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1990年代、日本は中東和平多国間協議環境問題分科会議長国でした。

当時、よく環境調査に中東に行きました。また、ソビエト連邦が1991年に崩壊したのを受けて、旧ソ連東欧圏の復興支援の一環として環境関係でロシアやハンガリーに行ったこともあります。

当時、企業経営支援と言う事で日本から中小企業経営者をロシアに派遣する事業もあったようです。

と言ってもロシア・東欧側はそれまでは「社会主義」なので「企業」と言うものは、中小企業にせよ、大企業にせよあまりなかったと思われます。

今後は「企業」を作らねばならないが、そのノウハウがないと言う中で、日本の企業経営者が現地に出向いて、いろいろ指導すると言う事をしていたようです。

その時の報告を聞いた時、日本側に下町のお菓子会社の社長がいて、「自分のところの機械を持ってくればピロシキが2万個作れる、一台プレゼントする」と言ったとの話がありました。

ロシア側はびっくり仰天したそうです。手作業で200個作れる、機械化すれば2千個ぐらいできるだろう、2万個?、桁が間違っているんじゃないか?、本当に2万個なの?、2千個じゃないの?、信じられない・・・

と言うようなやり取りだったそうです。

あれから30年経って、今、ロシアンドラマを見ると、富裕層に雇われたメイドの人が食器洗浄機に食器を入れたり、スマートフォンのマッチングアプリで出会った男女がデートしたり、日本流に言うなら「ガラケー」を持っているお父さんに娘が「お父さんのだとアプリ入れられないじゃない?時代遅れね」なんて言うシーンが出てきたりします。

もうロシア人も2万個作れるピロシキ製造機でびっくりしたりしない時代になっていると思います。

さて、マルクスの剰余価値逓減の法則についてシュムペータが論じています。基本的には、この法則は概ね正しいのだそうです。

剰余価値逓減の法則と言うのは、平たく言えば、「機械化」が進むと、利潤率が低下していくと言う事です。

アダム・スミスやリカード等の古典派経済学は「労働価値説」を唱えていて、これをマルクスも継承しました。

「労働価値説」と言うのは「価値」と言うのは労働の結果生まれるものだと言う考えです。

ピロシキの原材料・・・お肉とか小麦とかから餡と生地を作り、包んで焼く・・・そういう「労働」の結果、ピロシキができるわけです。

原価が100円でピロシキの価格が500円だとすると、価格-原価=400円は、ピロシキづくりの「労働」によってもたらされたとするわけです。

ピロシキ200個作ると、8万円分の「価値」が生まれるのですが、そのうち2万円だけが労働者の給料になっていて、残り6万円が資本家が得る「利益」になっていた場合、

その6万円が「剰余価値」だというのがマルクスの言っている事です。

そして、「剰余価値逓減」と言うのは、「不変資本は価値を産まない」=不変資本と言うのは平たく言うと、機械等のことです。

つまり、機械化して人件費を減らし、安くピロシキができるようになって、ピロシキの価格は200円になった、それで2万個作れるようになったとして、機械に投資している金額を考えると、利益率は、労働者に手作りさせていた時に比べると減ってしまうと言うのです。

(たぶん、ブラック企業でない「まともな会社」が、かつての手作り時代から機械化・近代化した後は、給料もあげ、社会保険も負担し、他方、価格も下げて、つまりピロシキ1個150円ぐらいの「原価ギリギリ」ラインで、利益率はかなり下がっていると言うのが、今の日本の現状だと思います。)

さて、野菜の価格についてです。

アダム・スミスは深耕(土を深く耕す)等の技術革新の結果、野菜が昔(アダム・スミスの時代は18世紀なので、それよりもっと以前と言う意味ですが・・・)に比べると沢山できるようになったと言うような事を書いています。

今はトラクターもありますし、18世紀よりは生産力は向上しているかもしれません。

ただ、野菜は多種多様ですし、農作業もいろいろな種類があります。個々の野菜の個々の農作業の全部を機械化するのはコストがかかりすぎになります。このため、かなりの部分が「手作業」になっています。

つまり、手作りピロシキ200個時代を機械化で2万個生産時代に転換するような事は野菜栽培ではできにくいと言うことです。

また、日本の人口がほぼ一定のまま推移するとすると、日本に住んでいる人全員が食べる野菜の量もほぼ一定でしょう。

つまり、天候などによる出来・不出来はあるにせよ、大きくみると、市場規模が変わらず、生産量も一定の状態、投入される「労働」の量もあまり変わらず、機械化は一定レベル以上には進まない・・・

「野菜生産」はこういう環境にあると考える事が出来ます。

マルクスは労働者が労働によって実現している価値には、給与として支払われている以上のものがあり、その部分を資本家が搾取しているとしました。

シュムペータは蓄積と集中が進み(機械化も進み)、剰余価値が逓減していった状況では、マルクスの図式は成り立たなくなっていると言っています。(先述したように経営が近代化されてくると、利益率は「ギリギリ」のラインに近づき、必ずしも資本家が労働者を搾取しているとは言えなくなるわけです。)

しかし、個人経営農家の場合、そもそも労働者を搾取する「資本家」はいないわけです。そして、たいていの場合、ギリギリの利益率で野菜を出荷していると思います。

(と言うよりも、労働によって実現されている価値が8万円あるのに給与が2万円と言うよりは、労働によって実現されている価値は2万円と言うのが野菜農家の実態に近いでしょう。)

ですから、たぶん、野菜を作って売るよりも、野菜を売っているスーパーマーケットに務めた方がいい給料は貰えると言うのは、本当の事だと思います。

では、なぜ、農業をやろうとする人が出てくるのでしょうか?

今回、菜園起業大学の野菜栽培基礎講習を受講し始めた人は、「子どもと一緒にジャガイモ植付け体験に行った、そしたら、土に触れることに『目覚めてしまった』」のが動機だと言っています。

「土に触れる事に目覚める」、この点については、また述べていきたいと思います。

2週間予報及び観測値の動きをみると、最高気温25℃以上、もしくは25℃近辺の日もありますが、雨が降って気温が下がる日もあるようです。

そして、少なくとも5月初めは、晴れても気温は20-22℃前後、つまり「例年並みプラスアルファ」程度の気温でゴールデンウィークが始まるようです。

ズッキーニ、オクラ、空芯菜、キュウリ、バターナッツが芽を出し、カボチャ、ゴーヤ、スイカの種まきが終わりました。明日は、ツルムラサキと枝豆の種まき予定です。

どうにか4月まき野菜の種まきが進んでいます。

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