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願いよ叶え!!ソフトボールに鍛えられた日々

表紙の写真は、大分県豊後高田市にある粟嶋社(あわしましゃ)の通称「叶え岩」。社殿前の海中には干潮時だけ現れる「叶え岩」と呼ばれるハート型の岩がある。この岩のくぼみに「願い石」を投げ入れると願いが叶うという。

義母の初盆を終えた翌日、私たちはリベンジにやってきた。

無人の社殿で2個100円の願い石を買い、あとは石に願いを込めて、ハート型した石のくぼみを狙うだけ。

1回目、、、

「カツッ」

惜しい!

岩の端っこに当たった願い石は海中へと消えた。

次、2回目、、、

どうだ!?

『チャポン』

やった!入った!!見事命中!!!

*****

ソフトボールとの出会いは小学三年生の時。

5クラス×6学年のジャンボ小学校では、夏休みに地区対抗ソフトボール大会たるものがありました。

確か3年生になるとチーム練習に参加できるようになり、格好良いユニフォームまで支給されます。侍ブルーさながらの鮮やかな青色の半袖×ショートパンツ、低学年の憧れでもありました。

夏休みが始まると男女に分かれてチームが結成され、それぞれに野球経験のあるお父さんがボランティアとして練習に付き添ってくれます。

わたしが在籍していた時代のコーチは、れい子ちゃんのお父さんと石川のおいちゃん。

れい子ちゃんのお父さんは、ほめて伸ばすタイプの朗らかな背の高いお父さん。対し、サングラスに口ひげのちょい悪親父の石川のおいちゃんは少々スパルタ。でも、今思うと真夏の暑い最中、連日続く練習に率先して参加してくれるんだから、二人とも感謝です。

当時の自治会は子どもが多く、名物自治会長が音頭をとっては毎年大型バスを貸し切り日帰り旅行に出かけるのも恒例でした。実家のアルバムには、自治会長が撮ってくれた旅行中の楽しげなスナップショットがばっちり保存されています。当時の事ですから、きっとわざわざ焼き増ししてみんなに配ってくれたのでしょう。とにかくみんな仲が良く、春は旅行、夏はソフトボール、秋はお祭り、PTA活動に文句ゆう人もほとんど居なかったし、率先して子ども達の面倒をみてくれた有り難い地域でした。

で、3年生からスタートしたソフトボール。練習は夏場のみでしたが、4年、5年、6年ともなればルールも熟知し、一端に打って投げて守れる立派なチームの一員と成長するのです。

まともに握ることすらできなかった大きめのボールも、手首からぶらんぶらんさせていたZETTのグローブもすっかり手になじみ、6年生の夏はピッチャー兼セカンドに抜擢されました。

6年生、ピッチャーで挑んだ最後の大会結果は、、、

鮮明な記憶はないのですが、小学生時代のアルバムの中に、侍ブルーさながらの鮮やかな青色のユニフォーム姿で、目を真っ赤にしたチームメイトみんなで撮影した集合写真があります。傍らにはれい子ちゃんのお父さんと石川のおっちゃんも。同じページに、泣きはらした目の姉の横で8個下の妹だけ超ご機嫌なショットもあったはず。

きっと、負けたんだろうな。

もしかしたら今年は優勝狙えるかも?と挑んだ僅かな記憶も残っているでは、きっと二回戦、三回戦ぐらいまでは勝ち残ったんじゃんないのかな。でも、優勝はできなかったとみた。

3年生の時に出会ったソフトボール。当時の小学生界隈ではスイミングやミニバスケットも人気がありました。中学生の部活でも水泳やバスケットを選ぶ同級生が多くいましたが、中学生になった私が選んだ部活はもちろん「ソフトボール」でした。

それは中学校の3年間にとどまらず、高校2年の夏まで続くのでした。ザ・昭和の部活時代には今ではご法度な荒削りな練習エピソードも多々ございましたが、今となってはよき時代の良き思い出と昇華済みです。

全ての始まりは小学3年生の夏。素敵なチームに参加し、熱心なお父さま方に教わり上達したお陰で、チームで戦う楽しさや悔しさを知ることができました。

小中高合わして約10年間続いたソフトボール。

競争心の乏しかった事なかれ主義の私に、なにくそ負けてたまるか精神が芽生えた。華奢な見た目からは想像のつかないを強肩とコントロールも備えてくれた。

嬉し涙も悔し涙も待ったなし。でも、流した涙の数だけ手にしたものがある。

うまくいく日もあれば失敗ばかりの日もあった。勝負に勝つ日もあれば負けるも日もあった。

悔しい、悔しい、次こそやってみせる!

本気になった時間の分だけ、私は強くなったはずだ。

スポーツがもたらす力は尊い。

*****

どうか、幸せな時間が続きますように・・・

『チャポン』

やった!入った!見事命中!

「ママすごーーーーい!入った!入った!入った!」

ふふふ、やったね!

「だって、ソフトボールやってたもんね-」

れい子ちゃんのお父さん、石川のおっちゃん!ありがとう!コントロールはバッチリだったよ。


義母さん、私たちはきっと大丈夫。

義父さんにもそう、伝えて下さいね。











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