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育成の3本柱(その2)#19

「バレーボーラーの一貫育成メソッド」 制作の第19回です。前章では、育成の3本柱の一つである「世界トップレベルの当たり前から逆算した育成」について解説をしてきました。

本記事では引き続き、育成の3本柱についてまとめていきたいと思います。

育成の3本柱

本メソッドでは、育成の考え方について下記の通り3つにまとめています。

1. 『世界トップレベルの当たり前』から逆算した育成
2. 勝利と育成の両立を志向する育成
3. セルフコーチングができるプレーヤーの育成

ここからは「2. 勝利と育成の両立を志向する育成」について詳しく解説をしていきたいと思います。

2. 勝利と育成の両立を志向する育成

育成の3本柱の2本目の柱として「勝利と育成の両立を志向する育成」を掲げました。ここでは、まず勝利至上主義の問題とそれによって引き起こされる弊害について整理し、勝利至上主義にとって変わる「勝利」と「育成」の両方を追求するための考え方について深掘りをしていきたいと思います。

勝利至上主義の問題とその弊害

日本の育成における議論の中で、勝利至上主義に対する批判の声が大きくなってきています。勝利至上主義とは勝利することが絶対的正義であり、他の価値をすべて犠牲にしても良い、犠牲にするのが当然であるという考え方だと言えます。最近では、著名なスポーツ選手が率先して勝利至上主義に対して警鐘を鳴らしたり、柔道においては行き過ぎた勝利至上主義を助長しているとして小学生全国大会の一部(全国小学生学年別柔道大会)を廃止したりと、公の場で具体的な動きが見られるようになってきました。

こうした背景には、勝利至上主義による問題が社会問題として徐々に認識されるようになってきたということがあると言えるでしょう。ここでは、具体的に勝利至上主義による問題とそれによって引き起こされる弊害について見ていきたいと思います。

【勝利至上主義による問題とそれによって引き起こされる弊害】

行き過ぎた指導(体罰や過度な叱責、マイクロマネジメント的指示)
 >競技を継続する意志を失うプレーヤーの量産(バーンアウト)
 >自分で考えてプレーすることができないプレーヤーの量産
 >精神的健康を害するプレーヤーの量産
 >スポーツ自体への嫌悪感を持つプレーヤーの量産
プレーヤー間に生まれるプレー経験格差(レギュラーと補欠という考え)
 >プレーヤーの成長可能性を摘み取る
 >特定のプレーヤーへの身体的負荷増大
 >競技を継続する意思を失うプレーヤーの量産
 >プレーが上手いことがすべてという価値観の拡がり
過度な練習量(休息や余暇のなさ)
 >プレーヤーの慢性的な故障や怪我の誘発・悪化
 >競技以外における経験値の喪失(家族との時間・勉強時間など)
 >競技を継続する意志を失うプレーヤーの増加(バーンアウト)
早期専門化(ポジション特化やプレー特化)
 >長期的視点からの成長可能性を摘み取る
 >プレーヤー特性や長所を知る機会の喪失
 >競技に対する理解度や関心の低さ

上記のように、勝利至上主義に傾倒することによる問題は深刻で、さらにそれによって引き起こされる弊害は多岐に渡り、長期間に及んでプレーヤーの人生に悪影響を与えることが分かっています。

先述したように、勝利至上主義が社会問題としてしっかりと認知され、具体的なアクションを起こし是正していこうとする風潮自体はとても価値のある動きだと思いますが、これまでの勝利至上主義にとって変わる新しい考え方が即急に求められているとも言えるでしょう。

育成主義という考え方

勝利至上主義に対し、ここでは「育成主義」という言葉を使って、私たちが目指す「勝利」と「育成」の両方を追求する考え方について解説をしていきたいと思います。ここでの「育成主義」とはあくまで造語となりますので、まずは定義をしてみたいと思います。

育成主義:プレーヤーの「今」と「未来」という2つの視点をもちながら、長期的な成長を志向し、プレーヤーを育もうとする考え方

上記の定義を見て、早速疑問に思った方も多いかと思います。「勝利」と「育成」を追求すると言いながら、どこにも「勝利」という言葉もしくはそのニュアンスが含まれていないではないかという意見が聞こえてきそうです。

ではなぜ、上記のように定義したかというと理由があります。それは、勝利を目指して全力でプレーするということは言うまでもなく当たり前のことであって、敢えて「勝利」という言葉を入れるが逆に滑稽なことだと思えたからです。

どのカテゴリであっても、どのような状況であっても勝利を目指して最後の最後まで全力でプレーするということがプレーヤーの成長には絶対不可欠な姿勢であり態度です。つまり、勝利を真摯に追求することはプレーヤーの「今」と「未来」の成長にとって必要不可欠な要素であるという大前提が育成主義にはあるのです。

ここでさらなる疑問が出てきた人がいるかもしれません。

「勝利を追求するのであればそれは結局のところ「勝利至上主義」ではないか?」

という疑問です。しかし、育成主義における勝利の追求は勝利至上主義におけるそれとは全くの別物です。

繰り返しにはなりますが、勝利至上主義とは勝利することが絶対的正義であり、他の価値をすべて犠牲にしても良い、犠牲にするのが当然であるという考え方です。少し乱暴な言い方をすれば勝利さえできれば、そこに至るまでのプロセスや勝利した後のプレーヤーの未来などは極論どうでもよい、犠牲にしてもよいとする考え方です。

「育成主義」では勝利がすべてに優先するというふうには考えません。

例えばですが、大会までの練習や試合に出場する中で、すべてのプレーヤーに対してプレー機会を確保することを優先し、結果として試合に負けるということがあるかもしれません。また、チームの中心的プレーヤーが怪我をした際、プレーヤーの将来を見据え休養とリハビリに専念させることで、結果的に試合に負けるということが起こるかもしれません。他にもチーム・プレーヤーの長期的な成長を熟考すれば、目前の勝利の確率を下げたしても、それよりも優先すべきことがあるという状況に出くわすことがあるでしょう。

またその一方で、チーム・プレーヤーにとって、目の前にある試合での勝利が最優先されるような状況も育成現場では起こり得るのかもしれません。「その試合」における勝利がチームに、そしてプレーヤーに対して大きな自信や次なる成長への活力を与えることだってあり得るのです。

育成主義においては「勝利」と「育成」の両方を追求することは矛盾しません。コーチ、そしてプレーヤーたちは「勝利」と「育成」を両立することを真摯に追求することができるのです。

ただ、実際の現場ではチームの状況や環境、タイミングによってその時々における「勝利」と「育成」の優先順位が変わることがあります。また、チーム・プレーヤーの成長というものをどのタイムスパン(短期・中期・長期)で捉えるのかによって、その優先順位は変わってくることでしょう。そして、ここでいう優先順位における正解は一つではなく、その時々にコーチがプレーヤーの「今」と「未来」に想いを馳せ、考え、最終的に判断をしていかなければならないのです。まさにこのプロセスはアートだと言えるでしょう。

コーチは「未来」のプレーヤーの成長や幸せを常に考え、その実現に向けての行動をしながらも「今」この瞬間にプレーヤーから湧き出てくる「勝ちたい」という気持ちも大切にしていくことが重要なのです。

▶︎雑賀雄太のプロフィール



バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。