ゲーム・モデルが想定する範囲内でプレーできる状況下においては、チーム内のプレーヤーは、ゲーム・モデルに従いつつ、自身のパフォーマンスを最大限発揮してプレーすればよいだろう。
しかし、ゲーム・モデルが想定している範囲を超えた状況はゲーム中に往々にして発生する。そんな状況においてもただ従順にゲーム・モデルに縛られてプレーしていたら何が起こるだろうか。結果は、火を見るよりも明らかである。
ゲーム・モデルの外でプレーヤーに求められる能力は、ゲーム・モデルの中で求められる能力とは全くもって別物ものである。それは、一瞬の閃きであったり、適切な状況判断能力であったりするだろう。そして、そこにはプレーヤーの個性が色濃く反映されてくるのではないだろうか。
プレーヤーは、ゲーム・モデルで対処できる範囲内では、それに従ってプレーできる能力が求められ、その範囲外では、自律的に自らのプレーを創造するという全く別の能力が求められるのである。
ゲーム・モデルの外で求められる『創造力』
では、プレーモデルの外ではどんな能力が求められるのだろう。インタビュー内で、ベラスコ氏は次のように答えている。
私はシステム(ゲーム・モデル)で状況を解決できない時に選手に創造性を発揮することを強く求めます。
つまり、彼はプレーヤーには創造性のある独自のプレーをする能力が必須であると言っているのだ。私も全くもって同意する。
では、一体「創造力」とはなんだろうか?
ある事典によると次の通りである。
簡単に言えば、唯一の解答がない課題に対して、自分なりの仮説を立て問題解決する能力。それが創造力だ。
では創造力を発揮するために、プレーヤーはどんな準備をしなければならないのだろうか。
ゲーム・モデルに従ってプレーする能力は反復練習を重ねることによって、つまり練習時間に比例して向上していくことは想像できるだろう。しかし、ゲーム・モデルの外で個性的・創造的なプレーができるようにするには、それだけでは不十分である。
では、プレーヤーが創造力を醸成していくためには何が必要なのだろうか。
バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。