妹との約束。
もうすぐ6年生になる息子。まだ面会交流の時は同じ布団で寝てくれる。普段は一人で寝ているらしい。
布団に入っている時、switchを取ったり本を取ったり、おもちゃを触ったりして時々動く。その動きが掛け布団から伝わってくると、一緒に暮らしていた時のことを思い出す。
平日の夜、休日の朝、僕が疲れて眠っていても、その動きや音、時にはぬくもりや重みで存在を心地良く伝えてくれる。
日曜日は決まって早起きして僕の部屋に来て、布団の中で先に遊び始めていたことを思い出す。その存在感に癒しを受けていた。
ふと見ると、身体は大きくなっていても、動きや真剣に本を読む眼は全く変わっていなくて、そんな息子を見ているとまだ首が座っていない赤ちゃんの頃の、ぷるぷると震えている姿まで鮮明に蘇る。その姿が重なると、大きくなっても本当に可愛らしいと思う。
数年前、離婚調停中に無理矢理遊びに来てくれたことがあった。決着がつくまでは会うことは禁止されていたのに、たくさんの問題を突破して息子は大きなリュックを背負ってやってきた。着替えとおもちゃとお菓子、リュックをひっくり返す姿に泣きそうになった。
たくさん遊んで同じ布団でまだお話が続いている時、
「父さんが突然死んだらどうしよう…」
そんなことを急に言い出した。
「どうした急に?」
話を聞いてみたけど、その発言の理由が読み取れなかった。離婚で離れ離れになったことの不安や寂しさ、あるいは離れてから誰かの葬式を経験したのかもしれない。
「もし俺が急に死んでしまったら、その時は笑い話の一つにでもしてくれよ」
「できるわけないじゃん」
相変わらずyoutubeの見過ぎのせいか、息子は関東弁だった。
「生きていても死んでしまっても、一番に想っているから心配しなくていいよ。ずーっと見守ってるから」
「死んだらさ、焼いて骨にするんだよ」
やはり元妻と誰かの葬式に行ったのか、それともyoutubeで何かを見たのか。
「そうやで。最後のお別れになるからって言って、みんなが死んでしまって箱の中にいる人に最後の挨拶をするの。さよならって、ありがとうって」
「うん…」
「大体の場合、みんなその時は泣いてるよ。でもね、俺の場合はそんなに悲しむことはしなくていいよ。そこでちゃんと見守ってるから」
死や別れの恐怖を多少感じている息子に、なんて話せばいいのかわからなかった。顔を見ると、強い眼差しを僕に向けている。息子は僕の子供の頃とは違い、しっかりと相手の顔を見る。その時はなんだかそれに緊張していた。正解がまるでわからなかった。
「父さんが死んだ時も、たぶん泣いて悲しんでくれる人がいると思う。君ももしかしたら悲しくて泣いているかもしれない」
「俺もう泣きそうなんだけど…」
「父さんはみんなと悲しいお別れはしたくないからさ、なんなら笑って欲しいくらい。だからさ、君がまだ子供の頃に俺が死んでしまったら、大きな声で係の人に言って欲しいんだ」
「なんて?」
「よく焼きでお願いしますって」
「……。」
「そしたら誰かが、餃子かよ!って言うから」
「言えるかっ」
息子が少し笑った。
「他の人には絶対に言ったらダメだからね。絶対に怒られるから。でも、俺の時は言ってもいいし、もし誰かがそれを怒ったら、父さんがそう言えって言ったって言えばいい。そしたら全員納得するから」
そう言えば、みんな必ず笑ってくれるから。
「餃子かよって誰が言うの?絶対に誰も言わないと思う」
「誰も言いそうになかったら、適当に誰かに取り憑いて俺が直接言うから。だから、その時に餃子かよって言った奴は死んだ俺に取り憑かれたことになる」
なんでやねんと、息子は笑った。
あの時、なんて話せばいいのか全然わからなかった。間違った教育をしてしまったのではと、そんなことも思う。
ただ、息子はその後すぐに眠りについた。たくさん遊んで疲れただけなのかもしれないけど、静かに眠る息子をしばらく見ていた。
数日後、妹に会った時、
「そういうことだから、俺が死んでしまって火葬場で俺の可愛い坊やがそんなことを言ったら、よろしく頼むよ」
「はいはい、じゃぁ五万くれ」
妹はスマホを見ながらこちらを見ることもなく片手を出した。相変わらずクールな奴だった。
あの時、死別の教育は間違ったかもしれないけど、それはこれから伝えていこうと思う。
けど、なんだか、生命保険をかけたような、そんな気持ちになったことは今も覚えている。
あ、お金はもちろん渡してません。
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