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17歳の私。やっぱりアメリカに戻りたい!

こんにちは!
今回は私が1年留学帰国後にまたアメリカに戻りたい!!
と思った時の心境と状況を知ってもらえたらなーと思います!

留学自体からは少し離れますが、大きな決断で
それからの私の道を大きく変えていく出来事なので
ぜひお伝えしたいと思います!


以前の記事を読んでくださった方はもうお分かりかと思いますが、
私はアメリカの高校を卒業しました。
ただ留学する前は普通に日本で受験をして、
帰国後は日本の高校を卒業するつもりでした。
当時利用した留学プログラムは1年間のみだったので、
私は予定通り1年で帰国し、その後高校へ復学しました。
当時はそのまま卒業、大学進学。
のつもりでいました。


私が日本で通っていた高校は、
アメリカ留学での1年間の単位を採用できない学校だったので
帰国後は1年生へ留年という事が決まっていました。
なので、留学前にできた同級生の友達とは学年が離れ、
1学年下の人たちとの学校生活が始まりました。


今思うと帰国当時、日がたつにつれて感じていたことは、
訳のわからなかったアメリカ生活よりもなんだか今のほうが大変で
ストレス溜まるかも・・。
その時の私は、それがなぜなのかよくわかっていなかったのですが、
アメリカでの約1年間は私自身の考え方や、物の見方、
人との接し方・関わりかた、などなど・・
たったの1年かもしれませんが変化があったと思います。
そのおかげか、そのせいか、
日本での学生生活が自分には合っていないのかもしれない・・
と気づき始めていたんだと思います。

そんな当時の私の大きな支えはアメリカでできた友達(本当に数人!)と、
英語を使ってチャットで話したり、時々電話したり、Skypeしたりして
最近の出来事をお互い語りあったりして
まだアメリカでの居場所が私にもあるのかも!!
と、感じる事が出来た瞬間でした。
そしてそしてなにより、そんな私を見て
よかったね!!
と見守ってくれていた家族の存在でした。

帰国当時の私は、日本での学校生活に違和感を感じていました。
その中でも1番の葛藤は、クラスメイトとの関わり方でした。
女子高校生。結構色々とありますよねー。笑 
留学してたとかそういうの関係なく、心も身体も成長したり、大人ぶってるけど
まだ子供で・・・なんて時期ですよね。

私の通っていた高校は共学でしたが、クラス自体は男女別。
なので、クラスメイトは全員女の子でした。
そんな中にですよ、アメリカから帰ってきた年上の人。
興味を持って、と言うのも言い方が悪いかもですが、
話しかけてくれる子はもちろんいました。
それは素直に嬉しかったです。
私にとっては初めての体育祭とか
購買にパンを買いに行ったり
放課後にだらだら話したり
かっこいい人がいるー!とか
そんな小さなことが楽しく感じたときもありました。
女子高生満喫してるなー!!って笑

海外留学に興味がある子
純粋にアメリカに興味がある子
先輩!!とか言ってふざけながらも楽しく接してくれる子。
クラスの中でだいたいの子はそんな感じで接してくれていたのかもしれません。
しかし、そんな中でも、それぞれみんな違った感情とか
思いとか持つ子たちはいたと思います。私も含めて。
戸惑いますよね。
当然で仕方のないことだったと思います。
きっとどう接して良いのかわからなかった人たちもいたと思います。
私もその1人でした。

アメリカにいるときはもちろん
その場その場で慣れない環境に合わせていく必要はあったと思うし
無意識のうちにそうしていたと思います。
だから同じように、帰国してからも慣れない状況に対して
少しの努力は必要だったと思います。

それはわかっていたのですが・・・

考えてみるとまだアメリカ生活に慣れていなかった頃
環境に馴染んでいく努力・・
そんなにしていなかったのかもです。
と言っても無意識だったと思います。
大変でツライけど、なんだか馴染めた、というかフィーリング?が合った?
なんて言うとカッコつけすぎですが。
そこまで意識して
環境に合わせなきゃ!!
て、なっていなかった気がするんです。
ただ単にそれだけ日常生活を送ることに必死だったのかもしれませんが。

逆に日本に帰ってからは
努力をしていかなければ!でもなんだか違う。
周りに合わせなきゃ!でもなにか違う。
合わせたいともあまり思わない・・イライラ・・
戸惑いながら、焦っているのにうまくいかず
どんどん自分の気持ちが日本の生活から離れてしまっている気がしました。

・・・戻りたいな、アメリカに。


今思うと無意識のうちにそんな風に思う事が多くなっていたんだと思います。
本当に戻れるかどうかは関係なく。
初めはなんとなくでした。


帰国当時まだ17歳。
17歳にしてはとても大きな決断だったと思います。
なのに、そんなふうには全く思わなかったんです。
どうすればまたアメリカに戻れるんだろう・・?
日に日にそんな事を具体的に考えるようになりました。


その時の素直な気持ちを母に伝えました。
良いともダメとも言わず
やっぱりね。
といった感じで
自然に私の気持ちを受け入れてくれました。
私には母という大きな味方がいてくれたおかげで
ここまで自由に自分の夢を叶えることができました。


その後、少しずつですが、人の手も借りながら、
協力を得ながら本当に少しずつ進めていきました。
(この部分ひとまず省略しますね)


ホストファミリー
学校(2年目からはビザの関係上、私立高校にしか学生留学できませんでした)
その他いろいろと本当に実現できるのか、この時点ではまだわかりませんでした。

ある程度の学費を母に提示され、それ以上は難しいと言われました。
だからもし該当する学校が見つからなければ諦めるしかない。
これが約束でした。
当然だと思います。
もちろん誰よりも応援はしてくれましたが、現実を知る必要がある。
ということをしっかり教えてくれたと思っています。
実際、その方が必死度が増すんですよね。笑

はい、必死でした。
だってここまできて、自分の気持ちがここまできているのに
もしアメリカに戻れなかったら・・・
後悔や悲しさだけではない感情がたくさん出てきてしまうのは
自分のことなのでよくわかっていました。


見つかるのかわからない物を探すのは確かに大変でした。
アメリカ生活より大変だったかも・・・笑
時間ももちろんかかりました。
自らがしっかりと動くことが必要で勇気も気力も必要でした。
本当に泣きそうになりながら。
いや、泣いてました笑 


省略してしまいますが、
一応無事に全て見つけることができ
晴れて留学生活2年目をスタートさせることができました。
なので、当時手助けをしてくれた方、そして家族、
これを機に成長することができた自分自身に
感謝と喜びを感じています。




17歳。まだまだ成長途中で青春したい真っ只中!!笑
この時の話をすると、
その若さで考えるようなことじゃない!すごい!!
と、言ってくれる方は多いです。
とても嬉しいし
すごかったのかもなーと、自信をくれる言葉でもあると思っています。
でもその時の私にはその考えしかなくて
夢だったんだと思います。
1度決めたら絶対に変えない!と
頑固な性格のせいもあるのかもしれませんが。笑

例えば、
アイドルになりたい!お医者さんになりたい!ケーキ屋さんになりたい!
そんな風に夢を持つ子供はたくさんいると思うし、
もちろん大人になっても素敵な夢を持っている方は沢山いると思います。
私の場合、あまりない例なので
すごい!!と思うかもしれませんが
私も同じように純粋に夢を追いかけていただけだったと思います。


省略部分もありましたが・・

読んでくれてありがとうございます☆


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