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いよいよ少子化問題に本格的に向き合わなければならない時代になりつつある話

おととい、1月10日は成人の日でした。

年初の仕事始め以降、最初に発生する三連休を構成するハッピーな祝日だったわけですが、新成人をお祝いする明るい話題と同時に、暗い将来を仄めかす話題も同時に取り沙汰されました。

新年を20歳で迎える新成人は120万人で、総務省が推計を取り始めた昭和43年以降最も少なくなり、12年連続で日本の総人口の1%を下回りました。

総務省の推計によりますと、1月1日の元日を20歳で迎える新成人の数は、男性が61万人、女性が59万人の合わせて120万人となっています。

前の年に比べて4万人減って、推計を取り始めた昭和43年以降、最も少なくなり、日本の総人口に占める割合は0.96%と、12年連続で1%を下回りました。

引用元:新成人 過去最少の120万人 少子化や留学生減少などが影響か

少子化問題は今突然に始まった問題ではもちろんないのですが、今年の成人式では特に、メディアでもインターネットでも、この話題が取り沙汰されていたように思います。

引用元:https://twitter.com/SukunaBikona7/status/1480492255618416642?s=20

未来の人口ピラミッド予測をもとに危ない危ないと言われ続けてきた少子化問題ですが、いよいよ問題が本格化、尻に火がついてきたように思います。

本日は、こうしたニュースを忘れないうちに、深刻化してきた少子化の現状と、それに対する考察を綴っていきたいと思います。

1.今までの少子化対策政策は、残念ながらほぼ意味をなさなかった

1990年の「1.57ショック」により厳しい少子化の現状が強く認識されるようになって以降、エンゼルプランを皮切りに、待機児童ゼロ政策、仕事と子育ての両立支援、女性の活躍、働き方改革、などなど、様々な少子化対策政策が実施されてきましたが、残念ながらこれらの政策はほぼ実を結んでいない現実があります。

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画像出典:内閣府

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画像出典:内閣府

特に少子化の原因として重く見られていたのが晩婚化非婚化というファクターです。

社会の複雑化、高学歴化、オイルショックやデフレに伴う経済不安などを背景に、戦後急速に進展したのが晩婚化と非婚化の傾向です。

結婚が遅くなれば子を持つ可能性が低くなる、結婚しなくなれば子を持つ可能性はほぼなくなる、当たり前の話です。その発想で、なんとかそうした人々にも子供を持ってもらおうと、様々な政策を推し進めてきました。

しかしながら、結果を見る限りでは、どうにも抜本的な解決には至っていないようです。

2.海外でも、特に先進国では、少子化のトレンドが顕著

少子化は日本に限った問題ではありません。

10年ほど前までは高齢化の傾向と併せて「日本は課題先進国だ」などと言われていた記憶がありますが、高齢化はともかく、少子化については諸外国もほぼ日本と同じ減少傾向を持っています。

引用元:https://twitter.com/deyokane/status/1480717209190432768?s=20

全世界的には、現在78億人程度と言われる人口が、インド等の新興国を中心に更に増加し、90億人を超えるピークを迎えると言われていますが、いわゆる経済先進国はいずれも少子化傾向です。なかでも顕著なのは日本、タイ、マレーシア、台湾、中国といったアジアの国です。

後にも触れますが、アジア諸国では仏教や儒教の思想が根強かったのに対し、欧米諸国ではキリスト教が強い、そうした宗教的差異の部分が大きいような気が個人的にはしています。

個人主義、自由主義の価値観が先進国に広まり、少子化が進む中、キリスト教は隣人愛等に始まる強い家族観を有していたことが、ある種の中和剤になったのではないでしょうか。

以上の部分はあくまで予想にすぎませんが、イスラムの国々では人口は増加しているという点からも、少子化と宗教に相関性は存在しそうだと思っています。

3.子供は未来の納税者

閑話休題、以上の通り、少子化は世界的な傾向かつ課題であり、どこの国もきちんとした解決策が出せていないきわめて難しい問題であると言えるでしょう。

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画像出典:内閣府

いくつか画像引用している内閣府のホームページにおいても細かくまとめられており、非常に様々な要素の絡み合った難しい問題であることがわかります。ここで私が解決策はコレだなどと書いたところで、おそらく既に議論されつくしされたことの二番煎じにしかならないでしょう。

しかし一点だけ言うとすれば、この日本で30年近く少子化対策政策を行ってきたにもかかわらず、それらが全く実を結んでいないのは、そもそもの発想が何か小手先のやり方で解決しようという発想だったからなのではないかと強く感じます。

成人式の数日前、ローマ教皇が少子化問題に言及したことが話題になりました。

フランシスコ教皇は、「今日(中略)私たちはある種の身勝手さを目の当たりにしている」と群衆に語った。
「子どもを持つことを望まない人もいる」
「子どもを1人だけ持つ人もいる。1人でおしまいだ。ところが彼らは子どもの代わりに犬や猫を複数飼っている」
「おかしなことかもしれないが、これが現実だ」
そして、こうした行いは「父性や母性を否定するものであり、私たちを損ない、私たちの人間性を奪うもの」だと付け加えた。

引用元:ローマ教皇、子どもを持たずにペットを飼うのは「身勝手」

ローマ教皇は言わずもがな、キリスト教カトリックの最高指導者であるわけですが、そんな彼は、宗教道徳の観点から、全世界に13億人いると言われるカトリック教徒に少子化問題解決を呼びかけます。

道徳というアプローチは一つの戦略として、きわめて正しいと思います。

昔の日本人は農家が多く、ゆえに「跡取りとしての労働力」が重要だったのは事実ですが、それ以上に「大人になったら結婚するものだ」「結婚したら子供を産むものだ」という道徳的価値観が当たり前に存在したことが、かつての人口増加時代には大きく働いていたのではないでしょうか。

そうした道徳的価値観を取り戻すことができるなら、それによって少子化問題の解決を図ることはできそうです。キリスト教文化圏であれば、本当に可能かもしれません。しかし現代の日本、ほぼ無宗教と言われている世の中では、どうにもこのやり方は厳しそうです。

今の時代の日本は、核家族化、個人主義、自由主義が全世界的に広がり、多様な生き方が肯定される時代です。「大人になったら結婚するものだ」「結婚したら子供を産むものだ」などという道徳的価値観は端的に言って時代遅れでしょう。

道徳ではなく、個人の自由で合理的な判断で回るようになった世の中では、少子化対策政策も、自由で合理的な判断の結果、子供を産むことがパレート最適として位置するような仕組みづくりが必要なのではないでしょうか。

既存の制度は守りつつ、意識改革と自助努力だけで出生を促すのには限界があります。なぜなら子供を産むことは少なからず経済的にも肉体的にも負担がかかるという事実があり、なおかつ歯止めの効かない少子化の流れを踏まえると、わが子が自分より高負担でつらい人生を歩まざるを得ないであろうことは合理的に想像がつきます

「子供を産むことが美徳」という道徳的価値観が失われた時代では、そうした事実に基づいた自由で合理的な、もっというと自己中心的な判断を行った帰結として、「結婚すること」「子供を持つこと」が選択される制度設計を行うことが、国家として、持続可能な共同体として、政府が採るべき方針なのではないでしょうか。

若年世代の減少という含み損を指をくわえて眺めるのではなく、子供とは未来の納税者であると割り切って、子供という存在を、より積極的な投資対象として予算を割き、投資していく必要があると、個人的には思っています。


本日は以上です。
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それではまた明日。

2022.1.12 さいとうさん

#成人式
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